社會時評(大正十三年一月)

高畠素之

軍隊内部の規律

戒嚴令も愈々撤廢された。が、今度ほど國民が軍隊の威力を感じた事は珍らしいと思ふ。震災直後の混亂の中で、軍人の活動する姿は如何に心強さを感じさせたことか。警察官が一向役に立たなかつた代りに、軍隊が消防も警備も勤めてくれた。食糧や飲料水の配給、患者の救療、道路や橋梁の新設と修築、通信交通機關の復舊等、震災後の應急施設は殆んど軍隊の手で行はれた。

府廳や市役所に任せて置いては、容易に埒の明きさうがない問題も、どしどし氣持ちよく片づけられて行つた。燒け落ちた橋梁なども忽ちのうちに復舊された。吾々は今更らのやうに軍隊の組織と統一の力に感嘆せざるを得なかつたのである。實際仕事をする場合には、個人個人の自我は殺さなければならない、一定の組織と規制の下に働らいてゐればこそ、軍隊にあれ丈けの仕事が出來たのだ。船頭多くして舟山に登る、といふ言葉がある。一切の實務はヨリ統一的である程、率が上るのだ。

ところが、問題の甘粕事件が起つてから、軍隊内部の組織と規制に攻撃の鋒先を向けるものが現はれた。吉野作造博士などはその發頭人である。博士に依ると、上官の命令は絶對的に服從せしめるのが、第一宜しくないのださうだ。曰く『軍隊ではどんな不都合のことでも上官の命令とあれば從はねばならぬものだと教へ込まれる。茲まで人を愚にし、常識を殺し、木偶坊にせなければ軍隊教育は出來ぬものかどうか。當局も國民も大に考へねばなるまい』

物事は見やうである。吾々の特徴として感服してゐる事が、博士にとつては『甚だ遺憾とする所』になるのである。吾々と博士との間にさへ見解の相違があるやうに、大勢の中にはいろいろ違つた見解があらう。その雜多な見解を兵卒が一々申し述べて、上官の命令を受け入れないやうになつては、何處に軍隊の特色があらう。萬一そんな改革が行はれたならば地震が搖れても戰爭が始つても、吾々は最早や軍隊の力に信頼する事が出來なくなる。

上官と雖も神樣でない限りは、何時如何なる誤つた命令を發しないとは限らないだらう。然し乍ら、上官には特別に蒙昧無智な者を選擇して採用してゐる譯ではない。軍事上の智識や經驗のより多い者を採用する事になつてゐるのだ。下官よりも氣の利かない命令を發するなどと云ふ事は殆んど異例でなければならぬ。假りに、上官が不當の命令を發する場合が頻々とあるにした處で、戰線で各自が自由意志を働かして、混亂、不統一、無秩序に陷るよりは、軍隊の職責上まだしも弊害が少ないと言はねばならないだらう。

吉野博士に依れば、甘粕事件のやうな不届きの事が起つたのは、上官の命令には絶對に服從せよといふ軍隊内部の規律が然らしむるものださうである。甘粕事件がどれ程不届きなものであるかは此處に論ずる限りでない。然し乍ら、甘粕事件が不届きである以上、各地に頻出した自警團の殺人事件も決して不届きでないとは言へないと思ふ。この自警團には『上官の命令には絶對に從はねばならぬ』といふ規律があつたかどうか。恐らく自警團には、自由主義者吉野博士の尊重される個人の自由と常識とがあつた丈けだらうと思ふ。

個人の常識に任せた處で、上官の命令に服從した處で、所詮は免かれなかつた不届きな事件である。罪は決して絶對服從といふ規律だけにあるのではなからう。それとも、相手が無政府主義者なるの故に、甘粕事件だけが特に不届きだと云ふのであらうか。否、博士等の自由主義に依れば、無政府主義者たると無辜の良民たるとを問はず、人命は等しく重大でなければならぬ。その間に斷じて尊卑輕重の差別がある筈はない。

