社會時評(大正十三年三月)

高畠素之

國旗の威力

政治季節になると年中行事のやうに國民大會が開かれる。日比谷公園や山王臺へ、人足や浮浪人を買ひ集めて來て、から元氣を示すのがそれだ。だしにされる國民こそいゝ面の皮だが、これも年貢だと思つて諦めるの外はない。その國民大會が今年も開かれた。言ひ分は憲政の擁護にある。

何時ものやうに、憲政會院外團がやるのでなく、錚々たる代議士も馳せ參じ三派聯合で景氣をつけるのだから、近年にない賑かな國民大會だつた。そして、例に依つて民衆と警察との衝突が起つた。ところが、その衝突の最中、警官に拘引される一人の會衆が、手に持つてゐる小旗を引き裂かれたのである。護憲派の代議士達は、これを由々しき大問題だと言ひ出し、首相及び内相の問責といふ騷ぎとなつた。即ち國旗凌辱事件といふのがそれである。

國旗の神聖は今更ら護憲派の代議士づれに教(1)へて貰ふまでもない。然し國旗を持つてゐれば、何をしてもいゝと云ふ譯には行かないのだ。いくら彼等が會衆に國旗を持たして見た處で、警察の立場になつて見れば相當の制裁も加へねばなるまいし、檢束もしなければなるまい〔。〕檢束と反抗の騷動の中で、國旗の一つ位溝へ落ちやうが引裂かれやうが、構つてゐられるものでない。そんな事が、首相や内相の問責される可き重大問題だと云ふならば、國旗を捧げて強盗掠奪に押し廻つて見たい位のものだ。如何に神聖な國旗でも、國法を蹂躪し社會の秩序を破壞する威力はもたない筈である。

一體、護憲派代議士が云ふごとく神聖な國旗を、日當何圓で雇入れた人足共に持ち廻らせるのが間違ひだ。國民大會と警察の衝突は、昔からきまつてゐる。暴行、檢束は國民大會につきものなのだ。さう云ふ場所へ、何故神聖な國旗を持ち込ませたのであらう。國旗問題が彼等の云ふ如く大事件ならば、責任の全部は主催者側にある。國旗の光りで取締りを免かれようなどと蟲の好い事を企てゝ見た處で、さう安々と問屋がおろすものでない。

政府反對の心理

内閣彈劾、憲政擁護の運動は、表面だけにしろ大した勢である。新聞だけを讀んでゐると、清浦内閣はまるで國民の仇敵ででもあるやうだ。極めて淺いものであらうが、護憲運動には兎も角も人氣が集つてゐる。

かう言ふ現象を見て、吾々の考へさせられることは、政府反對といふ看板は、何時でも淺いながら廣い人氣を集めると云ふ問題だ。雜誌や新聞の編輯者などは、原則として政府反對の立場をとるやうだし、國民大會などが開かれれば雇ひ人足も多いだらうけれど、野次馬も可成り集まるのである。即ち何時の場合でも政府は一般の反感を蒙つてゐるやうだ。これは一體何故であらうか。

公平に考へて見れば、どの内閣だつて惡いことばかりしてゐるわけではない。清浦内閣だつて具體的な仕事もしないうちから攻撃する程のものでもない。それにも拘らず内閣反對の運動には妙に人氣がつく。政友會の脱走組なども政府反對の運動に加らなかつたお影で、大變一般の人氣が惡いやうだ。脱走組にも惡い處があるだらうが、謂ゆる護憲派の代議士だつて滿更ら聖人君子ばかりでない。それにも拘らず、在野黨と言へば一寸好意を持つ氣になる。この心理はほゞ一般に共通してゐるやうだ。

元來吾々は一定の社會的規制の下に生活し、社會的規制に抵觸する自我を抑へることに依つて社會的生活を續けてゐる。吾々の自我は不斷に掣肘されてゐるので、常に一種の壓迫を感じ之に反撥しようとする。ところで、自我の抑制そのものは、必ずしも吾々の意識によつて來る譯でなく、從つて一々の自我が抑壓される對象が、そのまゝ反撥の對象として意識される譯ではない。されば吾々に對して政治的支配力を有する者に向つて、抑壓されてゐる自我の集積が盲目的に反抗しようとするのである。この反抗は極めて微弱なものであり、また潛在的のものである。

政治的支配力を代表する内閣に對して反抗の叫びがあげられることや、政府の物理的權力を構成する警察官との衝突沙汰が、吾々の心理に輕い共鳴を呼び起すのは、即ちかゝる潛在的反抗慾が充足され滿足されるからである。政府と反對者との何れに是非があるか、警官と民衆の何れが正しいかを究めるのは、理性の問題であり、無意識に雷同するのはかゝる反抗慾の發動に外ならない。

