更新日記

○4月15日(日)

第三十六回:プチ更新

二週間ぶりです。

今回は『社会主義と進化論』の本文を終わる予定でしたが、いろいろありまして、第九講の公開に止まりました。何とか次回は本文を終わらせたいと思います。

加えて、今回は本書の編輯方針を公開しましたが、まだ未完成です。ルイスの原書を確かめるのが第一にすべきことなのですが、何分英語ですので、どうしても時間がかかります。ぼちぼち進めて行きたいと思います。

ルイスの"Evolution Social and Oragnic"は現在でも売られているようですね。最近知りました。もう片方の"Ten Blind Leaders of The Blind"というのは、アメリカのアマゾンで調べると、古本屋さんが扱っているようです。なぜか日本の大学の蔵書検索に引っ掛からないのですが、まだ遡及が終わってないのですかね?

もう一つ、著書の序文云々を更新する予定でしたが、これももう時間がないので次回以後に廻すことにします。

それはそうと、去年の終わりから設置していた「ねごと」ですが、これは次回にでも削除する予定です。設置した当時は不満たらたらでしたので、書くことがたくさんありそうな気がしてましたが、いざ文章にしてアップロードしようとすると、その間に頭が冷えると見えて、なかなか更新する気にならないようです。本サイトの残りスペースも少ないので、余計なものはじゃんじゃん消していこうということで、削除することにします。

それではまた次回……はいつになるやら分りませんが、また暇なときにでもお立ち寄りください。

○4月1日(日)

第三十五回:とりとめもないはなし

ご無沙汰しております。いや、かなりのご無沙汰でした。

前回の更新から特に忙しかったわけではなかったのですが、生活に変化がありましたもので、何となく更新する気になれませんでした。ちなみに、今回の更新が4月1日となったのは、新年度に鑑みての溌溂とした気持ちからではありませんし、もちろん四月バカだからでもありません。単なる偶然で、本当は3月25日に更新の予定だったものが一週間ずれただけです。

今回の更新は、当初の予定では、社会主義と進化論、唯物史観の改造を終わらせようという大胆不敵なことを考えておりました。ところが実際に社会主義と進化論をタイプしていると、面倒なことこの上なく(内容は普通と違う意味で面白かったのですが)、結局は社会主義と進化論の途中までの更新となってしまいました。タイプの方は終わってますので、順次更新したいと思います。

で、社会主義と進化論ですが、これについて是非とも報告しておかなければならない事が一つあったりします。

それは各種版本の差異についてです。更新時間の関係上、まだ改正してませんが、私の説明に誤りがありました。ちょっと前、本サイトで高畠さんの著書の序文と目録を更新しましたが、この時、私は改めて手許にある売文社、大衆社、改造社の三種の版本を比べ、そして記憶を頼りに大鐙閣とアテネ社とのことを書いたのでしたが……いや、何で間違ったのか不思議なくらい、大きい間違いを発見してしまいました。私の記憶では、売文社、大衆社、大鐙閣は若干の手入れがあるだけで、アテネ社で抜本的な改定があり、それを基礎に改造社のものがあると思っておりました。(ちなみに公文書院のものは未見。神戸市立図書館に所蔵されているそうです)所が今回、改めて校正のために売文社と大衆社のものを開いてみると……どうも大衆社の方は売文社よりも1章多いようですね。恐らく大衆社版は、売文社と同じ版の最後に1章分附加したものと思われます。次回の更新にでも補正しておきます。

ということで、社会主義と進化論の各種版本をもう一度調べる必要が出て来ましたので、完成には若干時間がかかりそうです。(本文は次回に完成予定)その他にも本書には難読の固有名詞があったり、高畠さんの種本とした洋書のことだったりと、少し調べてみないといけないことがありますので、この点も次回以降の課題です。

それでは今回はこれで。もう既に深夜12時を回ってますが、今年度最初の更新はこれで終わります。また暇なときにでもお立ち寄り下さい。

○2月25日(日)

第三十四回:ようやく『唯物史観の改造』

こんにちは、予定通り、二週間ぶりの更新となりました。実の所、心の中では先週の更新を期しておりましたが、残念ながら時間がありませんでした。

今回の更新は、『唯物史観の改造』の冒頭部分です。本書はそれほど大部の本ではありませんが、やはり全文をタイプするとなるとそれなりの時間を要します。本書は高畠さんの好んだ「唯物史観の改造」という名称をもつ書物ですから、ム氏本と違ってタイプにもおのずと楽しさが湧いてきます。

