社會時評(大正十四年正月)

高畠素之

盗人猛々し

勞農ロシアなら何でも善、黒襯衣イタリーなら何でも惡、といふやうな非論理的な常識が日本人には行はれてゐる。何故かと訊いて見ると、一は社會進化に貢獻し、他はこれと背反するからだといふ。しかしそんな善惡判斷の尺度は、お釋迦樣だつて手をつけかねる難問だ。暴力行動を惡とする人生觀から見れば、社會主義革命だらうが、反動革命だらうが一律の審判を受けねばならぬ筈である。それをフアスシスチだけが惡名を著せられ、新聞記者から親の仇のやうにいはれるのは、何としても引き合はぬ話だ。

大體デモクラシーといふことから、隨分と滑稽な偶像である。最上の政治理想の何のといつて見るものの、これはデモクラシーらしく振舞ふことに依り、大方の愚夫愚婦を誑らかし得るから、即ち自己の地位をヨリ永續的ならしめ得るから、その打算に從つて案出した政治家の空念佛である。だからデモクラシーで都合のいい間は、如何にもそれらしく誇示もし、行動もするが、都合が惡くなれば何時でも專制主義者に早變りする。英米の政治家が口癖に正義の平和のといつてゐて、實は飽くなき資本侵略の包装紙にしてゐるのも、全くこれと同じ心理作用に他ならぬ。マクドナルドだつて、失業者救濟を計つて新嘉坡要塞に色氣を見せた世の中である。人樣のいふことを眞正直に信ずるなどは、その意味に於てコケの沙汰だともいへる。

と憤慨するゆえんは、フアスシスチに對する惡聲の發電池が英米佛であり、それをそのまま日本人が無條件に容れてゐるからである。イタリーが強國として復興するのは、地中海や小亞細亞に直接の利害を感ずる英佛その他が、手を空しくして見てゐられる譯はない。隨つて彼等にすれば、この復建運動の中心人物ムツソリニを目の上の瘤と觀じ、お手の筋のデモクラ論から、有ること無いこと惡しざまに吹聽するのは、大いにあり得べき心理的必然である。さればといつて、イタリーと由縁も關係も遠き日本人が、一緒に尻馬に乘つて騷ぎ立てるなどは、大いに無くていい筈の心理的必然である。

論者或はいはん、予はフアスシスチの彈壓政策そのものを排すと。蓼喰ふ蟲も好きずきといふから、それも理由のあることには相違ない。しかし世上には、乞食の子も三年たてば三つになるといふ諺がある。強行的に政權を奪略したフアスシスチだから、今でも武装的彈壓だけで政治をやつてゐると考へるなら、これは大きな誤りである。何もお節介に黒襯衣の辯護をする必要もないが、彼等は五分の四の議席を領有する壓倒的多數黨だ。元より壓迫干渉の結果であらうが、それにしても勝利は勝利だ。假りに多分の割引を考慮に加へたところで、選擧場で短銃を突きつけて投票させたといふ反證がない限り、矢張り大多數は選擧人の意志に依つたものと認めるしかない。その點はデモクラ政治理論からいつても、フアスシスチ政府は直正な民主的基礎に立つものである。

如何なる政府もそれ自らに反對黨を有つてゐる。況して脅嚇手段で政權を簒奪したムツソリニ政府だから、多少の反對があるのは知れ切つた話だ。しかし現在傳へられる反フアスシスチ運動なるものは、共産黨殲滅し、社會黨潰走し、自由黨閉塞して、正面に立つはヂオリツチ、クリスピ、デプレル等の舊式國粹政治家であり、ガリバルヂーに卒ゐられる一派の在郷軍人であり、フアスシスチを遁走もしくは放逐された一派の三下奴であり、何れも同類項として括弧にくくらるべき代物のみである。殊にヂオリツチ一派の如きは、嘗て左黨の跳梁を牽制せんとしてフアスシスチを利用した前科者である。庇を貸して母屋を取られたのを憾み、有象無象のハシタごろを煽動し、烏滸がましく『國民』の名を僭稱しても、さう旨くは問屋が卸してくれぬ。一敗血にまみれることは、最初から豫想された問題である。

何はともあれ、フアスシスチとしては贔負の引き倒しか知れないが、黒襯衣だつて三年經てば三つにもなる。今では當初の暴力軍はほんの一部で、各階級のあらゆる堅氣の人間を集め、押しも押されもせぬイタリー最大の政黨である。勞働組合にしてからが、けふ日では大部分がその麾下に屬し、共産黨系、社會系のそれすらも段々と來たり投じてゐる。尤もそんなことはフアスシスチの大きさに對して九牛の一毛だらうが、それにしたところで、謂ゆる左黨諸派の無氣力だけは窺ふに足るだらう。

