社會時評(大正十三年十月)

高畠素之

兩政整理の効果

政府としては取つておきの大看板だけに、今度の兩政整理はさすがに掛引でもないやうである。外見ばかりの嫌に堂々としてゐる癖に政績が擧らず、普選案、貴族院改革、政務官制度と續いて問はれ出した鼎の處置にも窮して折柄、二億二三千萬圓と發表した豫想剩餘學は、何とかして捻り出さねばならぬ羽目になつて來た。

處でその捻出剩餘金だが、これを一體何に使ふつもりか、政府の考へは一向ハツキリしない。兩政整理の目前的意義が、民力の休養に置かれてゐる限り、納税義務負擔を輕減する意味で、當然減税に振り向けられるだらうと考へられるが、目下の事情では必ずしもさうは信ぜられぬ。現に陸軍なども四個師團減で浮かす豫定の四千萬圓は、新武器購入費、新隊編成費等に充當すると我ン張ツてゐる。政權利權ともに貪亂な小姑共は、中止繰延を素直に聽くどころか、農林省商工省の二分案、交通省の新設案、拓殖賞の増設案等、勝手な注文を持ち出してゐるのである。これでは却つて、柄のないところに柄をすげ、經費膨張(1)の原因を作るに等しい。政府の決心はかゝる障碍を廢して、所期の決心を斷行すると思ふが、斷行するとして、それがどれだけの効果を國民生活に齎らし得るであらうか。

元來、二億圓の節減といふことは、人口六千萬と見て四圓足らずの頭割である。この世智辛い時世に、四圓ぐらいのお情では一日宛一錢強に過ぎぬ。氣の利いた乞食なら一錢のゼニは貰はない。況して堅氣の人間が一日一錢の儉約で助かる道理はないのである。だからこゝは、負擔の可能によつて輕減する者しない者、或は却つて増大する者等、早い話が社會政策的手心が必要である。しかし實際は、彼等が以つて惡税とする營業税の廢止か何かで、片付けるらしく傳へられてゐる。

營業税が惡税だとする理屈は、法律で許されてゐる商取引をなすのに、それを課税するの不當はいふまでもなく、延いて一國の産業の發展を害するといふのである。産業發展は暫らく別として、もしその意味で惡税と稱し得るなら、天下如何なる税目と雖も惡税でないものはない。營業税などはそれと價格に轉嫁し得る意味で、實質上の損失はなからうが、世間にはもつと甚だしい惡税が澤山ある。各派が將にこれを惡税といふのは、彼等が直接國税三圓以上の階級の代辯者であるため、これに迎へんとして案出した名目に他ならない。しかし不幸にして、國民中最も疲弊の程度がひどく、從つて納税負擔の義務を苦痛とする階級は、かゝる營業税納付者ではないのである。もし果して傳へられる如く、政府が剩餘金處分法を營業税廢止等に振り向けるとすれば、兩政整理の名を以て黨勢擴張を計るものといへる。黨勢擴張の道具とされるにも足りない階級、つまり經濟的負擔の休養を最も必要な階級は、その名を利用されたことに對し抗議すべきである。

愍れむべき紳士病

大隈内閣の對支二十一個條なるものは、國外に受けが惡いばかりでなく、國内に於ても恐ろしく不評である。不評の理由は例によつて軍國主義だからといふにある。しかし日本人としての立場からいへば、日本が支那に於て事實上、經濟上、政治上の優越的立場を確認せしめ得たのは、實はこの二十一個條があつたためである。その意味で、外國人が非難するのは、己れの滿されない不滿と嫉妬に由來する。いつもながらの繰言だが、それを眞に受けて日本が軍國主義だなどと咒咀してゐるのは、外務省も國民も共に救はれない唐變木である。