とはいえ、訳述という高畠さんの解説付き翻訳のような本書ですが、基本は翻訳です。大して高畠風味がでているわけではありません。ですから読んで楽しい本というわけではありませんので、気長にタイプしていきたいと思います。

ちなみに、ム氏本は先年から全く進んでませんが……気が向かないので、当分は更新しないつもりです。悪しからず。

それでは今回はこれで。できれば来週も更新したいと思います。お暇でしたらどうぞお立ち寄り下さい。

○2月11日(日)

第三十三回:なんとか予定通り

こんにちは、一週間ぶりです。

久しぶりに一週間での更新になります。今回は見た目は多く更新してそうですが、実は短文が多く、見た目ほどの更新はありません。更新内容は第1次『局外』収録文章の中、単行本未収録のものを取り上げました。後は『唯物史観の改造』の「備忘録」を加えただけです。その他、配列を若干変更しましたが、これは『唯物史観の改造』の場所を確保するためです。

『局外』の方は高畠さんらしい辛辣な皮肉を書いたものですので、特に説明の要はありません。『唯物史観の改造』は第2章までタイプ済みでしたが、構成がまだですので、今回はさきに「備忘録」だけを載せることにしました。「備忘録」だけ読まされても困る所ですが、そのうちに本文も載せたいと思います。

ム氏本のやる気が出ないので、ふと高畠さんの単行本で重要なものは何か、と考えてみました。それほど数もないですから、全部といえば全部になりますが、特に選ぶとすれば何を選ぶか?『自己を語る』と『論想談』、それと『批判マルクス主義』でしょうか。部分的には『マルクス学研究』の袈裟の部分、『マルクス学解説』の国家論の部分、『マルクス経済学』の序説――という所だろうと思います。そしてその次くらいに、『社会主義と進化論』『唯物史観の改造』が入ってきそうな気がします。とはいえ、そんなことを言い出すと、結局は著書全部だということになってしまいますので、重要著書を選ぶ意味もなくなってしまうのですが。

柄にもなく何故そんな真面目なことを考えたかと申しますと、本サイトの運営方針をどうするかを考えていたからなのです。本サイトは、もともと高畠さんの解説や紹介をすることを目的としておりません。あくまでも高畠さんの著作を読みたい人間が、取り敢えず読むことができる、あるいは取り敢えず読む程度ならできるサイトを目指しておりましたし、今でもそうです。ところが、出だしが趣味ですから、私の好みに偏り勝ちになるのは避けられません。しかしなんとか重要な文章は収めたい、というのも欲求としてはあります。そこでム氏本はやめて、別の是非入れたい本を選ぶとすれば何か――と考えたところ、今回の『唯物史観の改造』が出て来ました。進化論の方でもよかったのですが、気分的に止めました。『マルクス学解説』は長いので、終わりそうにないものは避けたいところです。(国家論の部分は、十分の一くらい、かなり前にタイプしてますが)

しかしこうしてサイトを運営……いや、開店休業が多いですが、兎も角も「運営」しておりますと、ついつい余計な解説をしたくなって来ます。ところが実際に解説でもしてみようかと思うと、結局は書けずに終わってしまいます。理由は簡単で、私自身が高畠さんを説明するほど、高畠さん自身についても、またその時代についても、よく知らないからです。とはいえ、それが趣味の趣味たる所以でもありますから、勝手な読み方をして一人でほくそ笑んでいたりするので、まあ専門家でない故の楽しみですね。

と、気付くともう12日になっていました。でも、更新は11日ということで。それでは来週は分りませんが、今月はなんとかあと1回、更新したいと思っております。気が向いたらまたお立ち寄りください。

○2月4日(日)

第三十二回:ちょっと更新、それと『国際評論』のこと

こんにちは、ご無沙汰しております。

前回、新年の挨拶をした頃が懐かしい。1月中、急遽予定が入ったりして、予想外に忙しい日を過ごしました。横から見ている分には、ずいぶん余裕のように見えたかしれませんが、内心、冷や汗だらけでした。