弱き者の強味

イタリーがムツソリニでなければ治まらぬに比し、ドイツはマルクスでなければ事が面倒である。而もそれが全然正反對の理由によるのだから、實際政治の面白いところである。

立憲政治は多數黨政治だといふ。その意味からすれば、當然百二十九名を有する社會黨内閣でなければならぬ。然るにその社會黨は一九二一年以來、第一黨の實を有しながら野黨として終始してゐる。そんなら第二黨中心内閣かといへばさうでもなく、國權黨は政權を取つた歴史さへ持たぬ。多少の増減は選擧ごとにあつたとしても、精々二三十名臺を維持するに過ぎぬ人民、中央、民主の三黨聯立内閣を繰り返し、政變は首相の雁首を取り代へるだけで、與黨三派の實質に變りはなかつた。勿論この聯立内閣は、全數の四分の一を辛うじて數へる程の與黨である。

聊か解説に亘るのは氣がさすが、現在ドイツには十二の小諸黨が分立してゐる。左右兩極端を代表するものに、共産黨と國粹黨(國民社會黨)の二つを見るが、これは現實の政治舞臺には乘り出して居らぬ。そこで社會黨、民主黨を中心とするいはゆる民主聯盟と、國權黨、人民黨を中心とするビユルゲル・ブロクツとが、左右兩翼を形成して對峙してゐる。これに對して中央黨は、元來が加特力教徒の集團であるところから、各階級の各人士を包括し、隨つて左右いづれの位置にも屬し得ない立場にあり、文字通りの中央黨をなしてゐるのである。

かく小黨が分立してゐる限り、獨力で組閣し得る政黨のないのは明らかである。しかしさればといつて、左翼聯盟もしくは右翼聯盟のみで、多數黨内閣を造るといふ希望も不可能である。現在のところでは、僅かに右翼派が優勢を示してゐるが、これとて中央黨三十餘名の去就が難關である。現に昨年の十二月末、人民黨首領ストレーゼマンに組閣任命が降つた時、中央黨の援助の下にビユルゲル・ブロツクの内閣を造らうとしたが、中央黨からペケを喰つて投げ出したのである。これ中央黨の一部分に國權黨嫌ひの人士が多いからである。そんなら左翼に對してはどうかといふに、これも社會黨嫌ひの人種が多いから、同じ意味で提携は不可能である。要するに社會黨とか國權黨とか、主義的立場のハツキリした政黨に對しては、單に中央黨内の分子ばかりでなく、他の小諸黨にあつても積極的反對態度を示すものが少くない。隨つてこの二黨の何れかゞ加はることによつて、多數黨内閣の希望は不可能となり、而もその何れかの加入がなければ、絶對に多數黨内閣の成立は望み得ない。忠孝兩立せず、強ひて忠ならしめんとすれば、孝道は元より忠道まで棄てねばならぬ状態である。

この状態は數年來續いて來た。それがため、左右何れに對しても、よからずと雖も惡からずといつた中央黨を中に、中間右黨の人民黨と中間左黨の民主黨と、この三派が聯立して交代に内閣を取つてゐたのである。ところが最近に於いて、殊に去る十二月八日の總選擧により、左右兩派の對峙が險惡となつた結果、三派聯立の基礎も動搖を免れなくなつた。即ち人民黨はヨリ右的に、民主黨はヨリ左的に傾き、いはゆる中間黨としての實體が薄らいで來た。而も形勢がかく急迫することは、左右いづれも政權に近づく可能性を奪はれるゆゑんで、又候お鉢を中央黨首領マルクスに廻さねばならなかつた必然をつくり上げた。中央黨元よりフヤケ切つた政黨であり、マルクスまた政治家といふべく有能の材ではない。にも拘らず、現在ドイツの政治的紛亂を救世し得るのは、差し當り先づマルクスといふに相場は決せられた。

聊か禪問答に類するが、無能なるが故に實は有能であり、無力なるが故に實は有力だといふ眞理は、七分三分カネアヒの微妙裡に求められることがあり得る。マルクス及び中央黨は、正にその微妙な眞理に該當すべき存在である。英國のやうな平板無味の政治状態には、憲政常道論も多數黨内閣論も御勝手だらう。しかしドイツのやうに小黨分立し、その勢力が醋雜紛淆し、加ふるに各黨各別な主義を奉ずる國にあつては、お體裁の憲政論なんぞ屁の河童にも價ひしない。中央黨をキヤスチングヴオーといふべく、餘りに深酷な社會學的諸原因が復合してゐる。而もマルクスは餘りにオポチユニスト要素がないため、却つて、オポチュニズムの効果を酬ひられてゐる。

