社會時評(大正十三年七月)

高畠素之

護憲あそび

護憲運動といふ小旗印が、政權爭奪の爲めに用ゐられた空名に過ぎなかつたことは、漸くにして世人に分明となつたやうである。清浦内閣を到壞する必要の前には、三派の協同戰線も可能であつたらうが、總選擧の結果、所謂護憲派が多數を占め、政權爭奪の目算がつくや、直ちに猜視排擠の氣運は低迷し出した。即ち主義の實行の名に隱れる憲政會の單獨組閣運動、これを間接に牽制せんとする政友會の革新倶樂部接近、及び政友本黨との合同氣勢誇示等は、いづれもこの間の消息を語る闇仕合に他ならなかつたのである。

護憲のお題目をその儘に盲信した人々に取つては、政黨人のかかる行爲が意外の背信と映るかも知れないが、これは運動の起された當初から見透かされた筋書であつた。今更ら改めてその空名を驚ろくが如きは、徒らにその迂愚を表白するに止まる。而もかかる迂愚を最も代表的に示してゐるのは、この運動は道づれの一人だつた尾崎行雄氏である。

尾崎氏が六月三日の報知新聞に發表した意見に依れば、現在わが國の政治家は『護憲』とか『特權』とかの形容語だけで政戰してゐるといふ。その通りである。これらの形容語はその内容を明確に提示しなければ、全く無意味な言葉であるに係らず、三派首領は何等これに言及してゐないといふ。誠にその通りである。處で氏が憲政擁護、特權打破の具體的内容として明示したお手盛り案に從へば、(1)普選即行、(2)元老廢止、(3)陸海軍大臣次官の文武併用、(4)陸軍の整理縮少の四件である。以上四件は既に國民の常識に於て討論終決の案件である。その點からすれば、憲政擁護や特權打破の旗幟と、空名たる意味に於ては何等選ぶところがなからう。一の偶像を棄てて他の偶像を拜跪することこそ全く無意味だといふを得る。

假りにこれを具體案を提示したものと見るにしても、單に四個條だけに限つたのはどういふ譯であるか。護憲といふからには普選の實施だけで達成されるものでもなし、特權といふからには元老と軍閥に限られたものでない。それを簡單に四個條で片付けたのが不可解である。殊に國民大多數に對して、最も苛酷な君臨者たる金權の打破を加へなかつたのだ不可解である。目前の問題たる經濟的改革を加へぬ不忠實さを以て、政策の實質を誇るが如きは、それこそ『僭越不遜の至りであるのみならず、實に擧國の良民を欺瞞するもの』といふべきである。

何にしてもこんな子供だましの政策を掲げ、如何にも政局に對する高踏批評家らしく自負してゐるところは、半可通な新思想家の馬脚を露してゐる。尾崎式ブルヂオア、デモクラツトには形容語の護憲遊戲が相症である。現實の政界は現實の物理力によつて動き、その根本を衝撃せんとすれば、更に突込んだ視點に據らなければ何の力も有しないことになるのである。

米貨排斥の効果

泣いても笑つても、排日法は七月一日から實施される。遲れ走せながら『臥薪嘗膽』などといふ聲も聞かれ、新橋藝者を筆頭に諸所の婦人團體が、米貨不買を決議し出した。然し決議などといふものは、古今東西を通じて餘り實行された例がないから、どの程度まで信用し得るか不明だが、舶來贅澤品の八割を占めてゐる米國品の消費が、多少なりと緩和されるものとは考へられる。然し米國品の消費低減が、必ずしもおあつらひ通り國産奬勵となるかどうかは疑問である。

現代日本人の生活の興味は、歐米摸倣の濃厚なところに求められる。これは封建的生活から、ブルヂオア的生活への過度期に置かれてゐる日本人が、ブルヂオア先進國たる歐米人を摸倣する當然の結果である。その當然の結果は、所謂文化生活への憧憬となり、あらゆる趣味好尚の末に至るまで、歐米人の生活を形骸的に移植せしめるに至つた。これが莫大な奢侈品、贅澤品の輸入となつて現はれたのである。殊に米國は地域的及び經濟的な諸種の原因に由來して、他の歐洲ブルヂオア諸國に比して密接な關係に置かれてゐるため、米國人に摸倣すること最も大なるものあるを認められる。これは取りも直さず、過去に於て米國品を最も多量に消費した結果を物語るものであるが、今一旦の排日法に刺戟されて反米熱が煽揚されてゐるにしても、この事實によつて日本人が、ブルヂオア先進國への摸倣を放棄したものと認められないばかりでなく、日本の資本主義が刻々に歐米諸國の後を辿つて發達して行く限り、善惡に係らず、かかる傾向を阻止し得るものではない。