とまあ、誰にも分らない話しは止めまして、今回の更新部分について記しておきます。今回も前回と同じく著書の「備忘録」を整理しただけです。書き換えもそれなりにしましたが、新味のない更新になってしまいました。実の所、新しい高畠文書でも公開しようと思っていましたが、上に言いましたように、1月末日まで手古摺ることがありましたので、ちょっと……いや、かなり間に合いませんでした。来週(11日)には間に合わせようと思っています。

それと去年の年末から放置している石川さんの年譜稿ですが、不明な点が出て来ましたのでもうしばらく更新はなしということで宜しくお願いします。

終戦前の数年間、石川さんは『国際評論』でいくつか論文を書き、また巻頭言を担当していました。その雑誌『国際評論』はどんな性格の雑誌なのか、少し調べないといけないことが出て来ました。

『国際評論』というのは、国際日本協会が発行していた雑誌です。雑誌の創刊号が見当たらないので、正確な時限は断定できませんが、計算上、創刊はおそらく昭和10年だろうと推測されます。(改題後に『国際評論』になった場合は、創刊は10年よりおそくなります。ただ昭和13年に発行された3巻が現存しておりますので、『国際評論』かその前誌が昭和10年に発行されていたことは間違いないと思われます。)私の確認できた範囲で、石川さんが『国際評論』に論文を最初に掲載したのが、昭和14年です。前年に石川さん等の機関紙『国社』が廃刊しておりますから、時期的には整合性があります。さらに石川氏が同誌で「マインカンプ研究」の連載を開始したのが、昭和15年の年末だと推測されます。(私の確認した中では、昭和16年1月に連載第3回で、以後、毎月連載でした。ですから、第1回目は昭和15年の年末だろうと推測されます。)そして、「マインカンプ研究」連載開始の頃の雑誌主催者は、内藤民治氏だったようです。

内藤氏は『中外』の発行で有名で、私も二三の資料を調べた範囲では、『中外』とソ連外交についての記載だけが出て来ました。内藤氏の細かい足取りは今後の課題としまして、当初の『国際評論』は内藤氏が主宰、または関与していたことは事実のようです。国際日本協会というのは、『国際評論』以外にも、いくつもの書籍を出版しておりました。(敗戦後にも同名の出版社がありますが、同一か否かはまだ不明です。)その書籍の中に石川さんの『マインカンプ研究』も含まれており、その序言によると、国際日本協会は「同志」が関係していると指摘しておりました。そして当時の発行者を見ると、確かに五十嵐隆氏の名が記載されており、五十嵐氏は、国家社会主義運動に名を出す人物です。広い意味で、石川さんの「同志」だと言い得ます。(国家社会主義運動は何度か分裂するので、五十嵐氏の位置については更に詳細に調べる必要がありますが、いまだ果たせず。)

とはいえ、国家社会主義運動、とくに石川さん系列の大日本国家社会党は、その台所事情がかなり厳しかった筈で、運動資金がないから雑誌(『国社』)も出せずじまいになった筈でした。ですから国際日本協会に『国際評論』を出し続ける資力があり、またいくつもの単行本を出す能力があるというのは、不思議に思っておりました。しかし『国際評論』の主催者が当初から五十嵐氏ではなく、内藤氏であったというのは、国際日本協会の名称と運営資金の問題からいって、ありえる話しではあります。

そこで『国際評論』の発行者を調べていきますと、昭和16年3月号から、内藤氏から五十嵐氏に変更されておりました。以後、発行者は五十嵐氏のままです。この変更が雑誌の質的変化をもたらすのか、それとも石川さん(あるいは五十嵐氏)の属していた国家社会主義集団が、当時、内藤氏がすんなりバトンタッチできるような位置にいたのか否か、これらを調べる必要が出て来ました。とはいえ、石川さんが「マインカンプ研究」を連載開始した当時までは、内藤氏が発行者だったのですから、なんらかの関係はあったのでしょう。

ちなみに、『国際評論』は敗戦の1945年まで継続しておりますが、最後の一年弱は『復興亜細亜』に改題しております。また内藤氏には「回顧録」がありますが、対米戦争が開始される前後までで話は終わっておりました。五十嵐氏その他については、最近、調べる必要を感じたばかりですので、何も分っておりません。(調べるつもりではおりますが、分ったからといって、サイトで公言して良いものかどうかは、まったく別物です。)