これを結論するに、デモクラシーなんてものは、チヤチな玩具に過ぎないといふのだ。

『立憲』の非立憲性

護憲運動當時に濫發した手形の整理で、政府は捻り鉢卷の態である。その大口のものに貴族院改革がある。今となつてはいはずもがなの悔ひはあらう。が、自分の蒔いた種子は苅らずばなるまい。それを如何に苅るか具體案は發表されぬが、制度の改革だと稱してゐる手前、まさか選擧方法や任期など胡魔化すことも出來ないだらう。即ち有爵議員定數減、勅選多額納税議員廢止、民選議員認容等、彼等のいはゆる立憲的改革にまで及ぼさねばならないだらう。

ところで時評としての問題は、かかる改革が果たして『立憲的改革』かどうかといふことである。法理論からいへば、日本の貴族院は既に名稱に於いて貴族代表たることを明らかにされ、その點が諸外國の上院と異る、といふ議論もある。それはそれでいいが、外國の上院と同じだとしても、三派のいはゆる立憲的改造が立憲的でない意味で反對根據は充分ある。

立憲制度といふのは、既に斯道のお祖師樣モンテスキユーが喝破した如く、各人の惡を働らく餘地を少なからしめるための制度である。これは個人に限らず、階級にも職業團にも、更らに具體的には議院にも當てはめられる。即ち上院と下院とを對立させたその根本の精神は、一院の專制をば他院をして牽制せしめ、相互に惡を働らく餘地を少なからしめんとしたに外ならない。さればこそ兩院特立の原則といふやうなものがあつて、兩院合同で議決することは禁じてあるのだ。

護憲派の論據とする重心は、貴族院に民選議員を認めないのは不當だといふにある。有爵議員の定數を減じたり、勅選議員や多額納税議員を廢止するのも、實はこの民選議員に對する空席を造らんためである。その意味に於いて、彼等の立憲的改造とは貴族院の衆議院化である。民選議員必ずしも拒否すべきではない。しかし彼等の貴族院民選議員の選擧單位は、依然として地理的地盤に據るべきを固執してゐる。即ち彼等の改造とは貴族院を政黨化することで、政黨の勢力を以て兩院を縱斷的に支配しようといふのだ。

立憲政治が多數決主義を採る限り、多數專制は免れ得ず、黨弊は常に防ぎ得ない。これを比較的に少なからしめる必要あればこそ、政黨に超越した貴族院といふ制度が必要であり、それあればこそ、立憲政治の意義も甚だしく傷つけられずに濟んだ。今更らそれを政黨化するなどは、第一に二院制度そのものを否定することである。

政治上の制度ばかりではないが、凡そ一切の制度はモンテスキユーのいふ如く、相互に惡を働らく餘地を少なからしめる目的を以て生れた。碎いていへば、人の性が惡だといふ事實は如何ともし難い運命である以上、せめて惡と惡との調節を計るために制度は考案されたのである。何も政黨員ばかりが惡黨といふ譯ぢやない。が、政黨員もまた人間なれば惡黨に相違なく、それがため貴族院といふ惡の調節機關が設けられ、惡行餘地を牽制調節してゐるに外ならぬ。隨つて現在の貴族院組織が、果たして惡の調節機關として完備したものかどうか知らぬが、少くとも全然無いより増しに相違ない事信ぜられる。護憲派の立憲的改革として主張するのは、貴族院の衆議院化、換言すれば一院化せんとする議論であるから、惡の調節機關を否定しようといふのである。成程さうなれば政黨員には都合よからうが、それを立憲的だなどゝいふのは愼しんで貰ひたい。何となれば、立憲政治とはお祖師樣の御託宣で、惡の調節作用といふことになつてゐるから。

鯛で鰕を釣る

普選案を提出する程に立憲的な加藤内閣が、治安維持法案を出すのは矛盾だ、といふやうな議論を新聞記者がやつてゐる。しかし矛盾を中心に考へると、治安維持法案を出す加藤内閣が、普選案を出すのは矛盾だといふ方が正確だ。何故となれば、加藤高明は桂内閣の社會主義者彈壓に加擔した大臣の一人であり、高橋是清は例の過激法案を提出せんとした時の首相であり、共に言論壓迫の前科者だからである。

清浦内閣の成立に對して、身自ら華族の末席を穢しながら、而も貴族内閣の特權内閣のと呼號した彼等である。普選と治維を同一議會に提出する矛盾ぐらゐ、或は何でもないのかも知れぬ。が、這般の事情は左樣に簡單でないから厄介である。

政治家は人氣商賣である。人氣商賣であつて見れば、人心の傾向に媚びねばならぬこと、尚ほ藝人の觀客に對する場合と同一である。人心デモクラシに向ひ、普選を渇仰するの機運に達すれば、人氣商賣の悲しさに、己れがこれを好むと否とに拘らず、一緒になつて太鼓もたゝかなければならぬ。普選のごときもその強ひられた意志である。幸か不幸か護憲を看板にする三派聯立内閣が出來た上は、嘘から出た眞であるにしても、平素の言質を實行せねばならぬ責任を負はされた。それで普選案提出の段取りとなつたのだが、その通過を喜ばないのは勿論であり、といつて通過は確定の事實であるから、置土産兼代償として治安維持案に交換しようといふのである。心理的にいへば、國民に喰らはせるに普選の利を以てし、新に治安維持法の重荷を負はせようといふ魂膽である。