一般人の生活が多忙になり、專門外の事物に對する批判力が衰へるに從つて、かゝる潛在的反抗慾に對する迎合が、何の障害もなしに受け入れられる。そこで、新聞や雜誌は多くの場合政府反對の立場をとり、政界の野心家は反對の氣勢を擧げることになる。一般的の輿論なるものが斯くして生じる。考へて見ると馬鹿々々しい話である。

水鳥の羽音

議會で内閣攻撃の火の手があがつてゐた頃、徳川義親侯は貴族院で貴族内閣彈劾のために處女演説をやつた。何しろ政府に反對することを最上の人氣収攬策と心得てゐる新聞ばかりのこととて、『目覺めたる侯爵』だとか『貴族院の新人』だとか、大變な評判になつてしまつた。

評判は大したものだつたが、論旨は一向大したものでなかつた〔。〕清浦内閣の成立が憲政の本義に反するとか、憲政布かれて數十年の今日尚憲政擁護の聲を聞くのは頗る遺憾だとか云ふことは、あきあきする程聞かされてゐる。吾々が文學士理學士の新人侯爵に聞かして貰ひたかつたのは、清浦内閣の成立に依つて蹂躪され、國民大會に依つて擁護される憲政とは抑々何であるか、と云ふことだつた。

政黨に基礎を置かぬ内閣が非立憲であるといふ議論は現在の日本に通用しない。内閣組織のことは全く大權に屬するのである。政黨を基礎とすべしなどといふ規定は何處にもない〔。〕それで事實上、政黨内閣が容易に現はれないのは、我國における政黨の政治的支配力が甚だ微弱だからである。

我國における政黨は、主としてブルヂオアの勢力を背景とする。然るに、ブルヂオアの發達は極く最近のことであつて、歐米先進國のブルヂオアの如き政治的勢力を存しない〔。〕貴族階級の手にあつた政治的支配力は、漸次ブルヂオアに侵蝕されて來たが、然しまだ完全にブルヂオアのものとはなつてゐない。今日では未だ貴族の勢力が優つてゐるとも見られる。そこで、政權が貴族階級の手に把握されるやうな場合が生ずるのである。憲政擁護運動なるものは、貴族の政治的支配力に對する反抗である。護憲派代議士に言はせると、『貴族と平民の爭ひ』ださうだが、吾々の用語に飜譯すれば、貴族とブルヂオアの政權爭奪戰である。

ブルヂオア及びそれを背景とする政黨の勢力が盛になり、貴族階級が全然政治的支配力を喪失して終へば、もう護憲運動の起り得る餘地はない〔。〕ブルヂオア政治、換言すれば立憲政治が確立されるのである。だから、ブルヂオア及び政黨の勢力を『用語』してゐさへすれば、自然に『憲政有終の美』を發揮し得るといふ結果になる。

憲政布かれて數十年、といふ言葉を終始聞くが、この意味における憲政は、數十年前はおろか現在だつて確立してゐない。憲法政治必ずしも憲政ならず、歐米先進國の政治が憲政の實を具へてゐるのは、ブルヂオアの政治的勢力が盛だからである。政治的勢力の微々たる日本のブルヂオアにとつて、憲政は絶えず擁護すべき状態にあるのだ。然も護憲運動が連續的に行はれないのは、ブルヂオア政黨と貴族との政治的利害が、必ずしも衝突するものと限らぬからである。

政界における根本的傾向以外の、個々の離合集散は必ずしもかゝる理論の支配を受けてゐる譯ではない。從つてブルヂオア政治家と貴族政治家とが、絶えず敵對の關係に立つとは限らぬのである。だから、同じやうに憲政を蹂躪されてゐても、ブルヂオア政治家と貴族政治家との間に抗爭が起らなければ、憲政擁護の運動は生じない。憲政擁護が叫ばれるのは、要するにブルヂオア政治家と貴族政治家との間に衝突が生じた時である。この場合ブルヂオア政治家は背後にあるブルヂオアを動かし、政治的被支配階級たるプロレタリアをも渦中に捲き込まうとするのだ。『貴族と平民の爭ひ』と稱し、『貴族内閣は階級鬪爭を激成する』と唱へるのは、即ちそのためである。

徳川義親侯はこの護憲運動を水鳥の羽音ときいたに違ひない。さればこそ、清浦内閣は貴族に對する國民の反感を招來するものとし、『我々貴族は噴火山上にあり』と叫んだのであらう〔。〕然しブルヂオアの反感を國民の反感と混同し噴火山上の危機を感じたのは新人にも似合はない話である。今日のプロレタリアは護憲運動位に利用されはしない。却つてブルヂオアと貴族の政治的鬪爭を利用して、漁夫の利を占めやうとする位のものだ〔。〕もし夫れ斯かる政治的鬪爭が永續し白熱化することがあるとすれば、危險なのはブルヂオアの立つ噴火山である。

