社會時評(大正十三年五月)

高畠素之

キリスト教的社會運動

賀川豐彦氏を中心に『イエスの友大工生産協同組合』が出來、東京地方職業紹介事務局長遊佐敏彦氏を中心に、キリスト教徒の印刷生産組合『使命社』が出來た。此のところキリスト教生産組合大流行といふかたちだ。

大工の方は、震災で東京へ稼ぎに來た大工の失業者軍から成る。何も東京だつて大工がゐない譯ぢやない。家だつて無限に建てる譯でないのだから、金儲の夢を描いて砂糖にたかる蟻のやうに續々入京した大工の全部が仕事に有りつけるものでない。仕事に有つけないとなると、『おほくの東京市民が困窮してゐるのを見ながら、自分一人が一日六圓の七圓のといふ賃銀をむさぼるのは申し譯ない』といふ氣にもなり、『無償奉仕』も申し出でたくなるものである。

かう云ふ心掛のいゝ連中が寄り集つて、花柳病醫院の無料診察の如く、『無償奉仕』を看板とし、建築の請負、洋家具の製作、住宅の經營をやらうと云ふのだ。純益は、先づ賃銀を支拂ひ殘額の五割を共同資金に積立て、二割を組合員の互助費、三割をイエスの友會事業費に當てるさうだから、無償とは言へ儲けぬつもりではないらしい。

印刷組合の方は、御木本眞珠工場が解散したので、その失職工が自衞のために始めたものである。印刷工でもないのに、震災後大景氣の印刷工場經營と考へた處は、キリスト教徒だけに頭がいい。この生産組合では、工場建設、機械買入れ等に借入れた資金を回収した後の純益を、精神運動と社會運動に投じて行くといふ。然し、印刷所といふものは、澤山の固定資本が要るものである。組合員は十名ばかりださうだが、共有財産を頭割りにして、一名分約一萬圓位にならなければ、普通の印刷所になれぬのである。それも儲け出した上の純益が上るのは前途遼遠であらう。

此二つの計畫が、果して豫定通り行くかどうかは判らぬが、うまく行けば無から有が生じ、勞働者から大なり小なりの資本家になれる者も出來る。こんな組合が無數に出來て、勞働者にも資本家への道が開かれれば、資本家(1)希望の勞働者は救はれるであらう。『イエスの友』と『使命社』も、之をキリスト教的社會運動のためと稱してゐるやうだが、由是觀之、キリスト教的社會運動とは被搾取者を搾取者へ引上げてくれる運動らしい。それならば、『キリスト教的社會運動』は單なる社會運動と嚴重に區別して貰はなければならぬ。社會運動といふものは、斯樣なキリスト教的の運動とは氷炭相容れざるものであらう。

大使の本領

殿樣藝の戲曲か何かで存在を認められてゐたフランスの大使クローデル氏が、交迭させられさうになつた。これを聞いて吉江孤雁、石井柏亭などといふ日本の藝術家諸君は、奮然立つて引留運動を起したものである。帝國ホテルに會合して、同大使が『藝術的に盡した功勞を惜み』、引留の決議文をつくり、之をパリーの各新聞へ送つたりしてゐた。

然し大使は何も日本の藝術家と交渉する爲に派遣されてゐる譯でない。(2)藝術的にも盡さぬより盡した方がいゝに違ひないが、そんな事は末の末である。大使の本領はもつと政治的な仕事にある。その本領の方から見て、現在の駐日大使としてクローデル氏が果して適任か何うかは、フランス政府でなくては判るまい。

フランスの政治とは全然關係のない日本の藝術家諸君が、大使留任の運動を起すなどとはお門違ひも甚だしい。諸君が若し、一切の政治的事情とクローデル氏の政治的手腕とを無視して、藝術的功勞のために留任を希望するのは、お目出度い『藝術至上主義』だと言はねばならぬ。それ程、藝術家としてのクローデル氏に愛着を持つならば、何も強ひて大使としての留任を望む必要はなからう。大使などやめて日本に止つて貰へばいゝぢやないか。そして早稻田大學佛文科の講師にでもなつて貰へばいい。諸君が云ふところの、藝術のため、且佛文化のためにはその方がよ程いいだらう。

