社會時評(大正十三年二月)

高畠素之

言論より暴力へ

社會思想界で、昨年ほど言論の權威がなかつた年はなく、また血なまぐさい暴力沙汰の多かつた年もなかつた。福田時代だの河上時代だのといふ言葉の流行した頃に比べると、まるで隔世の感がある。當時、雨後の筍のやうに輩出した社會思想家は、悉く鳴りを鎭めてゐたやうだし、改造、解放等の論文で、一つとして吾々の記憶に殘るやうなものはなかつた。

これにはいろいろな理由もあらうが、結局一般民衆に、同じ理論を反覆してゐるとしか見えない言論が倦かれたのではなからうか。理論が何等の現實力をも持たない場合には、理論そのものの發展乃至推移が、極めて活溌に行はれなければ、決して一般人の興味を刺激し得るものでない。憲政常道論などといふことが如何に反覆されたところで、理論の發展も現實力も生じない以上、民衆の興味は次第に遠ざかつて行くばかりである。

同一乃至類似の理論が、一般人の興味を刺激しなくなるに從つて、賣るためのみに存在する雜誌乃至新聞は次第にこれと遠ざかるのだ。吾々の記憶に殘る言論のなかつたのは、急速に發展推移して來た理論のなかつた爲めであり、雲霞の如き社會思想家がその影を潛めたのは、雜誌新聞に遠ざかられたが爲めであらう。

それに引かへて、暴力沙汰の著しく殖えて來たのは、言論の能力と非現實性が生んだ反動ではあるまいか。なかには、言論戰の戰線には立てないから暴力沙汰に及ぶのだなどと云ふ人があるかも知れない。然し赤化防止團へ暴れ込んだ高尾平兵衞だつて、必ずしも言論戰の鬪士たり得ない譯はないのである。より、暴力派の全部が言論戰の落伍者だとした處で、彼等の擡頭が言論の能力に對する反動といふ論理が成り立たない筈はない。言論が強力な支配力を持つてゐるならば、何處に暴力の動く餘地があらう。言論が無力なればこそ、『言つたつて埒が明かない』といふ暴力派も飛び出すのである。

弛緩と頽廢の時代。憲政常道論と千邊一律の社會主義樂園説がその魅力を失つて、暴力だけが巾を利かしてゐるこの混亂時代は、強力な魅力を持つ新らしい理論が現はれるまで、日本の思想界に續くことであらう。

人格の幻想化

三宅雪嶺博士は人格の高潔を以つて一世に鳴る人である。政教社同人に言はせれば、『世界中の道徳を一人で支持してゆかう、といふやうな文書を多年發表して』ゐられた人である。然るに博士は、十數年の城塞である政教社と『日本及日本人』を弊履のごとく捨てて、愛婿中野正剛氏と新雜誌を創刊された。

十數年間の同志を捨てゝも、愛婿の仕事を援けやうといふのは、凡夫凡人の社會では別段珍らしい話ではない。が然し、『何十年來となく社會の最高人格者と信じ』られてゐた博士が、血縁的愛着と金錢上の問題とのために、多年の同志と絶縁された(と傳へられる)のだから、一寸驚嘆する迄である。

絶縁の眞因が果して何處にあつたか、それは吾々門外漢の容易に知ることの出來ない問題であらう。然しながら、假りに今日まで發表されてゐる處を信ずるとすれば、絶縁の主要な動機は次の諸點だと想像される。即ち第一は中野氏と共同の雜誌を經營する事で、それがため『日本及日本人』と『東方時論』との合併を計畫された。然るに昨年の大地震のため、元來負債の多い政教社は一層の負債を生じたのみならず、新資金の調達が困難になつて來た。その結果、『日本及日本人』の看板だけを持ち去つて新雜誌を創刊しやうとされたのである。

これだけでも、既に『最高人格者』には不似合な話だのに、發行署名人を味方にして、雜誌協會へ發行權を主張して見たり、保證金の所有權を問題にしたり、さては舊同人に覺書を突き付けたりされたのだから、博士を聖人君子と信じてゐた同人たちも幻滅の悲哀を感じる筈である。

絶縁された政教社同人の手で復活した『日本及日本人』の新年號を見ると、絶縁の顛末やその前後の事情が、數十頁に亘つて發表されてゐる。『「君子は交を絶てども惡聲を出さず」といふ事は同人皆承知して居』るにも拘らず、これ丈けの頁を割かねばならなかつたのだから、よくよく腹に据えかねたものと見える。

