以下は松山秀美氏の「谷真潮」(『土佐史談』第45号、昭和8年、土佐歌人群像(十四))をもとに、谷真潮の略年譜を作ったものである。該論文は既に亡失した多くの史料を引用しており、真潮の生涯を理解するために最も重要な論文と言える。真潮の生涯の詳細は、松山氏の論文を参照されたい。なお真潮には吉崎久氏に「谷真潮年譜稿」(『谷秦山・垣守・真潮関係書目録』所収)があり、松山論文を利用しての詳細な研究がある。以下はあくまでも私的な略年譜に過ぎない。また附録として北渓行状から逸事二三条を引いた。
○享保12年。1歳。
○元文1年。10 歳。
○寛保2年。16歳。
○同3年。17歳。
○延享2年。19歳。
○同3年。20歳。
○同4年。 21歳。
○寛延1年。 22歳。
○宝暦1年。25歳。
○同2年。26歳。
○同3 年。27歳。
○同4 年。28歳。
○同5 年。29歳。
○ 同6年。30歳。
○同7年。31 歳。
○ 同8年。32歳。
○同9 年。33歳。
○同10年。 34歳。
○同11年。35歳。
○ 同12年。36歳。
○同13年。 37歳。
○明和1年。 38歳。
○ 同2年。39歳。
○同3年。40歳。
○同4年。41歳。
○安永1年。46歳。
○同2年。47歳。
○ 同3年。48歳。
○ 同4年。49歳。
○同5 年。50歳。
○同7年。52歳。
○同8年。53歳。
○同9年。54歳。
○天明1年。55歳。
○同2年。56歳。
○同3年。57歳。
○同5年。59歳。
○同6年。60歳。
○同7年。61歳。
○ 同8年。62歳。
○寛政1年。63歳。
○同2年。64歳。
○ 同3年。65歳。
○同4年。66歳。
○ 同6年。68歳。
○同 7年。69歳。
○ 同8年。70歳。
○同9年。71歳。
○同10年。
○同12年。
○享和3年。
先生 家の神道、大父秦山先生は渋川春海先生より伝来あり、父君垣守先生は玉木翁より伝来ありて、誠に奥秘ある伝授の事なり。然るに先生 壮年の時より神書を通読せられ、伝来の事に間然する事有りて、垣守先生の説を受けたまはず。垣守先生 殊のほか不快に思し召し、我が家に悪魔が入りしなどとまでもいはれしとなり。先生 恐れ入りながら、終に伝来の説に随ひたまはず、神書文面の儘を自見めされ、終に一見識を立てられけり。垣守先生も力及ばず、以後にはその方の見識の処も一種の事なれば、まずその分の事なり。されども、只今まで蔵来りし神道奥秘の書 いつまでも大切にいたすべしといはれしとなり。
先生 近年著述し給ひし『論聖』『論仏』の二編、誠に世に類ひなき物にてぞありける。儒仏の事は古来論説多かれど、この二編のごときもの和漢ともにいまだ先哲の説を聞かず。古今の確論と云ふべし。この論に『神道本論』を併せ読みて三国の道体、掌上に見るべし。
先生 儒道の学風、壮年の頃より、他に異なる事多しとぞ。勿論程朱の学を本とせらるれども、亦た諸家の取るべきをば平常捨てたまはず。徂徠などの説にも服従の事多し。軍法は『孫子』を常に講ぜられ、能くその義を精究したまひけり。常にいはれしは、軍法の事はその時その事に出合せざれば、ただ書面のみにては会し難き事ありなど、毎々聞しなり。
先生の和歌、誠に当世の絶調といふべし。近年自ら撰出したまへる物三十首ばかり、いづれも風調の高き事、人の及ぶべきにあらず。大坂の人とやら、先生の歌を聞きて、大いに感吟し、「歌はかやうにこそよむべきものなれ。されど今の世、この地などにてかくよみては、口腹の為にならず」といひし事ありとぞ。
以上、『北渓先生行状』より抄す。
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