尤も、駐日フランス大使などと交際し、大使館へでも出入することに依つて、社會的優越感を享樂し、傍ら自分達の仕事に社會的な金箔をつけやうと云ふのなら仕方がない。が、この頃は浪花節語りでも内相官邸へ出入できるといふ時勢だ。フランス大使館位ぢや、あまり名譽にもなるまいぢやないか。

杓子定規を望む

運動熱が盛になつて來たので、學生選手の國際競技出席だとか、海外遠征だとか云ふことが盛に行はれる。ところが、これ等の選手には、一年志願兵條例細則第二十三條で『修學の實ある者』として入營を延期されてゐる者が多い。

修學の實といふのは、病氣其他正當な理由ある場合の外、一定の出席日數だけ學校に出てゐる事を指す。其處で、事實海外で數ケ月間遊んでゐる選手は修學の實がない事になるので、陸軍當局は種々熟慮の結果、政府の認める國際競技に出場する者の外は、修學の實なしと認めて容謝なく入營させる事にしたといふ。

學生の運動は勿論結構である。しかし學生は運動そのものを修學の目的としてゐる譯でないからには、運動も修學の目的に差支ない程度の餘技に止めたがいゝと思ふ。旅藝人ぢやあるまいし、三月も半年も巡業して歩るいてゐて修學の實の上る譯がない。學校當局が、かう云ふ選手をどんどん進級させてゐるのが第一腑に落ちない。文部省當局は、學業に差支があるといふので、女學生の演劇を禁止したが、學業に差支える點から云へば、野球だつて演劇に劣るものでない。

陸軍當局がこれらの選手に、容謝なく規則を適用する事にしたのは至極當然だ。しかし此當然な適用を、現行志願兵條令が何時出來たのか知らないが、今迄敢てしなかつたのは寛大すぎると言はねばならぬ。杓子定規だの何のと云ふが法律の施行は、個人の私事に斟酌せず杓子定規に行はれるからこそ意義あるのだ。これは窮屈に違ひないが、然し個人的人情に一々斟酌して法令の適用を猶豫してゐた日には、どうして社會の統一が保たれやう。

個人の私事たる點においては、野球に凝るのも女に凝るのも同じである。自分の道樂を至上のものと思ひたいのは、人情の然らしめる處で仕方がない。けれども國法は個人の主觀の上に超越してゐる筈だ。國際競技だつて、何も國法を曲げてやる必要はない。勞働階級の青年には猶豫も延期もないではないか。運動選手ばかり國寶扱ひにしてゐないで、規則は規則として杓子定規に適用するやうにして貰ひたい。

學生の優越感

この頃、夜學校が澤山出來た。夜學だけで大體の學校が間に合ふ位である。大震災以來、夜學の中學へ通ふ少年が著しく増加したといふ。そこで、夜學中學の年限を増加し、晝の中學と同一の學力をつけることとして、普通中學同樣の認定をして貰ひたいといふ運動が起つてゐる。

ところが文部省當局の方では、夜學は國民保健上に影響があるとか、體操の時間がないから徴兵猶豫の特典を與へる事が出來ぬとか云つて、認定を與へぬやうである。體操がなくて徴兵猶豫が出來ぬといふなら、それは與へなく〔て〕もいい。しかし、普通中學と同一の過程を修めたものには、矢張り中學卒業生同樣の認定を與へたらいゝじやないか。(3)

夜學が身體に惡いといふけれど、私立中學あたりの不良少年共が、夜つぴて遊んで歩いてゐるのだつて、あまり身體にいゝとは言へまい。夜學をして病氣になるならぬは其人に依る。普通の學校へ行つてゐたつて、病氣になる者もあるのだ。そんな事はどうだつていいだらうと思ふ。學問さへ出來れば、同樣に扱つて、ちやんと上の學校へも入れるやうにしてやつたがいい。

學問は何も、晝日中のらくらと學校へ行ける者だけの獨占すべきものではない。晝働らいて夜勉強する者と、夜遊んで晝勉強する者との間に、強いて區別をつけるには當るまい。尤も、夜學が流行すると、晝間學校へ行つてゐる事に依つて贏ち得る學生の經濟的優越感が傷けられる事にはならうが。