思ふに吉野博士の此の攻撃は、平素懷抱される非軍備主義、平和主義の思想が、たまたま甘粕事件を機縁として誘發されたに過ぎぬのであらう。從つて吾々は、これに依つてたゞ博士が、甘粕事件についてすらも軍隊内部の規律を咒咀される程、しかく熾烈な非軍備主義の信奉者であることを知るに過ぎない。震災に依つて發揮された軍隊内部の規律の効果は、依然として吾々も『國民も考へねばならぬ』問題として殘るのである。

實利と名分

日本勞働總同盟では、十一月十四日主として普選實施に對する態度を決定する爲めに中央委員會を開いた。その結果『普選擧實施の曉は投票權を最も有効に行使する事、但し具體的實行方法は議會對策委員會で審議決定する事』となり、鈴木文治氏が委員長に、麻生、赤松、松岡氏等三十一名が委員に擧げられた。

すぐ勞働黨を組織して現幹部連が打つて出るか、既成政黨と提携して進むかは、此の議會對策委員會で徐々に協議されるのださうだが、何れにもせよ、これで勞働總同盟が普通選擧を、從つて議會運動を承認することになつたのは確かである。

勞働總同盟と言へば、一切の政治運動を否認する『左傾勞働團體』ではなかつたらうか。吾々の記憶にして誤りなくんば、普選反對の運動さへ起した事があつたやうである。少くとも地震前までは、經濟運動の一枚看板で通して來た事は事實である。その總同盟が今度は勞働黨に早變りしやうか、それとも既成政黨と結ばうかと云ふのだ。吾々氣の弱い見物人にとつて、氣の遠くなりさうな大變化である。

總同盟自身も、この大變化に就いてはさすがに氣がさすと見えて、十四日に長文の聲明書を發表したさうだ。新聞に傳へられてゐる處によると、其の聲明書は、これまで政治運動をしなかつたのは、勞働組合が議會によつてのみ勞働階級の解放を計る傾向に毒せられない爲めと、組合の基礎を充實する爲めとであつて、勞働階級の政治行動そのものには反對した事がなかつた、と云ふ意味のものださうだ。

勞働階級の政治運動そのものに反對した事がなかつたと云ふ辯解も人を喰つたものだが、組合の基礎を充實させる爲めには、何故政治運動を否認して來なければならなかつたのか。問ふに落ちずして語るに落ちるとはこの事である。勞働總同盟の一切の行動の基本的動力となつてゐたものは、常にこの組合の基礎を充實させると云ふ一事ではなかつたらうか。

我國の組合勞働者は、少數の謂ゆる急進思想家達の盲目的模倣者であつた。彼等には自分自身の定見といふものがなかつた。急進思想家と稱する特殊の人々に依つて暗示されるまゝに、右に左に動いてゐたのであつた。政治運動と經濟運動の爭ひ、アナとボルの爭ひと言つたところで、勞働者自身に定見あつての事ではない。たまたま少數暗示者の間に、これらの思想的分裂が明かになつたと云ふ迄なのである。暗示者が二派に分れゝば、模倣者も二派に分れる。かくして生じたものが勞働組合の所謂思想的鬪爭であり、組合勞働者の離合集散であつた。

從つて勞働組合なるものは、少數の急進思想家に隨つて行かなければ、『組合の基礎を充實する事が出來ない』のだ。嘗て山川均氏が方向轉換論を唱へた時に、勞働總同盟の一幹部が、『吾々は從來正直に山川君等の意見に聽從して來たのだ。そして山川君等の指示した道を進むならば、結局テロリズムに行くの外はないと考へて來たのだ。然るに正直な吾々を其瀬戸際まで引きづつて來て置きながら、今になつて方向を轉換しろとは何事ぞ』といふやうな憤慨を洩したのも此間の消息を語るものではないか。

其處で、勞働總同盟がこれまで政治運動否認の態度をとつて來たのは、少數暗示者に聽從し、それに依つて組合の基礎を充實するためだつたのである。震災前の組合勞働者界には、實際濃厚な政治運動否認の空氣が流れてゐたのだ。ところが、愈々普通選擧も實現されさうになつて見れば、單なる勞働組合であるよりも、政治運動をする勞働黨になつた方が、餘程得である。震災後、勞資協調會と提携してまで、失業者救濟などで世におもねつた總同盟の事だ。今度の看板塗り換へも、考へて見れば無理もない話である。