尤も治安維持法案は確定的に提出するといつてゐないやうだが、それが政治家としての狡智である。普選案實現の間際になつて、疾風迅雷的に本態を現はすかも知れぬ。現に樞密院あたりでは、例の思想惡化論から大分問題にされてゐるし、貴族院の一部にも硬論があるといふし、惡化防備の意味で治安維持法と來るは、如何にも最初から仕組まれたらしい筋書である。もしさもなくて、政府が面目問題として普選通過を計るといふ場合にも、反對論を緩和するための代償として、治安維持法案の提出を約束することなきに非ずだらう。それもこれも、取らぬ狸の皮算用で、普選實施の曉に於ける無産政黨の組織如何、などと勝手な高説を擅にしたり、過激派から生活費を瞞着したりした連中に、一半以上の責任が負はさるべきである。

翻つて思ふに、もし普選の代りに治安維持で背負はせられるなら、鯛で鰕を釣るの愚に等しい。普選の代償に治安維持法では、どう考へても差引勘定が引き合はぬ。それでもまだ、鯛を鰕と交換し得たら、損は損でも元も子もスル譯ぢやないが、拙く行くと普選には逃げられ、治安維持の方ばかり糞掴みしないとも限るまい。

一將功成萬骨枯

東京府知事宇佐美勝行氏は、年末に際して金四百餘圓をボーナスとして貰つた。御用仕舞の二十七日、彼は課長から給仕の末に至る五百餘名の部下を一堂に集め、如何にして事務簡捷をなし得べきか、能率増進をなし得べきか、各自の考案を纏めて一月十五日まで提出して呉れと要求した。その際、件のボーナスの札束を示し、優秀答案者數名に分與するといつたこと勿論である。

この噂は彼の名知事振りとして、世間に大變評判がいい。いふまでもなく、己れのボーナスを氣前よく投げ出し、公務の成績を擧げようとした心掛けが、當世に稀らしいといふ話らしい。東京府知事の年俸が何程か知らないが、半期のボーナス四百圓は、彼の生計に影響しないことは確かだ。況して彼は恒産の士と聞く。四百圓の端金で名君たることを吹聽されるなら、廣告料としてずゐぶん廉いものである。まさか彼にさうした打算があつたといはぬが、御用仕舞に際して部下一統を集め、勝手な能書を竝べた上、たとひ端金でもボーナスと名のつく金を提供し、能率増進の懸賞金とするなどは、名君意識を滿足させるには好個の道樂だ。酒食に徒費するより、主觀的にどれほど徳用だか知れない。萬が一、瓢箪から駒が飛び出し、ほんとに事務簡捷、能率増進が出來るやうになれば、それこそ一擧兩得である。かくて上司の覺えも目出度しと來れば、尚ほ更ら結構である。

ただ結構でないのは、課題を與へられた屬吏、小使、給仕の面々である。折角樂しみにしてゐた正月を、知事樣の仰せに從つて論文を書かねばならぬと思へば、ゆつくり羽を延ばすことも出來なかつたらう。飛んだ名君狂の飛ばつちりで、部下の者はどれだけ迷惑するか知れない。

似たやうな例が、もう一つ赤阪の氷川小學校にある。今年十三になる大倉男の門番の倅が、毎日辨當のお菜に梅干ばかり喰べてゐるので、受持の大井訓導の自分のものを分けてやつたといふ話だ。大井訓導それ自身の態度は、教育者としてかくあらせたい人情だが、その子供の氣持ちも考へてやらねばならぬ。十二三にもなれば、相當に世間に對する眼を開き、その頃の子供心には貧そのものの苦痛よりも、貧として區別される方が餘計に苦痛だ。つまり梅干を喰ふつらさより、大勢の前でお菜を分けて貰ふ方が、どれだけ氣が引けるかも知れない。かくて暗い陰が性格に刻まれて行く。訓導にして見れば、何もそれによつて區別をつける心算ぢやなかつたらう。が、彼の良師意識に基づく人道主義的センチメンタリズムの犠牲者として、その少年はひねこびれた人間となるに相違ない。子供こそいい面の皮である。

尤もその子供が天性の馬鹿なら、この話しは最初から問題にならない。


底本:『新小説』第三十年第二號(大正十四年二月)

注記:

明白な誤植は適宜直した。

改訂履歴:

公開:2007/08/12
最終更新日:2010/09/12

inserted by FC2 system