殊にこの頃の外務省と來ては、軍國主義といはれることに辟易して、手も足も出ないのだから呆れ返る。不干渉主義も理屈としては結構である。しかし列國が大いに干渉手段を支那の内政にかへてゐる時、最も緊密な關係に置かれてゐる日本が、獨り自ら紳士がつてゐるのは、惡いことでないにしても氣が利かない話である。第一餘り見つともいい圖ではない。

今度の内亂に對しても、よし最初は多寡を括つてゐたにしても、共同管理の分轄のといふ議論が、英米あたりで盛んに論じられ出してから、俄かにあはてるといふ不樣さである。歐羅巴大陸の問題に口を出せない臆病さは未だ我慢するとして、地域的にも經濟的にも、最も密接な立場にある支那問題ぐらいのことは、英米の先頭になれないまでも、最後の場合に處する國策を立てて置いても罰は當るまい。今更の周章狼狽は遲かつた。

元來、日本の對支政策は内閣によつて、或は同じ内閣でも時期によつて浮動して、一貫した見識がない。南方を支持するかと思ふと北方に變つたり、或は援段、或は援張と、鈍間な形容だが、まるで猫の目のやうに變つてゐる。それといふのも、軍國主義と呼ばれるのが怖くつて、英米の鼻息ばかり窺つてゐる結果である。ところがその豹變不常なことが、却つて軍國主義の證據だといはれるのだから面白い。面白いには面白いが、この調子でやられては、援助される當人だつて心細からう。日本遂に頼むに足らずとなり、何れも背中を向けてしまつたのである。

政府竝びに陸軍の意嚮は、この前の因縁で張作霖を助けるに傾いてゐるらしい。しかしその張作霖も、先述の例に洩れず、日本の頼むに足らぬことを悟つて、米國から軍費軍器の給助を受けてゐること、これは公然の祕密である。片や呉佩孚と來ては生え抜きの親米派なること、公然の公然とされてゐる。支那の戰爭なんて博奕みたいなものだと嘗めてゐるが、その博奕の貸元として、誰が勝たうとカスリの取れるのは米國である。それに反して、呉佩孚が勝てば勿論として、たとひ張作霖が勝つたところで、所詮浮ぶ瀬のないのはわが親愛なる日本である。それもこれも下司の智慧で、非軍國主義などと紳士面をしたお陰である。何れにもせよ將來は、嘗ての優越的地位を米國に讓らねばならないであらう。それから後はどうなるか。

日米戰爭は海軍と航空軍さへあれば澤山だ、などといつた奴のツラが見てやりたい。

喜悲劇『平和デー』

九月十二日に、米國は動員デーといふのをやつた。自由の平和のは、平素の觀念遊戲として、やることだけは遠慮なくやるのはさすが米國である。布哇を某國に襲撃されたとして、その時の救援をどう處置するかなどと、それを實地でやつて退けるのだから、傍若無人振りだけでも痛快である。

これに對して日本の輿論は、米國が正義人道の蔭に隱れて、軍國的野望を逞しうするものだ、なんかと御託を竝べてゐた。メリケンにやられた故智を逆用したつもりだらうが、これなども標本的に智慧のない話である。米國は米國としての侵略的意圖を滿たすために、日本の強力な軍備が邪魔になつた。そこで軍國主義の何のとケチをつけ、華盛頓會議で海軍を削り、今また陸軍縮少で夢中になつてゐる状態の今日、日本の意嚮なんか眼中にして耐るものか。國内でも反對があつたの何のといつたところで、現に堂々と日米戰爭の豫行演習をやつた事實が、それを證據立てる立派な答辯である。