然しながら、いくら雪嶺(1)博士だつて血の氣の通つた人間だ。政教社同人や、一般世間の讀者が信じてゐたやうな、人間離れのした人格者などが、今時ある筈のものではない。世界中の道徳を背負つて立つやうな顏をして見たところで、それは神樣でなければ出來ない藝當である。それを掛け値なしに聖人君子であり、人格者であると信じるのが抑も間違でなければならぬ。

齡六十を越えて、一介の凡夫に墮落して終つた三宅博士もお氣の毒だが、所詮人間には把持して行けない『最高人格』を、多年看板にして來られたのが大膽すぎた。始めから凡夫らしくしてゐれば、愛孃某子を世に出すため『女性日本人』を創刊したところで、誰も惡くは言はないものを!

三宅博士と政教社の問題ばかりではない。信じてゐた人格者に裏切られると云ふ事は、よく聞くところだ。然し絶對的な人格者といふものは、吾々の幻想の世界にあるだけで、現實的には決して存在してゐるものでない。それを偶々何かの一面で、高潔な人格を示されると、つい絶對的な人格者に幻想化して見たくなるのである。誤りのもとは、何時も此處から生じる。もともと幻想化した人格なのだから、何時かは幻滅の日が來るのである。吾々のイリユージヨンを利用したのが狡猾だと云つて憤つて見ても、濟んだことは歸らないのだ。覺めたら夢だと思つて諦めるの外はないのである。

憲政擁護の大旆

虎の門の不敬事件は、さなくとも倒壞する筈だつた山本内閣の死期を早めた。歳末年始の惶しい空氣の中で、取敢えず組織されたのが清浦内閣である。吾々にしたところで、今更ら清浦内閣などに大した期待も興味も持てるものでない。吾々に期待や興味を持たせる内閣など、どうせ滅多に成り立つものではないのだから、取り敢えず間に合はせの内閣として可もなく不可もなし位に思つてゐるのだ。

ところが、その清浦内閣に對して、衆議院の各派は一齊に『倒閣運動』を起してゐる。鳶に油揚げを浚はれたやうな政黨各派が、むきになつて反對してゐるのは先づ無理もない事だと同情はするものゝ、その言分を聞くと一寸茶々を入れたくなる。

政黨各派に言はせると、民意を基礎とする衆議院を無視して、貴族階級が内閣を組織するのは憲政の逆轉であり、衆議院と國民全體の恥辱ださうだが、原内閣以外に衆議院を基礎とする内閣などあつたであらうか。若しそれ貴族官僚の如き封建的保守階級の手に政權の移ることが憲政の逆轉であるならば、日本の政治は絶えず憲政の逆轉を反覆してゐるものだと言はねばならぬ。最近の山本内閣にした處で、政黨出身の大臣といふのは、犬養一人であつた。然も犬養は常に、革新倶樂部を代表して入閣したのではないと稱してゐたではないか。清浦内閣が特權内閣ならば、山本内閣も亦特權内閣でなければなるまい。しかるに、山本内閣時代には一ぱし忠義顏をしてゐた革新倶樂部や憲政會が、今度は憲政擁護の先頭に立たうといふのだから驚かざるを得ない。

また、特權内閣打破のために開かれた衆議院各派及び新聞記者有志の聯合協議會で、革新倶樂部の某代議士は『思想上から考察するも、斯る内閣を存在せしむることは階級鬪爭を激成するのみである、思想の善導どころか思想は益々惡化する』と稱してゐるが、貴族内閣が存在するために激成される階級鬪爭とは果して如何なる鬪爭であるか。これを『思想上から考察するに』に、恐らくそれは傳統的支配階級である封建的貴族階級と、新興搾取階級であつて而も尚政治的被支配階級たるの地位を完全に脱却し得ざる資本家階級との鬪爭であらう。

近代的意義に於ける階級鬪爭とは、經濟的被搾取階級たるプロレタリアと、經濟的搾取階級たるブルヂオアとの鬪爭を指す。プロレタリアの鬪爭本能は、ブルヂオアが政治的被支配階級から政治的支配階級に進んで來れば來る程刺激されるのだ。プロレタリアの階級的敵手は、封建的貴族階級ではなくてブルヂオアである。政權が貴族の手にあるよりも、ブルヂオア政黨の手にある事が、より多く『階級鬪爭を激成する』のだ。