具體的にいふならば、摸倣の對象を米國に向けられてゐたものが、英國なり佛蘭西なりに置き代へられる場合を想像し得る。根本の摸倣心理そのものが消失しない以上は、さう考へることが寧ろ當然である。奢侈とか贅澤とかいふにしても根本のかかる摸倣心理から出發してゐるのであつて見れば、婦人團體の人氣取り政策半分の排貨運動ぐらゐで所期の目的が達せられる道理はない。少くとも宣言するが如き自給自足の、國産奬勵といふ實を擧げることは出來ぬ。皮膚が黄色に生れたことを一生の悲しみと心得てゐる大方の日本婦人は、かかる運動とは全く無關係に歐米のブルヂオア國民への摸倣を一途に辿り行くものと思はれる。米國に對するヒステリツクな一時的反感に永續性を期待し得ないのも當然であり、期待し得たとしても米貨の代りに英貨、佛貨、獨貨を流入せしめるが精々である。

婦人團體のかかる運動に對して、映畫會社のそれは同じボイコツトにしても、全然その意味を異にする。外國映畫即ち事實に於て米國映畫が、日本人觀客の大部分の好尚に投入し得た所以は、前述の心理的原因が作用してゐると共に、日本映畫が格段に劣惡なためである。從つて觀客の好尚に應需せんとすれば、高價な權利金を拂つて米國映畫を提供しなければならなかつた。客を呼んで儲けを擧げるには、經營者が好む好まぬに係らず、米國映畫を上せなければならなかつたのである。

茲に於て記憶しなければならぬのは、日本に於ける活動冩眞館の所有もしくは經營が、殆どその全部を映畫作製を業とする會社によつて握られてゐることである。營利を中心とする會社の立場からすれば、自己會社の製作品を、自己會社所有もしくは經營の常設館に上映することが、最も有利な利潤獲得法である。偶然なる排日法の實施によつて、米國映畫の上映禁止の決議を突き着けられた事は、却つて願つてもない好都合であつた。彼等に於ては國産奬勵と利潤増加は併行の事項である。然し消費者たる觀客(1)が何時の日まで、劣惡な日本映畫に我慢するかは疑問である。(2)營利目的を中心に動く會社は、需用が稀薄になれば即日にも米國映畫の輸入を企てるであらう。(3)何れにもせよ米貨排斥運動は、必要なことでもあり、痛快なことでもあるが、惜しい哉、大した効果は期待することが出來ぬ。これが天地自然の理法であつて見れば、善惡の如何によらず致し方のない話である。

遠島に處せ

昨年六月、例の共産黨事件で風を喰らつて高飛びした高津某君が、突然姿を現して檢事局に自首した。新聞の報ずるところに依れば、彼は『故郷忘じがたく』して、『初めから自首する覺悟で』歸國したものだといふが、彼によつて忘じて貰へなかつた故郷こそ、飛んだ災難を見た譯である。

大體あの共産黨事件なるものは、例によつて例の如き當局の失態を暴露したものであつた。大檢擧の噂は一週間も前から傳へられた語で、その間悠々と佐野、近藤、高津等三名の逃亡の機會を與へ、半年以上もかかつて漸く調べ上げた手品の種は、鼠一匹にも劣る程度のものであつた。それも過ぎ去つた話として、死兒の齡を數へようとしないが、今また高津が神戸に上陸した後、全國の警察が總動員で探しながら、結局裏を掻かれて自首させたなどは、餘りといへばダラシがなさ過ぎる。彼等三名は國家に對して陰謀を企らみ、同志に對しては信を背いて豫審の苦役を長引かしめた意味に於て、情理共に罪科を重からしめて然るべきである。

高津の談として新聞の傳ふる所に從へば『自分に對する官憲の所置如何によつては、目下逃亡中の同志も自首して出るだらう』と語つてゐる。彼の行爲を察すれば、さもあるべきことと察せられる。共産黨事件が勃發した當初、官憲の振れ込みは第二の大逆事件といふにあつた。大山の鳴動を聞いた彼等は、わが身可愛さから土地を賣つて逃亡した。彼等の逃亡によつて豫審期間はベラ棒に永引いた。而も曲りなりに調べ上げた結果は、單なる治警ものに過ぎぬことが明らかにされた。この結果を見て多寡をくくつた彼れは、成程『初めから自首する覺悟』で歸國したに相違あるまい。然し彼れに對する判決如何を瀬踏みして佐野君も、近藤某も歸國しようといふのは蟲が好い。彼れの逃亡は國家にして見れば、幸ひにも厄介拂となつたのである。高津の歸國で一つの厄介を増した譯であるが、殘餘の二人は永久に閉め出しを喰はせるがいい。閉め出しを喰はせようとすれば、國家の意思一つで速刻に決定する。同志を裏切つた不信者は主義そのものの發達の上から見ても、閉め出しを喰はせるがいい。

取締の基準點

展覽會が開催されるごとに、吉例の如く問題になるのは、當局に對する取締りの非難である。今度も佛蘭西美術展覽會に對し、ロダン、コラン、ブルテルの作品五點を公開禁止したといふので、喧しい世間の問題となつてゐる。問題が意外の大事件として取沙汰されるに至つたのは、美術國佛蘭西の展覽會だつたこと、公開を禁止された出品の中に世界的名作といはれるロダンの『接吻』が含まれてゐたこととで、ある種の國際問題にまで引き入れたからであつた。即ちクローデル大使は、これを以て『佛蘭西美術を侮辱するものなり』とし、外務省を通じて抗議を申し込み、強硬に日本官憲の藝術品に對して無理解なことを痛撃した。

