是々非々(社會雜感)

高畠素之

立憲民政黨とやらの總裁も結局濱口氏に定つたらしいが、此所まで漕ぎつけるには隨分やッさもツさがあつたことであらうと推量される。政黨の總裁は一國の元首に等しいものであるから、それを定めることがなかなか一朝一夕の問題でないことは善く呑み込めるし、結黨式前に是非とも總裁のガン首を確立して置きたいと云ふ焦慮も至極尤もなことゝ思ふが、さういふ必要があり、その必要のために、これだけの狗肉的努力を傾けねばならぬこともちやんと分つて居りながら、それでも尚看板だけは總裁公選の羊頭を掲げて、これが一かど新黨の新味であるかの如く吹聽する。公選ならば、初めから白紙状態で結黨式に臨み、その席上で堂々と公選したら善さゝうなものだが、結黨式前に豫め絶對不動のお膳立を拵へて置いて、それに後から投票抜きの公選のスタンプを捺さうといふのだから、この場合公選とは非公選の事後承諾に過ぎぬ。

そんな事後承諾など、あつても無くても善さゝうなものだが、さうして置かないと通りが惡くなつて來たところに、時代デモクラシー化の趨勢が窺はれる。如何なる場合にも、デモクラシーとは、少數專斷の狗肉に多數決定の事後承諾的羊頭をスタンプするといふことに外ならぬものである。

いま一つ、これに類似した羊頭に黨費公開といふのがある。立憲民政黨は幸か不幸かこの羊頭を掲げるまでにデモクラ化されて居らなかつたやうであるが、例の革新くらぶあたりでは、これこそ新政黨の新モツトーでなければならぬと力んでゐる。無産政黨と稱する諸部落では一足さきにこの看板を失敬してゐるらしい。

革新くらぶの連中に言はせると、既成政黨墮落の原因は主として黨費の隱蔽にあつたさうだ。だから、墮落すべからざる新政黨は黨費を公開すべしと言ふのだが、一體、黨費公開とは文字通りの黨費の現實曝露をいふのか、それともほんの體裁だけの公開をいふのか、そこに大きな問題がある。體裁だけの公開なら、過般取付を食つて休業した不良銀行にしたところで、いづれも申分のないバランス・シートを公開してゐた。そのために却つて、世間の目は瞞着されたのであるから、かういふ公開なら寧ろなさざるに如かずであらう。體裁を以つて世を欺くだけでも罪が深い。それで公開するからには、文字通りの黨費の現實曝露をやらねばならぬ譯だが、そんなことが果して出來るものかどうか、清瀬一郎君あたりにお伺ひしたい。

黨費公開を看板にしてゐる自稱無産政黨だつて、決してこの意味の黨費公開をやつてゐるものとは考へられぬ。例へば、勞農黨がロシアからいつ何日にいくら金を貢がれて、それを何處へどういふ形で支出したといふことや、日勞黨が常磐炭坑で爭議を煽動して置いて、それを五千圓で會社側に賣りつけて坑夫を煙にまき、その金の一部をカフエー・タイガーで浪費したといふやうなことまで、ざツくばらんに公開しない限り、眞の黨費公開とはいへぬ。

が、苟くも事業をするのにそんな素樸(1)な眞似が出來る譯のものでないから、結局公開したところで、不良銀行のバランス・シートと五十歩百歩である。人を欺き世を毒するといふ以外に、何の功徳があらう。害の少ない點からいへば、寧ろ黨費隱蔽の正直なるに如かずではないか。

それにも拘らず、黨費公開の名稱に特別人をひき着ける魅力があるかのやうに思はれ、世の新人と稱する手合が躍氣になつてその御神輿を擔ぐ。そこへ新聞紙までが相槌を打つて、ますますこれを意味ありさうなものにしてしまふ。勿論、意味もあるが、その眞の意味は前述の羊頭狗肉的使命を一歩も出づるものでない。狗肉なら狗肉の看板で賣つて貰つた方が世の中は助かるのだが、世人を瞞着するために内容空疎の美名を擔ぎ廻るといふデモクラシー化の流行時代を風靡して來たのであるから、正直な人間は生きて行けぬのも無理はない。

新潮の社會時評(六月號)で、森田草平氏が私の國家社會主義に一半的の共鳴を寄せられてゐる。

森田氏の社會時評は、時評といふには些か超時間的の取材が多すぎたが、社會感想としては斷片的ながらとりどりに實感的で面白かつた。勞農大使が何故、菜葉服を着て電車の革ブラで東京市内を濶歩しないかといふ試問も宜しい。ロシアの共産黨が權力を取るまでは何人に限らず加盟を歡迎しておきながら、一旦權力を取つてからはひどく入黨を窮屈にしてゐるのは、これはつまり自分達の權力や利益の分配を成るべく狹い範圍に限らうとしてゐるのではないかといふ觀察も、我が意を得たものである。