いや、久しぶりにながなが書いてしまいました。要するに身分不相応なことを調べておりますので、たぶん、いい加減な結果しかでないだろうという予想はしております。研究でやっているなら怒られそうですが、所詮そんな程度のものです。いや、そんな程度のものだということを言って、責任を回避しようと言うのが私のセコイ考えなのです。

それでは話しがずいぶん脱線しましたが、来週はなんとか高畠さんの文章を公開したいと思います。それではまた、暇があればお立ち寄り下さい。

○1月15日(月)

第三十一回:新年一回目

ご無沙汰しておりました。新年あけましておめでとうございます……という時期ではありませんが、今年も宜しくお願いします。

わざわざ更新記録を覗いてくださったお客様は、年末年始、いかがお過ごしだったでしょうか。私はなんとかまだ生きております。それにしても正月に我がサイトのカウンターを見ると、どなたかいらしたようです。わざわざ元旦からおこしになるとは、ちょっと予想外でした。(いや、ありがたいのですが)

さて、早速更新内容ですが、今回は前から気になっていた高畠さんの著書等々の序文と目録を整理して、改訂することにしました。早い話しが、むかし「著作一覧」の横にあった「備忘録」を整理しただけです。

前回の「備忘録」はかなりいい加減なところがありまして、内容もテキトーに書いてたりしましたので、書き直す必要に迫られておりました。で、今回は余計なことは書かずに、著書の目次と、高畠氏の序文を中心として、私の言葉はできるだけ書かないようにしております。ですから、前よりはやや見やすくなっていると思います。

今回は時間の関係で、著書の改訂までですが、次回かその次くらいには何とか終わらせたいと思っております。

それでは今年も宜しくお願いします。何分、今月はいろいろやらないといけないことがありまして、次回の更新を今月できるかどうかは微妙な状態です。何とか二月には更新しますので、気長にお待ち下さい。

それにしてもIEをver7にすると、ずいぶん見え方が変ってしまいました。他人のPCではこう見えていたのかと、改めて感心してしまいました……つまらないことですが。


以下、2006年

○12月17日(日)

第三十回:きらきら

こんにちは、珍しく一週間ぶりの更新が出来ました。

最近は一ヶ月に一回くらいのスローペースに陥ってしまいましたが、このサイトを始めた当初は、一週間に一度くらいは更新したいと思っていたりしたのでした。まあ予定は未定ですから、仕方ありますまい。

今回、予定では石川さん年譜を完成させようと(解説を除く)思っておりましたが、史料を探しに行くタイミングを失いましたので、また今度にします。其他、ムッソリーニと社会時評も、今年の更新は無理ということで、来年まで持ち越しとなります。

今回の更新は、テキストファイルのない『幻滅者の社会観』を除き、全てのPDFファイルを削除しました。理由は単純で借りているサービス・スペースが減ってきたため、もしオーバーすると分量が足らなくなって、余計な出費が殖えてしまうからです。『幻滅者』もその内にテキストデータにする予定です。(その方が私も使いやすいので)

もう一つは、短文をまとめて公開しました。これは見ての通り、「更新」と赤字であるのがそれです。赤が多いとキラキラしていて、沢山更新したように見えますね。でも実際の分量は大したことがなかったりするのです。

それと、今回更新した某論文に高畠さんの息子さんの名前が出て来ております。高畠さんの息子さんがどのような道を歩まれたのか知りませんが、ちょっと調べただけでは出て来ませんでしたので、多分有名人ではないのだろうと思います。もちろん、名前を変えていた場合は別ですが、それはもう私の手に負えませんので知りません。全集物や何かの本であれば、さして気にする所でもないでしょうが、何分ここはネット上のサイトですから、妙な所で迷惑が掛かる可能性があります。ですから、今回の更新では名前の部分は削除しております。何もないと思いますけどね。悪く言うとテキスト改竄ですが、これは本人から公開してくれと言われない限り、文句を言われても公開しません。

先にも言いましたが、今年の更新はこれで終いです。来年は一月中頃か末に一度行う予定です。来年くらいは、私の身辺事情から、サイト更新も可能だと思います。

それでは、わざわざこのページまで来て下さったみなさま、よいお年を。そして来年度も宜しくお願いします。

○12月10日(日)