藝術といへば、特別な存在價値を許されてゐるやうに信仰する世間の輿論は、クローデル大使の尻馬に乘つて、取締政策の非難を唱へた。考へて見れば隨分愚かしい話である。何も人生が藝術の爲に存在してゐる譯ぢやなし、一般の愚夫愚婦たる民衆の風規維持を基準として檢閲するものなら、藝術品たると否とに依つて手心を加ふべきでないこと、野慕な説明の必要がないほど決定的な問題である。藝術品は性感を超越するものといふ命題が成立するなら格別だが、事實に於てかかる道理があるべき筈はない。その意味に於て取締りの制限を受うべきは、ロダンの名作たると市井の春畫たると差別はない。

第一クローデル大使の抗議が不埒である。佛蘭西の人情習慣に於て、風規を紊亂するに至らぬものであつたとて、これと全然事情を異にする日本の人情風俗に牴觸せぬとは斷ぜられぬ。例へば接吻の風習の如きも、日本人に取つては日常生活化さてゐれない(4)。佛蘭西人が淡然としてこれを看過したところで、日本人には他意を挾まざるを得ぬ事柄である。『他意』そのものが『淳良な美俗』を破壞する程度のものなら、その公開を禁ずるに何の不當もない。國民の風規維持を責任とする當路官憲としては、その職務を誠實に行つたまでである。もしこの場合、不當といふ名が用ゐ得るなら、それは正しく理不盡な抗議の提出者、竝にその追隨者が負ふべきである。特別室の入口に、美術家、批評家、外國人に限つて入覽を許すといふ貼紙を、特に掲出した主催者側の無恥に至つては、日本國民を進んで外國人の下風に立たせ、自ら恥ぢの上塗りをやつてゐるに等しい。かうなれば、問題は單なる無恥以上のものである。

憤死者の頻出

排日法案の通過を憤つて割腹自殺した男がゐる。身元素性が知れないところから、便宜に『無名の國士』といふ名が與へられた。彼れの憤死は意外にも多大のセンセーシヨンを喚び起し、靜岡、銚子、福島等に續々亞流の無名國士が輩出した。それは恰も、松本訓導の井ノ頭水死事件があつて以來、小學校教師の殉職美談が續いたやうに、碑文谷踏切番の犠牲があつて鐵道從業員の殉職者が現はれたやうに、或は藤村操の自殺によつて華嚴瀧投身者が激増したり、猫入らず自殺法發見によつて年々その自殺者が級數的に殖えたと同樣、一種の流行的勢力に支配されてゐる。かう多くなると、これらの自殺者は果して純粹な排日問題に對する自殺者かどうか、それさへ餘程疑はしくなつてくる。

諸種の事情を綜合して見るに、最初の自殺者は覺悟の憤死らしくも見えるが、以下の摸倣者もしくは重複摸倣者に至つては、聊か遺書通りの自殺と信ずることが出來ぬ。兎に角最初の屠腹者は『無名の國士』といふ尊稱を與へられた上、多數の名士に依つて國民葬まで營まれたのであるから、多分の劇的情景を展開せしめた。この偉大な人氣に對しては、英雄崇拜的心理の作用することはあり得る。前途の希望に信を失つた人間が、この衝撃を受けて、自殺の誘惑を感じることも考へられる。痴情の果、借金の末、病弱の苦等によつて、自殺の感慨に耽り勝ちだつたものなら、自殺そのものを意義づけ、死後に光榮あらしめるため、謂ゆる『憤死』の形式を取らうと考へることは、最もあり得べき心理と想像される。賣女と無理心中して醜名を謳はれる代りに、國民葬の名譽を殘すことが出來るなら、一擧兩得の好自殺ではないか。

排米問題を名とする憤死者の全部が〔、〕かうした利害打算に動かされたとは斷じないが、往々にしてかかる事實のあり得ることは、豫め考慮の一端に加へて置く必要がある。從つて憤死者の頻出そのことを以て、直ちに對米反感の如何に痛烈なものであるかを證する譯には行かぬ。虎の皮と共に、死後の名聲に價値算定を求むる人生觀そのものは、最もかかる危險を誘ひ易きことを知らねばならぬ。ただこの現象を透して察知し得るのは、如何に國民生活が不健全なものであるか、如何に生と死の間を彷徨するものが多きかといふことだけである。


底本:『新小説』第二十九年第七號(大正十三年七月)

注記:

※文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)觀客:底本は「觀容」に作る。
(2)。:底本は「、」に作る。
(3)。:底本は「、」に作る。
(4)さてゐれない:ママ。

改訂履歴:

公開:2006/11/22
最終更新日:2010/09/12

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