水鳥の羽音に驚くのは、畢竟、貴族の小心と怯懦とを語るものであらう。『目覺めたる侯爵』の名を恥かしむるばかりである。その上、得手勝手な護憲運動の尻馬にのつて、ブルヂオア政治家に利用されるなど、侯爵が清浦首相に向つて發した言葉を、其儘返上したい位のものぢやないか。曰く『如何に世情に疎いかを曝露し、貴族全體の名譽を傷つくるものだ』。

權勢慾の強さ

特權内閣打破、憲政の擁護が帝國議會で叫ばれてゐる當時、京都の西本願寺議會では不信任案が提出されて、當局と在野黨議員との間に劇しい鬪爭が行はれてゐた。そして、二月六日には不信任案が通過し、突如議會が解散されたさうだ。西本願寺議會の存在は、不幸にして今まで知らなかつたが、議會の停會、解散、總選擧などといふ段取りが(2)、すべて帝國議會と同じなのに驚く。

一寸飯事でも見てゐるやうな滑稽味を感ずるが、然し私立大學の擬國會などとは違つて、政府當局とも云ふ可き内局と野黨議員の間には猛烈な權勢の爭奪がある。あまり俗事に拘泥しない筈の僧侶達の間に、こんな爭があるのを見ると、今更らのやうに文明人の持つ權勢慾の強烈さを感じる。實際、帝國議會でも村會でも、私的な團體でも少さな村でも、苟も人間の集つてゐるところでは、權勢慾の鬪爭が絶えないのである。

今日の文明人を動かしてゐる根本的欲望は優勝慾である。この優勝慾は權勢を獲得することに依つて、最も端的に充足されるのだ。帝國議會なり本願寺議會なりで權力を握つた場合、其權力の行使に依つて、最も明瞭に最も確實に優勝慾が充足される。私的團體の首腦に立つ場合でも、兎に角多少の他人を支配し得る。村會議員の椅子を爭ひ、小さな集團の中で勢力を競ふと云ふ現象はかうして生じる。周圍の條件が違ふに從つて對象の差が變るだけだ。我鬼大將にならうとするのも、所詮は同じ要求なのだ。考へて見れば小さな所謂野心家も滿更ら輕蔑することが出來ない。

兵卒の手内職

秋田歩兵第十七聯隊の兵卒達は、日曜日の外出や酒保通ひもやめ、擧つて毛絲編物や觀世撚細工の手内職をやつてゐるさうだ。兵卒と手内職といふ對象が第一不似合なのに、同じ手内職でも最も女性的な毛絲編物といふのだから吃驚する。男性の女性化、女性の男性化などと云ふが、兵卒の毛絲編物はあまりに女性化すぎる。

新聞によると、ある兵卒が國民の精神作興詔書の奉戴紀念に、觀世撚細工を初めたのが動機ださうだ。『觀世撚細工は更に地方の本職の手に送つて加工した上、毛絲細工は其儘地方の商人に賣渡す事にしてゐるさうだ』が、國民精神作興詔書の紀念にしては世帶染みたものである。『聯隊長も大いに乘氣でこの内職を奬勵してゐる』といふのだから、國家の干城も臺なしの感がある。

一切が貨幣を中心として動いてゐる世の中だ。軍人だけに武士は喰はねどの精神を求めるのは無理だ。然し毛絲の手内職はで奬勵するのは心細いことである。内職に努力する兵卒も兵卒なら、之を許容し奬勵する將校も將校だ。毛絲編物などは兵營へ持ち込む可き仕事でない。これが國民精神作興詔書を紀念する道であらうか。第一、酒保へも行かず、日曜日の外出もせず、こんなことに勢力を消耗してゐては、軍人精神の保持さへ覺束なからう。

考へて見れば、兵卒や軍人も氣の毒である。國家の干城とは言へ、今日の社會で現在の待遇では、高潔な精神も持ち兼ねるであらう。平和主義だの軍備撤廢だのといふ聲は聞くが、軍人の待遇が改善されたことはない。十何錢の日給を貰つてゐる兵卒の身になれば、つい内職もしたくならう。彼等の精神を作興するためには、世智辛い風が骨身に沁むといふ状態を超越される必要がある。いざとなれば頼りにしなければならぬ兵隊である。もつと優遇してやつても罰があたる譯でない。手内職の奬勵が流行するようになれば、それこそ軍隊の監獄化だ。願はくば兵卒の手内職などといふ滑稽な現象を一掃して貰ひたい。


底本:『新小説』第二十九年第三號(大正十三年三月)

注記:

※句読点を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)教:もと「數」
(2)段取りが:もと「段取りか」

改訂履歴:

公開:2006/11/22
最終更新日:2010/09/12

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