それにつけても滑稽なのは、澤柳博士を會長とする初等教育會とやらである。何の因果かこの會は、總選擧の民力作興のといふ時には、キツト出娑婆りたがる會であるが、今度も動員デーに對して平和デーといふのをやつた。もつと正確にいへば、やらうとしたのである。ところが壯士の一團に暴れ込まれて、目茶々々にぶち壞されてしまつた。參集の何百といふ男女學生が、僅か十何人の壯士の亂暴に委せたといふのは、如何に平和主義者の集りとはいへ、洒落にもならぬ噂である。殊に當日の司會者は、さんざ油を絞られた上に姿を晦し、義理一片で米國大使に面會はしたさうだが、抗議の程は受付ける筋合でないと刎ねられたとか。それで動員デー反對などとは聞いて呆れる。賣名なら賣名らしく、もう少し柄に相應したことを考へるがいい。國民の面穢しとはかういふ奴のことである。

自治會の態度

電氣局長改選問題で、端なくも捲き起こされた波瀾の中から、癪に障るやうな障らぬやうな、一つの事件を見出だした。それは電氣局の從業員組合たる自治會の態度である。

中央政界にあつては、正面の敵として對峙する三木派と鳩山派とが、徒黨を組んで市理事者を放逐した。これは大義明分に遠い話として世人に非難されてゐる。ある意味に於て、それよりも遙かに大義明分を踏みつけにしたのは、自治會の態度であつた。氣勢を示すに至つた最初の名目は、大道局長の新任が自治會の信頼せる舊理事者の辭職に導いたが故に、これを排斥するといふことであつた。附帶理由として、新局長が嘗て鐵道省にありし時、鐵道從業員組合に解散を命じたこと、幾多の金錢的暗影が濃厚であつたこと等を掲げ、事の如何に拘らず、信任しないといふのが自治會の態度であつた。それといふのは、新局長が自治會の解散を命じ、賃金値上を肯じないことを前提とし、積立金の全部を費ひ果たしても目的を貫徹するといふのであつた。

市會議員の横暴に義憤を抱ける市民の後援を背景として、自治會は絶好の機會を捉へたといつてよからう。この機會に於て、自治會の豫ての念願とする目下の縱斷的組合たる實體を打開し、運動戰上に有利なる組合としての、横斷的性質を附與する目的の下に、非常手段に訴ふることあるとも、市民の是正を受くべき點が少くなかつた。然るに自治會代表者と新局長との會見の結果は、最初の口吻に似もやらず、誤解が一掃されたからといふやうな、理屈にならぬことを理屈に妥協してしまつたのである。元より筆者は紊りに兵を好む者でないから、平和裡に解決されたことに決して苦情はないが、その間の經緯に理屈の筋道が通らぬことは、甚だしく不愉快に思ふのである。

最初の揚言によれば、大道局長が勞働組合に對する前科者なるが故に、これを忌避するといふのである。その前科者から賃金値上の口約を與へられただけで、早速『誤解を一掃』されるくらいなら、人騷がせに大きな口などは利かぬ方がいい。それもこれも兵法のつもりか知れぬが、折角力瘤を入れてゐた市民の方では、呆れるより先に癪に障るのが人情である。その意味に於て、自治會は市民から『憎さ百倍』の感情を買つただけが損である。口約の賃金値上が實現されて、それが電車賃に轉嫁(2)される日が來たら、自治會は更に新なる憎惡を買ふであらう。達者なつもりの兵法が、かくして美事に失敗を立證させるは、電車賃値上に對する市民の反對運動が起された時である。その時に至つて、自治會が市民と呼應せんとしても及ばない。何にしても、一旦の會見で誤解を一掃し得る程に、融通自在の働らき仁を幹部に有することは、自治會の最も不幸とするところでなければなるまい。

辯護士無試驗の事

世にも不愉快なものに昇格運動がある。それと甲乙ないものは、法律書生や醫學生によつてされる資格留保もしくは資格擴張の運動である。季節が近づいたので、今年もまた法律書生が騷ぎ出した。