とは言へ、勞働總同盟は何しろ我國最大の勞働組合だ。平素の廣言の手前、實利實益のみで動いてゐるとは言はれない。其處で甚だ姑息ながら、聲明書か何かで變説でない事を力説しなければならなくなるのだ。協調會との提携問題などは一體どうする積りだらう。又聲明書でも發表して、『協調運動をしなかつたのは、勞資協調に依つてのみ勞働階級の向上を計る傾向に毒せられない爲めで、嘗て資本主義そのものを否定した事はなかつた』とでも云ふつもりだらうか。

廣大無邊の『治警』

鈴木文治、吉野作造氏等を始め、雜誌改造の寄稿者たる思想家諸氏が、震災後『二十三日會』といふものを組織した。この頃、その二十三日會では、治安警察法の適用を嚴重にせよといふ意見が盛に主張されてゐるさうだ。

震災前には治警撤廢といふ略語で事が足りた程、治安警察法の撤廢運動が盛んだつた。鈴木文治氏の日本勞働總同盟などは、撤廢運動の急先鋒だつたではないか。治警撤廢は謂ゆる急進思想家の合言葉のやうなものだつた。斯くの如き時代遲れの惡法は、『歐米先進國』には見る事が出來ないといふ事だつた。

その惡法を嚴重に適用せよ、といふのは石流葉沈も甚だしい。震災以來、物騷な事件が頻出するので、治警でも嚴重に適用して、國民の生命財産を保護して貰ひたいと云ふのだらうが、由來法律に保護されるのはブルヂオアの生命財産に限られるといふ話ではなかつたか。治警といふものは、プロレタリアの反抗運動を妨げる爲めに造られたものではなかつたか。

震災以來、口ばかりの急進派は戰々兢々として法律の陰にかくれやうとしてゐる。その果ては、時代遲れの惡法(だといふ)治警にまで保護されやうと云ふ事になつた。今迄目の敵のやうに罵倒してゐた癖に、よくも氣恥しくないものだ。國法それ自身は公平なものである。さればこそ、善良な國民でも小癪な急進派でも一樣に保護して呉れる。今度こそ國法の有難さが判つたか、と云つてやりたい位のものである。

吾々が前から言つてゐるやうに、治安警察法はプロレタリア側の鬪士にとつても、確かに一種の避雷針である。これある計りに、大抵の騷ぎが騷擾罪や内亂罪にならなくて濟む。その上に地震でも搖れた時は、急進派思想家の生命財産を暴民から保護してくれるのだから廣大無邊なものではないか。『歐米先進國』にないからと言つて、仲々時代遲れの惡法どころでない。今後如何に帝都が復興して、生命財産の危險がなくなつた處で、治警撤廢の復興などといふ忘恩的態度には金輪際出ないことだ。

政治家と道徳

『私も何十年間と政治の舞臺に立つて來たが、唯の一度も自分の良心に愧づるやうな行ひをしたことがない。何一つ取柄のない男ではあるが心から嬉しく思ふ』と云ふ言葉を殘して、代議士島田三郎氏は死んだ。之を報じた都下の新聞は、一齊に潔白で終始した人だとか、清い生涯を送つた人だとか讚め稱えてゐる。

或新聞では、『たゞ一度も、良心に恥ることをした覺えがない、――この一語で生涯の幕をとぢ得る政治家は、沼南翁の外幾名あらう。政治屋は多過ぎる、政治家は稀』などとまで言つてゐる。實際、氏のやうに清淨潔白な生活をしてゐた政治家は珍らしい。だが然し、政治家たるものは必ず氏のやうに清淨潔白でなければならないだらうか。潔白でなければ(この新聞記者が考へるやうに)眞の政治家と呼ぶ事が出來ないのであらうか。