政治家諸君がいふところの『思想の善導』とは、多分ブルヂオアに對するプロレタリアの反抗思想を緩和することだらうと思ふ。果して然らば、思想の惡化は特權内閣よりも政黨内閣の出現に依つて、より甚しく行進するであらう。主義者の蠢動、不敬事件の勃發などといふ思想惡化の當節、貴族内閣の出現は思想善導のため大いに慶賀すべき現象ではなからうか。

衆議院各派の憲政擁護と特權内閣倒壞の運動は『思想上から考察する』と貴族階級とブルヂオアの政治的支配權に對する鬪爭であり、貴族内閣の存在はブルヂオア議會とブルヂオア全體(國民全體ではなく)の恥辱なのだ――と言はねばならないが、然し政治家の行動などは思想上から計り來てゐる譯でないのだ。黨利、私利、私情が彼等の行動の根本動力である。黨利、私利、私情の上から、都合の惡い内閣が出來た時には『憲政擁護』の一枚看板を持ち出すのだ。そして、いくら憲政逆轉内閣でも、自分達に都合がよければ默つてゐるのである。かう云ふ憲政擁護運動に、何時でも新聞記者が尻馬に乘つて騷ぐといふのも、封建的貴族階級を唯一の敵手と觀るブルヂオア的自由精神が彼等の骨の髓まで浸み込んでゐるからである。

政治家の結合

特權内閣反對のために、政黨各派がいままでの爭ひを打ち忘れて、協同の運動を起さうとしてゐる今日此頃、政友會の内部では幹部派と幹部改造派とが、互にしのぎを削つて、抗爭してゐる。幹部派の方では、いふまでもなく特權内閣反對を呼號してゐるのだが、改造派は自黨の幹部が政權を握るよりも、清浦内閣がまだ増しだといふので、現内閣支持を主張してゐるさうだ。

政黨は主義政見を同じくする者の結合だといふ。然るに同じ政黨の内部で、自黨の幹部よりは寧ろ憲政の敵たる特權内閣へ好意を寄せやうと主張する者がある程だから、兩派の抗爭が如何に激甚を極めてゐるかゞ想像される。これでは、主義政見を等しくする政黨の本領が何處にも見られないではないか。

然し主義主張の一致だけで人間の結合が行はれるなどといふ事は、事實上滅多にないのである。政黨と稱する政治家の結合團體で、主義政見だけが黨員相互を結合する紐帶となつてゐるなどといふ事は、金輪際ない筈のものだ。政黨として結合してゐることが、何等かの意味で黨員の利己的欲望を滿足させるものなればこそ、所謂愛黨の精神も湧くといふ譯だ。

原敬のやうな偉大な黨首がゐる間は、兎に角黨員相互の利己的欲望も衝突せずに濟む。所謂黨員の操縱が巧みに行はれてゐるからだ。然るに完全な操縱者がゐなくなると、操縱者の爲めに抑制され調節されてゐた黨員相互の欲望が、絶えず衝突することになるのである。幹部派と云ひ改造派といふ政友會内部の勢力爭ひなども、要するにこの抑制され調節されてゐた利己的欲望に外ならない。

ロシアに於ける共産黨の内訌が丁度それである。レーニンの隱退に依つて共産黨は、その統帥者(2)、操縱者を失つた。黨員相互の野心は勢ひ衝突せざるを得ない。ブハーリン一派の左傾派と共産黨幹部派との抗爭は、最早や主義主張の爭ひではなくて、單なる勢力爭ひに墮してゐる。主義主張の上ならば一致すべくもない最右翼までが左傾派に加つて、共産黨は今や幹部派非幹部派の二つに別れてゐるのだ。しかも、幹部の一人であるトロツキーまでが、公然非幹部派に組みして幹部攻撃の筆陣を張つてゐるのを見ると、人間の行動を決定する最大動力は、決して主義主張などでないことを感じさせられる。

主義政見のみに依つて結合されてゐるならば、原敬なくともレーニンなくとも、主義政見そのものが、一黨の統帥者となり操縱者となる筈だ。主義政見が、利己的欲望を充足する爲めの看板でない迄も、政治家の唯一の結合紐帶でないことは、露國共産黨とわが政友會とが雄辯にこれを證據だてゝゐる。


底本:『新小説』第二十九年第二號(大正十三年二月)

注記:

(1)雪嶺:底本は「雲嶺」に作る。
(2)統帥者:底本は「統師者」に作る。下も同じ。

改訂履歴:

公開:2006/11/22
最終更新日:2010/09/12

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