第二十九回:無題

こんばんは、ご無沙汰しております。

毎度のこと、身辺多事でございますので、なかなか思うように更新もできない状態が続いております。今回の更新は、高畠関係ということで、石川準十郎氏の年譜でも挙げてみました。石川氏はごく最近まで活躍されていた方ですから、年譜の範圍は、氏の公然と主張してきた所のみに限っております。(兄の石川金次郎氏は国会議員になりましたので、名前を出してます。)

年譜を御覧になって、何処かで似たようなものを御覧になった人もいるかもしれませんが、それはまあいいのです。あれと同じと言えば同じであるし、同じでないと言えば同じでないわけです。そもそもこちらは目的からして私の個人的なものですから、書いても良かろうと思える範囲内で、私の個人的な編輯をしているわけです。個人以外に何かあるのかといわれると、如何なるものでも最終決定は個人にありますがね。

とまあ、それはさておき、なかなか個人の年譜を明らかにするのは難しいものです。本人と弟子とが作った年譜でもあれば比較的判りやすいのですが、そもそも活動範圍が判然としない場合は、なかなか調べるのも苦労します。中でも一番いらいらするのが、資料の所在は判っているが、利用の便がないというやつです。これは焦れったいものです。石川氏のことを調べるには、(私が知っているだけでも)あと幾つか資料を見ておかなければならないのですが、私には利用の便がありませんので、あの程度で止まっております。

因みに今回公開した部分は、あまり完成度が高くありません。特に国家社会主義運動を展開している最中について、少し調べる必要のある資料が手近にありましたので、まだ指摘していないものもあります。ですから、万に一も参考にしようと思う人がいたなら、注意してください。

石川準十郎氏については、また年譜を(一応)完成させた時にでもお話ししますので、今回はなしということにします。……というと、さも私が石川氏に詳しいように聞こえますが、別に詳しくありません。余計なことを吹聴しようと思っているだけですので、期待されても、期待するほどのことは書けませんので、悪しからず。

それではまた、気が向けばお立ち寄り下さい。お待ちしております。(来週の更新は微妙です。)


(*)web拍手で、ホームのフォントの間違いを指摘して下さった方がいましたが、ありがとうございました。はじめホームだけはSJISで作っていましたので、その名残で直し忘れたのだと思います。他にもお気づきの所がありましたら、宜しくお願いします。

○11月26日(日)

第二十八回:資本論の巻

こんばんは、四日ぶりです。本当はこういうことをしている場合でない差し迫った事態があったりしますが、悠長に更新しております。とはいえ、実の所、更新の作業だけでして、更新日記もこの部分を除き、既に22日には終わっております。

今回は『資本論』第一章のごく一部を更新します。本サイト開設以来、長い間「予定」もないのに「予定」と書いておりましたが、幾つかの理由で本文を出すことにしました。一番大きい理由は、本サイトの借りているメモリ量が減ってきたので、pdfファイルを始末することにした為です。意味もなく『資本論』の序文だけがpdfでしたので、これもhtmlに直してメモリを稼ごうというわけです。

もう一つの理由は、『資本論』は第三章半分まではタイプ済みでしたので、この前から少しだけ校正しておりました。その部分を小出しでもしようかという気になっただけです。こうして小出ししているのは、予想通り、既にネタが枯渇してきたからなのですが、いつまで続くことやら・・・・・・

高畠さんと『資本論』の関係は、国家社会主義の関係と同じく、種々のエピソードがあります。翻訳の為に多くの人間と戦ってた人ですから。私の知っているのはごく僅かですが、そんなことも書いてみたいと思いつつ、たぶん無理だろうなと感じるこの頃。

恐らく来週の更新はないと思いますが、また気が向けばお立ち寄り下さい。それでは今回はこれで。

○11月22日(水)

第二十七回:ようやく新企画

こんにちは、ご無沙汰しております。前回の更新が十月二十九日ですから、一ヶ月近く更新しなかったことになりますね。最近は何かと忙しくて、ついつい更新を忘れがちです。ですので、今回は何となくその気になった今日、更新することにしました。(明日は祝日ですしね)

扨、新企画の始動……などと言いつつも、本来は八月に始める予定だったものです。あの頃はまだ暑かったんですけど、今はもう寒いですねえ。十一月にして既に足の先が冷たくてしもやけになりそうな感じです。