早稻田大學で夜學部をつくる事になつた時、晝間部の學生が盛に反對の聲を擧げたのなども、夜學などが出來ると、早稻田の學生であることによつて感じられる彼等の經濟的優越感が傷つけられるからだ。何れも下らない事である。文部當局ともあらうものが、ブルヂオア中學生の優越感を保持する爲めに、プロレタリア少年の登龍門を塞がうとするのか。

三笠の運命

日本海の大海戰で世界に知られてゐる軍艦三笠も、華府會議の結果廢棄せねばならぬこととなつた。しかし、この偉大な戰勝紀念物を、ムザムザ廢棄するのも惜しいといふので、米國大統領に交渉した結果、日米倶樂部の會館とする事になつたといふ。

日米倶樂部といふからには、何れ日米親善でも計る倶樂部なんだらうが、皮肉なことになつたものである。會館が出來上つたら、それを見る毎に、この紀念すべき三笠を廢棄せねばならぬやうにした米國が呪はしくならうものを!

勞働本能の充足

大枚十數萬圓を投じて思想善導の調査機關をつくつたり、キリスト教や佛教の坊主達を集めて思想善導の方策を講じたり、政府は大童になつてゐるやうだ。

その御手傳ひといふ譯か、清浦首相夫人練子、江木文相夫人仲子、九條武子等の女流が大日本佛教女子青年會といふものを作り佛教精神による思想善導に努めるといふ事である。

佛教女子青年會の具體的事業としては、婦人ホームの完成、助醫や教師の養成、文藝音樂の奬勵などが擧げられてゐる。そんな事で、思想善導の實が擧がるか何うかは、いふだけ野暮である。思想惡化の根本的事情に觸れることなく、末の末の現象だけを眺めてゐたのでは、結局骨折り損になる計りだ。

が然し、考へて見ると、此等の上流婦人達の社會事業などは、骨折り損でいゝのだ。これ等の婦人達にとつて、社會的には極めて無意義なかゝる精力の冗費にも、一種の意義があるのである。有閑階級、若しくは尠くとも有閑階級の附録たるこれ等の婦人達には、充されざる勞働本能の惱みがあるのだ。

その勞働本能充足の對象を、社會的方面に求めるのが、即ち有閑階級婦人の社會事業である。

昔は主として其本能が、歳暮贈答式な虚禮や、家庭組織の複雜化によつて充足されてゐた。ところが近來は、此の種の對象が次第に失はれて來たのである。所謂婦人の覺醒なるものは、勞働本能充足の對象を、社會的方面に見出した事だとも言へる。

有閑婦人の社會事業は、かくして續出して來た。清浦夫人や江木夫人も、かゝる風潮の影響を免がれる事が出來なかつたのだ。思想善導の婦人運動が、社會的に見れば如何に無意義なものであるにせよ、これ等の婦人にとつては勞働本能充足の新規な手段である。多くの婦人社會事業の如く、何れは龍頭蛇尾に終るものであらうが、せいぜい屋上屋を架して、その標榜の如く『女性活動の根本道場』として頂きたい。一般民衆の思想は兎も角、せめてこれ等有閑階級婦人の思想だけは善導されるであらうから。

資本主義の國際化

メートルデーなるものが行はれた。街の角々へメートル計量品を備へつけて體重を計つたり身長を計つたり、宣傳のポスターを貼つたりビラを撒いたり、お祭のやうに賑やかである。

この秋にはメートル法が施行されるのださうだ。その準備にせいぜい宣傳して置く必要があるのだらう。何十何貫目といふ、あり來りの稱呼を捨てゝ、何十何キロと呼ばねばならぬのは隨分困る人もあらう。が、これも時勢である。

日本の商工業も次第に國際化して來たのだ。何十何貫何丈何尺では取引に不便な場合が多くなつたのである。取引が國際的になれば、計量法も國際化しなければならない。メートル法施行は資本主義の國際化に伴ふ避け難い運命である。面倒(4)だの不便だのといふ事は、資本主義の發達のために我慢しなければならないのだ。資本主義の爲めに、メートルの歌でも高唱して、紀念すべきメートル法制定の日を紀念すべきであらう。


底本:『新小説』第二十九年第五月(大正十三年五月)

注記:

※文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)資本家:底本は「質本家」に作る。
(2)。:底本は「、」に作る。
(3)。:底本は「、」に作る。
(4)面倒:底本は「倒」の上に一字空白あり。

改訂履歴:

公開:2006/11/22
最終更新日:2010/09/12

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