この森田氏が、私の國家社會主義に共鳴されたことは不自然でない。私の國家社會主義は、人間のエゴイズム本性から出發して強制支配の必然性を推論し、その階級化に國家の本體を求めるのであるが、それだけの範圍内では、森田氏は徹頭徹尾私の態度に共鳴すると言はれた。ただ、それから先きがいけない。『それだから、この不公平な世の中にあつて、自分は何處までも權力者の地位に立たなければならない、權力者の地位に立つて思ふやうに世の中を動かして見なければ措かない、といふやうな積極的野望を包藏せらるゝかに見える一點に至つては』氏はどうしても私の主張に『蹠いて行かれない。』『世の中をさういふ風に見る時、私はただこの世を厭離して、山の中へでも逃避したくなるだけ』だと言ふ。

さう言はれると、全く贔屓の引倒しみたいで恐れ入るが、實を言ふと私は野望があつても、そんな大それた野望は有たない。精々、自著の版が重つて、印税が殖えて妻子に苦勞をかけず、相當自分の存在を明かにして行きたいといふ位のところが關の山だ。私はこれでも、自分を知り自分を見る省察のデリカシーにかけては、人後に落ちぬつもりで、私の鑑定した私自身は、權力者の、支配者の、といふ野望の資格からは極めて縁遠いものだ。だから、そんな野望を有ちたいとも思はぬ。それほど私は偉大なるオツチヨコチヨイではないつもりなのである。

しかし、私よりももつと偉い實力者が出て、さういふ野望を抱き、進んでそれを達成したとき、これも社會的の必然だと肯定せしめるところが、私の見方の特徴だと思つてゐる。名利爭奪の淺間しさを體驗しては、時々、山の中へ厭離したいといふ森田氏の心境に接近することも無いではない。が、私には又こんな心持もある。それは、どうせ厭離するにしても、ただでは逃げたくないといふ氣持だ。自分が權力者になる野望などと言はれると穴にも入りたくなるが、どうせ逃げるなら、權力者になつたりならうとしたりしてゐる奴等の向ふ脛でも掻つ拂つて逃げようといふ算段である。これも一種の負け嫌ひであらうが、かういふ惡趣味がたまたま、大それた野望でもあるかのやうに、見えしめる原因となつたのかも知れぬ。

森田氏の言ふやうな高畠の態度には、私だつて蹠いて行かれない。掻つ拂ひが濟んだら、私は寧ろ森田氏に蹠いて山の中へ逃避したい方なのである。

國家社會主義の話が出たから一言辯ずるが、今から十年程前に私がこの看板を掲げた頃には、これを以つて單なる猫かぶりだと評する者が多かつた。つまり、社會主義運動を行ふための、淺薄な方便に過ぎないとされてゐた。その頃は私自身の頭も可なり幼稚で、隨つて説明も拙劣ではあつたが、それにしても單なる方便のための主張と言はれることは心外だと思つてゐた。

しかるに今日では、私の主張する國家社會主義が國家に對する特殊の理論的見地から割り出されたものだといふことを認める人が大ぶん殖えて來た。森田氏もそのことを認めて居られた。方便といへば寧ろ、既存の國家をブルヂオア國家と罵りながら、一面に三千年の歴史や國情を喋々して、官憲と世間の目を眩まさうとする共産主義者や所謂右翼社會主義者達の方が、遙かに方便主義なのである。

或は森田氏の言ふやうに、『共産主義を實行するためには強力なる國家の存在を必要とするといふやうな、そんな方便的』といふ意味で、共産主義を方便的だと片づけてしまふことも出來るであらう。いづれにしても、方便的でないといふ點にかけては、私の主張が恐らく現存の凡ゆる社會主義思想中最も正直なものと見られるやうになつたことは嬉れしい現象である。

しかし、私の主張にも方便的な方面がある。それは官憲や世間の氣受がどうの斯うのといふことでなく、寧ろ理論上だけの話かも知れないが、私は今の日本國家が社會制度の點で根本的の革命を要するものと見てゐる。それは急激なればなるほど害が少なく、益するところが多いのであるが、急激なる革命は思ひ切つた外科手術であるから、へたをすると國家のための革命が、却つて國家そのものを犠牲にすることがないとも限らぬ。

そこで、大仕掛の切開手術を行ふ前に他の身體機能を成るべく完全にして置く必要があると同じ意味で、國家の社會制度に於いても、急激なる革命を要すれば要するほど、國家それ自身の根柢を鞏固にして置く必要がある。社會主義が革命的であればこそ、一面に於いて國家主義を強調する必要があるのだ。國家主義は自由主義の反對である。自由主義で穩着的の社會改良を行はうといふ傾向(新自由主義!)にも、それなりに意味があると思ふが、自由主義思想の瀰漫した状態の下に急激なる社會制度革命を行へば、國家を革命の浪にさらはせる危險があるばかりでなく、革命それ自身も結局無意味に終つてしまふ。