今回公開した部分は、八月中には既にタイプ済みだった部分です。ですから校正のみで可だったわけです。それを時間がかかるので先延ばしにしていると、遂に今日この日になってしまったのでした。しかしながら校正は、案外、時間が懸かりませんでした。理由はよくわかりませんが、最近纏まった校正作業をしいなかったので、久しぶり感があったのかも知れません。それとも高畠さんの久々の社会時評だったので、単に読んで面白かっただけなのかも知れませんが、兎角、こちらとしては予想以上に進んでラッキーでした。(とはいうものの、合計すれば半日はかかってますが。)

今回の更新は『新小説』という雑誌に載った「社会時評」です。『新小説』は、春陽堂(今も健在)が出していた雑誌で、いろいろ物議を醸した議論を載せていた所です。そこには「社会時評」とか「文芸時評」とかいう時評欄がありまして、当時の有名人がかわるがわるそれを担当していました。高畠さんの担当期間は、雑誌掲載の日時であれば、大正十三年の正月から大正十四年の二月までの計十三回(一ヶ月分休みがある)。実際の日時で言いますと、恐らく大正十二年の末から十三年いっぱいに懸けての記事だろうと思います。雑誌は一ヶ月前後、実際の時間より早く出版されますからね。(理由は知りませんが)

『新小説』の広告があったか否かは記憶にありませんが、出ているとすれば、新聞広告で正確な日時が分るはずです。むかし高畠さんの『資本論』について、新聞の広告で出版日時を調べたことがあります。私の使用に便があったのは『東京朝日新聞』だけで(縮印本があったので)、マイクロで利用した『讀賣新聞』と『東京日日新聞』はそれほど利用できませんでしたが、それなりに役に立ちました。そういえば、『讀賣』のマイクロとDVDと比べた場合、DVDの画像は切れなのに、マイクロは黒くて見えなかった所があったような記憶がありますが、あれは各々底本が違うんですかね?

話しは逸れましたが、今回の更新で、取り敢えずタイプ済みの部分は全て公開となりました。ですので、残り四回はタイプからということになります。多分、今年中には終わらないでしょうが、気長にお待ち下さい。

それでは今回はこのへんで。また宜しければお立ち寄り下さい。

○10月29日(日)

第二十六回:ム氏本

こんにちは、一週間ぶりです。ここ三回ほど一週間に一度更新できているようで、私としては奇跡的な感じすら覚えております。

今回の更新は『ムッソリーニ』の最後の部分だけです。この程度でもなかなか時間が懸かってしまったくらいですから、ちょっとこれ以上の分量で更新するのは暫くの間、無理のようです。悪しからず。

しかしながら、『ムッソリーニ』も表題を出してから、かれこれもう二ヶ月も経っていたようです。しばらく放っていたことは薄々感じていましたが、二ヶ月とは!?時間の経つのは早いものです。しかしそれにもまして、新企画の「社会時評」は、本来なら8月スタートのはずだったわけですから、三ヶ月もなにもなしという……恐るべき体たらく。

ムッソリーニは皇室中心主義か否か――という高畠さんと福士氏の論争(?)ですが、なんとも時代が変わるとここまで議論の基本線も変わってしまうものかと、感心してしまいます。しかし両者ともに、文言上では、皇室中心主義は日本独自のもので、他国では真似できないということを前提としておりますね。福士氏は最後に高畠さんの国家・天皇尊重の態度に感心(?)したらしいですが、高畠さんの天皇観となると、これはちょっと難しい問題だったりします。

高畠さんの熱烈な天皇讃賞も文字上では珍しくありません。しかし通常の学説では、これは高畠さんの真意ではないといわれております。その根拠の中でも最も大きいのが、建国会のときの高畠さんの態度です。告発者遠藤無水によると、高畠さんは建国祭の祈祷(だったかどうか定かでない)に際して、いいかげんな態度をとっていたというのです。客観的で冷静な判断をする高畠さんが熱烈な天皇崇拝主義者であるはずがなく、こういう態度にこそ高畠さんの真面目があるのだ。だから文字上では天皇とか何とか謂っても、そんなものはゼスチャーだったんだ、という風に理解されるのです。