然し吾々は、氏の如き人格の高潔さのみが政治家たる最大の資格であるとは信じない。人格も高潔であるに増した事はなからうが、政治家も一種の實務家である以上、政治上の實績を擧げて行く事が出來なければ、決して偉大な政治家とは言はれない。島田氏などと同じ意味で『清い生涯』を送つてゐる人は、教會へでも行つて見れば、ザラ程ころがつてゐるだらうと思ふ。

假りにこれ等の人格者計りが政界に現はれたら何うなるであらう。さぞ實績が擧らない事だらうと思はれる。大隈内閣當時、氏は衆議院議長として如何なる手腕を發揮したであらうか。矯風會員を心服せしめる事は出來ても、遂に衆議院議員を統御する事が出來なかつたのだ。衆議院議長としては、年中酒浸りになつてゐた奧繁三郎氏の靴の紐を解くことすら出來なかつたではないか。

島田氏の親友安部磯雄氏は、日本で云ふ人格者には東洋臭味や封建臭味は付きものであつたが、島田氏にはそれが無いと稱揚してゐる。東洋臭味の嫌ひな基督教臭味の立場から見たら實際その通りであらう。

教會の信者が絶えず基督教の教へ通りに動いてゐるのではない。平生は、教義と全然反對な生活をしてゐる者が多い。紳士國の人民必ずしも紳士ならず、道徳感の方は口先き丈けで感じ合つてゐる者が多いやうだ。つまり英米人にとつて、基督教と不道徳とは楯の二面である場合が多い。平素不道徳をしてゐると云ふ意識をジアスチフアイする必要上、日曜になれば牧師が必要になるのである。

分業が次第に進んで來る。吾々の齒痛を癒す爲めには齒醫者があり、惡事の敢行を圓滑ならしめるためには牧師がある。島田氏は珍らしい道徳家として、口舌の上の道徳感を滿足させる上に必要な人物であつたかも知れないが、政治家としては近年殆んど存在の意義がなかつたやうだ。近來我國には極端に歐風化してゐる者が多い。從つて口舌の上で道徳的優越感を享樂してゐる者が殖えた。たまたま島田氏の死にあたつて、氏に對する稱讚の聲が政治家としての聲價以上に過大なのは、氏の歐風道徳が口舌道徳家の享樂の對象たるに適するからではあるまいか。

復興三品

これも英米流の紳士尾崎行雄氏は、『復興三品』と題する講演で、『酒と女と煙草を止めれば、帝都復興などは易々たるのみ』と言つたさうである。どうせ口舌道徳で行はれる心配のない事だから何うでもいゝやうなものの、勞働者から酒や煙草を奪つて、一體誰の手で帝都復興するつもりだらう。救世軍の兵士や、胡瓜のうらなりのやうな文化青年の手で帝都復興などが出來て耐つたものでない。

酒や煙草が勞働者にとつて贅澤品だと考へるのが第一間違つてゐる。機械の油のやうに彼等にとつて欠く可からざるものの一つなのだ。晩酌の醉に勞働の苦痛を忘れるのは、最も手近な享樂である許りでなく、疲勞の恢復を促進せしむることにもなる。前日の疲勞を持ち越す事の如何に不愉快であるか、そして如何に翌日の活動を妨げるものであるかは、恐らく過度の勞働に疲れた事なく、柔かな寢床を失つたことのない紳士の知り得ざる處であらう。

だが、基督教道徳は、由來人間性と背反する事だけを強調してゐるもののやうだ。煙草と酒と女が罪惡の根源だと言つた處で、事實人間はそれ等の惡徳(?)から脱却出來るものでない。脱却出來ないものなればこそ、全然脱却したやうな顏をして、道徳的優越感を享樂しやうといふ人も出て來る。僞善のお蔭げで節制も出來やうと云ふものだ。

基督教道徳の所有者が、これらの惡徳から脱却したり、した眞似をしたりするのは御自由だが、過ぎたるは尚及ばざるが如し。プロレタリアは外に恰好な代用品を持ち合はさないのだ。その上購買力の上で所詮節制を餘儀なくされてゐるのだから、これ以上聖人君子にさせられては働く氣力もなくなるといふものである。帝都復興の大事な瀬戸際だ。尾崎氏自身の道徳的優越を滿足させる爲めかは知らないけれども、埒もない事を言つて貰ひたくないものである。