當局が辯護士試驗の改正を發表してから、もう五六年は經つと思ふが、その間いつの年にも、豫備試驗免除とか、資格試驗の保留とか、騷ぎ立てなかつた例とてはない。今日の運動は、(一)大正十四、十五、十六の三年間試驗を二回とすること、(二)筆記試驗を通過し口頭試驗を通過せざるし者は、その口頭試驗のみとすること、(三)合格率を多數とすること、この三個條が眼目である。つまりいへば、試驗を甘くして呉れといふ嘆願である。自分の實力を棚に上げて、蟲の好いこと無類である。

彼等のいふことを聞くと、辯護士試驗を判檢事試驗と同樣に心得てゐるらしい。法律書生なら法律書生らしく、辯護士試驗が任官試驗でないくらゐは知つてゐやう。知つてゐて尚ほ且つこの要求をなすのは、辯護士にさへなれば、猫も杓子も米の飯が食へると思つてゐるからである。或はさういふ時代もあつたか知れぬが、辯護士の數が多くなつたけふ日では、學士の肩書で飯が食へないと同樣、辯護士肩書も世智辛くなつた。何の彼んのと當局も、緩和策でお茶を濁すやうなことをせず、一層のこと無試驗認可にでもしてしまつた方がいい。如何に辯護士といふ名前が、有りがたくないものであるといふことを知らせるのも、彼等の如き手合に對しては藥である。さもない限り、いつまで經つてもこの種の運動の絶える時はない。合格率を五割にしろの、中學四年修了程度の外國語の試驗を廢止しろのといふ要求が通るやうでは、無試驗認可と大して差異のあることとは思はれぬ。

演劇上の需要供給

立廻り芝居に對する非難が、この頃大分盛んなやうである。殺伐の氣を奬勵するとか、芝居を邪道に陷れるとか、大抵はその邊の理由からである。前者は芝居を昔ながらに勸善懲惡の道具と心得るものであり、後者も同樣に民衆の藝術心を指導する機關と考へるものである。飛んでもない不遜な了見である。

ただに演劇といはず、歌舞音曲より小説の類に至るまで、藝術といふ廣い名を以て呼ばれるものは、人生に對する慰樂のために生れ、且つ存在してゐるものである。もう少し正確にいへば、人生の慰樂としてのみ存在價値を有するものである。例へば『立廻り』といふやうなことに慰樂の對象を求めてゐることが、藝術として低級だとか、洗練を缺くとかいつたところで、それは人樣々の見解の相違である。舞踊の曲線だけが美で、力鬪の直線が美でないといふやうなことは、見やうによつて美の認識に對する片輪だともいへる。何が高級で何が低級だとか、何は尊くて何は賤しいとか、そんなことは區別のつけ兼ねる難問である。

そこで人間としていひ得るところは、例へば『立廻り』といふやうなことが要求される時代を、現象的に『かくある』と指摘するだけである。殺伐な芝居が流行するのは、殺伐を好む時代人の需要の反映である。それは平安文學が平安時代の社會事情を反映し、江戸文學が徳川時代の平民生活を反映したと同じ理屈である。這般の消息はまた經濟學の需要供給の法則と同じく、『人生の慰樂』を殺伐に求むるが故に、亂鬪猛鬪の舞臺が供給されたのである。一人の澤田正二郎や澤村訥子で、時代の趣味好尚が左右されてたまるものではない。もしそれが惡いといふなら、時代人そのものに罪があるので、演出者に罪のあるべき道理はない。殺伐を好む我々消費者の側からいへば、殺伐劇の供給大いに有りがたいところであり殺伐劇の生産者からいへば、利潤のため大いに有りがたいところである。これこそ一擧兩得ではないか。

毎度いふところだが、萬人は悉く藝術家でなし、人生また藝術のためのみに存在してゐるのではない。筋違ひの抗議は注意すべきである。


底本:『新小説』第二十九年第十號(大正十三年十月)

注記:

(1)膨張:底本は「膨腸」に作る。
(2)轉嫁:底本は「轉稼」に作る。

改訂履歴:

公開:2006/11/22
最終更新日:2010/09/12

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