ただこれには最近反論がありまして、大塚健洋氏の「「革新右翼」の人間観と国家観―高畠素之と大川周明を中心に―」(『20世紀日本の天皇と君主制』吉川弘文館)だったと思いますが、これはそれを否定ようとしたようです。その論拠はどこにあるかと申しますと、遠藤の告発文と同じ雑誌に、読者から次の指摘がなされていたということにあるます。即ち、遠藤無水の告発もなかなか面白いが、遠藤と高畠のやっていることは結局兄弟喧嘩ではないか、と。(私は見てないですが、そうあるらしいです。)蓋し、みんな不真面目なのは同じだから、祈祷の折の不真面目な態度はたいして問題とすべきではない。それよりも、高畠が建国会の発起人の一人となり、その祈祷に参加したことをより一層重視すべきだ、というのだそうです。

高畠さんが熱烈な天皇崇拝主義者であった、などという記録は、当時のものを含めても(本人を知らないで論評しているのは除く)、多分ないと思います。大塚氏の論文の目的はともかく、高畠さん分析はそもそも論題の立て方が恣意的な気もします。津久井氏あたりの言い方であれば、高畠さんは国家及び天皇と、自分の国家社会主義が両立するものであると感じていただけであって、その意味で日本独特のそういうものを肯定するのに何等躊躇はなかった。ただ、天皇や祖先神を拝めばなんでも出来るとか、奇蹟が起きるとか、そんな風なことは考えていなかった、ということに尽きているように思います。高畠さんが客観的であったり冷静であったりするのは兎角、だから何故天皇讃美があってはならないのか。そんな風に考えること自体、戦後史観ではないか。とまあ、こんな風に思えても来ますね。

……つまらない妄言を吐いているうちに、分量が多くなってきましたので今回はもうこれで終わります。次回の更新もいつになるか分りませんが、お暇な時にでも立ち寄ってくださいませ。

ちなみに、私は大塚論文よりも、黒羽夏彦氏の「「看板」と権力意志―高畠素之の人と思想―」(『姫路法学』39・40,2004年)の方が好きですけどね。普通の人は意味が分からないと思いますが、分る人には分ると思います。

○10月23日(日)

第二十五回:再々資本論解説

一週間ぶりです。今日は半日ほど時間がとれましたので、新字体『資本論解説』の残りを補正することにしました。これで新字体版のweb上での更新は終わりです。ファイルの方は、リンクの改廃など、手入れが必要なので、また今度ということで。もっとも、新字体版は落として読むようなシロモノではないですので、特に急いで作業するつもりもありません。悪しからず。

つい先日、私のよく立ち寄るサイトに行きますと、サイトを立ち上げて以来、六周年だったそうで、しんみりと回想してらっしゃいました。私がそこを知ったのは五年くらい前ですから、随分と時間がたったものです。しかし六年もよくも続けられたものです。大抵、流行もののサイトを立ち上げてしまうと、どうしても流行の低下とともに、またはシリーズものの人気低落と共に、サイトの更新も日毎に低下し、いつしか消えてしまうものです。そのサイトは、今ではブログと呼ばれているものをサイト上で行っていたような所でしたから、一つの流行に囚われるわけでもなく、比較的手広くネタ的話しをされてました。(一定の方向ではあるんですがね)

しかしそこも最近はあまり更新がなくなり、運営もなかなか大変なのだそうです。六年も前だということは、もしかすると始めた時は学生だったかも知れません。学生の時は、本人は忙しいつもりでも、社会に出てからとは忙しさが違いますから、更新の時間もあったでしょうし、何よりも更新するネタも見つけやすかったでしょう。社会に出てからでもネタはありますが、まあ、書くわけにも行きませんから。

ともあれ、何事も続けるというのは大変です。このサイトもいつまで続けられるか不明ですが、まだ公開したい資料もありますので、何とか暫くは続けて行きたいと思っております。みなさまもお忙しいでしょうが、たまにでもお立ち寄り下さい。

そうそう、わざわざ寝言ページを作ったのに、作った途端に忙しくなって、不満をブーブー言ってる暇も無くなりました。キリのいい二十四回で更新日記は止めて、更新記録に切り替えるつもりでしたが、今暫くこのまま続けることにしました。寝言ページにはまだ何も書いてないですが、その内にもし時間があれば、高畠さんの資本論翻訳秘話(というほどではない)か国家社会主義についてでも書こうかな、と思ってます。

それでは今回はこの辺で。次回の更新もいつも通り未定です。……いい加減、社会時評を更新しないと。

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