新聞記者の一致

吾々が職業乃至は家庭のやうな個人的生活に沒入することが尠く、割合に多くの心的餘裕を持つてゐる場合には、個々の社會現象に就いてもそれだけ豐富な定見も、深刻な批判も下すことが出來るのである。その反對に、個人的生活に沒入することが多ければ多い程、それ等の批評や定見は失はれて行くものだ。然るに個人の生活は段々忙しくなつて行く。職業人として、乃至は家庭の主人として相當な定見を持つてゐる人も、専門外の事象、即ち直接關係のない社會現象などに就いては、次第に無批判、無定見になつて行くのである。たゞ生活の多忙と規律に疲れてゐる心が、社會現象に對しても絶えず強烈な刺激を求めてゐるだけだ。

今日の新聞は、かう云ふ一般人に對して新らしい事件を報導しやうとしてゐるものである。だから出來るだけ事件を刺激的に傳へやうとする計りでなく、絶えず新奇な特種を報じやうと競爭してゐる。吾々は時々、自分等が直接見聞した事實と、新聞の報導とが非常に相違してゐる事を發見させられる。然し一般の讀者は、事件の眞相と報導とが一致してゐるか何うかを知らないのだ。無心の讀者の腦裡には、新聞記事そのまゝのものが事實として映る。そして其の新聞事實が刺激的であればある程、深く心を捉へられるのである。

新聞は報導本位のものだ、と稱せられてゐるが、實際上新聞は決して報導計りではない。重なる事件については、必ず何處かに批評が載つてゐる。社會記事にした處で、事件の取扱ひ方で讀者にも明かに記者の批判が感知される事が多い。そこで社會現象について全く盲目的であり、無定見である讀者は、社會現象の批判と報導についての専門家たる新聞記者に、全然服從し支配される事になるのだ。

故に同じ社會現象に對して、多くの新聞記者の批判が一致する場合には、新聞記事に支配されてゐる處の一般人の批判も、また從つて一定する事になる。若し新聞の批判が二樣三樣に分れて居る時には、讀者の批判も亦二樣三樣に分れるのだ。この傾向は個人的生活が多忙になる程著しくなるのである。吾々がかゝる傾向の實例を見る機會も從つて多くなつて來る。

最近では島田三郎氏に對する報導や、甘粕事件などに對する批判も、この實例だと言ふ事が出來やう。島田氏の潔白なる生涯の讚美と、人道主義的反軍國主義的思想からする甘粕事件の批難とに、多くの新聞記者の主觀が計らずも合致したのだ。かくして生じた新聞の報導と批判とに、一般人は無反省に盲從し支配されてゐるのである。新聞に支配されるものが殖えて來たからと云つて、必ずしも基督教道徳や、人道主義が永續的に一般人の心を占領するやうになつた譯ではない、假りに何等かの他の事件で、各新聞の間に、思想的には人道主義や基督教と反對な批判が一致するとせよ、その場合には一般人の批判も多く新聞通りに動いて行くことになるのである。若し夫れ、新聞の批判が安價な人道主義で一致することが多くなつて來たとすれば、一般讀者ではなくて新聞記者の間に人道主義者が多くなつて來たまでゞある。

『新聞記者は無冠の帝王だ』といふ。全く一種の帝王である。然し乍ら此の帝王の支配力たるや、藝人が高座で聽衆の洪笑を支配する力と大差のないものである。瞬間的には甚だ偉大な力を持つ。然し乍ら永續的には何等の力もないものである。新聞といふ一種のメガホンに依つて、新聞記者といふ暗示者が大聲を擧げて叫ぶと、盲目な模倣者が一時服從して行くだけの話である。かくして生ずる『民衆の意志』なるものの一々に、右顧左眄してゐる識者がある事を思ふと、新聞及び新聞記者の持つ今日の職分も、案外罪なものであると言はなければならない。


底本:『新小説』第二十九年第一號(大正十三年正月)

改訂履歴:

公開:2006/04/10
最終更新日:2010/09/12

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