社會制度の變革に於いて、穩着漸進的の傾向を採るべきか、急激革命的の傾向を可とすべきかといふことは、人に依つて言論の存するところと思ふが、少なくとも私一個は急激主義を採るべきもの、採らざるを得ざるに至るものと信じてゐる。それだけに、私は國家主義を努めて強調せねばならぬものと考へる。私の國家社會主義に若し方便的の要素があるとすれば、此所らが恐らく一番正直なところであらう。

富山縣知事の白上祐吉氏が勅任二等から一等に上せられて、島根といふ三等縣へ左遷された。島根は若槻禮次郎の郷國であるから、政友會としては自黨への忠勤に疑を抱かせた白上氏に此所で腕を振はせて、性根の程を試めさうといふ魂膽であつたらしい。

それを憤慨して白上氏は辭表を叩きつけた。白上氏は私も知つてゐるが、隨分しつかりした人物で、手腕もあり、腹も度胸も出來てゐる。水野練太郎の子分であるから政友系に違ひないが、憲政内閣のとき比較的公平振りを發揮したといふので、鳥取から富山に引き上げられた。白上氏からいへば、俺は十把一からげの浮草稼業とは違ふから、たとひ反對政府の下でも陛下の知事としてなすべき事はなし、なすべからざる事はなさぬといふ意氣込であつたかどうか、兎に角、首になると思つてゐた若槻内閣の下に却つて昇進を酬いられたことは、彼れの衷心に一抹の感激を唆つた所以であらう。

それが政友會から睨まれる種となつた。かういふ點にかけては、荒くれ男の政友會が存外女性的にヒステリツクで、女性的に神經的な憲政會の方が却つてユル褌でだらしのないところがある。

政友會は主義主張の方では徹底的のオポルチユニズムであるが、人的系統、隨つてまたそれに伴ふ節義的道徳を重んずる點は、憲政會などの到底及ぶところでないさうだ。これが政友會をして人事關係上にヒステリツクたらしむる所以であつて、憲政會の方は理窟にかけては政友會よりも幾分節義主義的の傾向が見え小心といひ得るが、人事關係に至つては政友會に比べると冷淡に見える位ゐ腹の大きいところがある。對外的には憲政會の方が受けがよく、對内的には政友會の方が結束鞏固となつた所以も茲にあると思ふ。

政友會の内部は、親分子分の封建的情義關係で結ばれてゐる。隨つて、泥水稼業の政黨部落中でも一しほ泥に塗れてゐると思はれる政友會の内部では、旦那とりに無節操な人間は却つて成功しない。一人の旦那をとつたら生涯それに身命を捧げるといふやうな行き方が歡迎されて、報いられるところが多い。

憲政會にも無論さういふ傾向が絶無ではなからうが、情義よりも理窟で動くところが多いから、反對黨系の人間でも手腕と人物を認めることに盲目とはなり得ない。それが或程度の公平振りとなつて現はれるわけであらうが、戰鬪團體としては政友會の行き方に強味がある。敵を憎んで味方を飽くまで盲目的に庇ふといふ行き方は、古いといへば古いが、人間性の根柢に深く根ざしてゐるから、時代と共に存在の理由を失ふやうなことがない。

政友會は憲政會のやうに、憲政會は政友會のやうになつたら、ちやうど釣合がとれるだらうが、さうは問屋の卸さないところに儘ならぬ浮世の分業原理が働いてゐる。それで人生が複雜になるのであるから、個人と同じく政黨だつて、それぞれの個性と流義を思ふ存分發揮させて勝手な方向に勝手な歩みを採らせる外はない。その方が却つて面白いのである。

田山花袋氏が令孃の戀愛に干渉し、北昤吉氏の令孃が不良書生につけ狙はれた。昨今までは、娘をもつ親に警戒されさうな小説を書いたり年輩であつたりした人達が、かうして自分の娘の身の上を氣使ふやうになつた。ひと事とは思へぬ。私の娘も年頃になつた。私の性分は昔ながらに、堅氣と不良性の二重人格である。けれども娘のためには堅氣の親心を發揮させたい氣持になることを制し切れない。

社會科學の不良學生を裁かれた裁判官が、我が子に引き比べて親に苦勞をかけるなと諭したことを、一場の方便的訓戒とは考へられぬ。不良書生も、いまに不良書生を警戒するやうになることを思ふと、あゝ人生が淋しいと言ひたくなる。


底本:『大調和』昭和二年七月號
『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂,昭和5年)に再録

注記:

※『英雄崇拝と看板心理』は『大調和』七月號の「是々非々」と逆順で収録している。
※単行本を参照の上適宜行末の句読点及び明らかな誤植を増補した。
(1)素樸:底本は「素撲」に作る。以下、同じ。

改訂履歴:

公開:2008/03/04
最終更新日:2010/09/12

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