プロレタリーヤに裏切る勞働組合

高畠素之

(一)

プロレタリーヤは一箇の重大なる歴史的使命を擔つてゐる。それは即ち資本主義の撤廢、社會主義の實現と云ふことである。私は總ての勞働運動に對する評價の基本を此所に置いてゐる。そして此基本から觀察して、私は近頃流行の勞働組合運動を左程に重要視することは出來ぬ。

元來、勞働組合の本領は定職ある工業勞働者の團結的利益擁護と云ふことである。然るに定職ある工業勞働者なるものは、プロレタリーヤ中の一小部分に過ぎぬ。イギリスの如く勞働組合の早くから發達した工業國に於てさへも、組合に加盟してゐる勞働者の數は五百萬に達しないと云ふことである。假りにプロレタリーヤの大多數を工業勞働者と見ても、其全部或は大多數を組合に包括することは不可能である。なぜならば、プロレタリーヤの中には、マルクスの謂ゆる産業豫備軍即ち失業者が存してゐて、之等は當然組合から締出しを食ふべき運命にあるからである。

(二)

更らに日本のやうな米食農業國になると、プロレタリーヤの大多數は農民である。そして農民も亦産業豫備軍同樣、固有の勞働組合から締出さるべき運命を運命づけられてゐる。勿論、日本の工業は將來尚、發達することを豫期しなければならぬ。隨つて農業勞働者のますます減少し、之に反して工業勞働者のますます増大することは、必ずしも豫想せられぬことではない。然しそれにも制限はある。殊に日本人は米食國民であつて、而も外國米の食へぬ人種であるから、日本人の食ふ米の大部分は之を日本國内で作らなければならぬ。此意味から云つても、農業の縮小は考へられぬ。

また工業に於ても、日本國民の工業が將來左程に發達するか何うかは疑問である。資本家はヨリ有利なる所に投資する。内地の産業資本が今や非常なる勢を以て支那滿洲に流出しつゝあることは、茲に數字を擧げる迄もない。かくて日本の産業資本は海外に其勞働搾取の地盤を求め、日本内地は依然として農業國たる現状を維持するであらう。

(三)

私が勞働組合を左程に重要視することが出來ぬと斷定する理由は、主として茲にある。日本に勞働組合が發達して、勞働者の要求が貫徹され、勞働條件が改善されると云ふことになれば、資本家はそれに伴ふ損失を埋合はす爲に必ず生産物の價格を引き上げる。之は現に日々我々の眼前に現はれてゐる所であつて、今や一部勞働者の横暴に對する憎惡の聲は、資本家に對する反感にも劣らざる鋭さを以て、プロレタリーヤの間から昂つてゐる。一般的原因に基く、隨つて又勞働條件の改善に基く物價騰貴の痛苦を、而も他の埋合せなしに擔はせられるものは組合以外のプロレタリーヤ殊に農業勞働者である。組合勞働者も消費者として此痛苦を免れることは出來ぬが、彼等は兎もかく一方に於て勞働條件が改善されるのであるから、撲られる前に藥代を貰つた位の慰安はある。資本家に至つては、勞働條件の改善費を償はうとして物價を引上げるのだから、固より物價騰貴の爲に損する筈はない。

單り可愛相なは(1)、組合以外の大多數プロレタリーヤ、殊に農業勞働者である。彼等は工場生産物の消費者として、生産者としての勞資兩階級から無理無體に生活實質を掠奪されるのだ。斯くて勞資の利害衝突は、結局、生産者と消費者と、工業勞資階級と農業勞働者との對立衝突となる。(農業勞働者の外に、農業資本家即ち地方地主と云ふ階級とあるが、之は一般物價と竝んで、或はそれに先立つて米價を引上げ得るから、其利害は寧ろ工業資本家と一致する)

(四)

友愛會や信友會の猛者連は、頻りに勞資協調を罵倒するやうだが、以上の如く考へて見ると、彼等の唱導する勞働組合主義も、結果に於て、矢張り立派な勞資協調ではないか。私は此意味に於て、ビスマーク流の國家社會主義を國家資本主義と呼ぶと同じく、彼等の勞働組合主義を勞働資本主義と呼んでゐる。プロレタリーヤの一切の運動は、其の歴史的使命の實現と云ふ標準に從つて評價されなければならぬ。職業本位の組合(トレード・ユニオン)たると産業本位の組合(インダストリヤル・ユニオン)たるとを問はず、若し勞働組合の『實力』が如上の結果を招來すべきものであるとするならば、我々は斷々乎として勞働組合に反對しなければならぬ。プロレタリーヤの強味は、プロレタリーヤとしての總合的階級力にある。此階級力が分裂離散する時に、プロレタリーヤは最早、その歴史的使命を全うすることは出來ぬ。プロレタリーヤは職業組合(トレードユニオン)、産業組合(インダストリヤルユニオン)として結合する前に、先づ階級團體として結合しなければならぬ。

そしてプロレタリーヤを階級として結合せしめ得る最強の力は、○○○○○○○を除いては、たゞ○○○○○○○○○○○○○である。○○○○○○○○○は○○○○○○の形を取る場合もある、○○○○の形を取る場合もある、○○○○、○○○その他種々なる形式を取る場合もあるが、いづれにしても、プロレタリーヤ共通の利害に結ばれるものであつて、其歴史的使命を全うする上に最も有效であると信ずる。

又、此運動さへ旺盛であるならば、勞働組合も決して曩に述ぶる如き無益有害の結果を生じない。勞働條件の改善をして物價騰貴を伴はしめず、直ちに資本の利潤に食ひ込ましめるものは、實に此運動の力である。


底本:『東邦時論』大正九年正月

注記:

(1)可愛相なは:ママ。

改訂履歴:

公開:2008/05/07
最終更新日:2010/09/12

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