谷真潮「武庚三監論」

書き下し

殷周の際、紀事 周人に成る(*1)。故を以て属文行辞(*2)、勝国の華を略す(*3)。当世の抑揚襃貶(*4)、名実 或いは違えり(*5)。

伝に曰く、「武庚 乱を起こし、三監 叛す」と(*6)。豈に其れ然らんや。夫れ武庚なる者は、商王の胤子。而して武王 既に其の父を殺せば、則ち武庚は周に於いて与に天を戴くべからざる者にして、万世と雖も之に讐を復すべきものなり。舜の文明すら(*7)、父母の頑囂を知らず(*8)。武庚 豈に其の父の不道にして、之を伐つ者 聖たり仁たるを知らんや。後来の挙兵、実に恢復の大義 称すべき者にして、三監の武庚に於ける、忠の至り、義の尽くる者なり。

五常百行、孰れか倫理ならざらん(*9)。而るも其の最も重き者、止だ忠孝の二のみ(*10)。而して忠義の在る所、時に其の親に違うべきなり(*11)。三監は是に於いて亦た撰ぶ所を知るか。始め(*12)宗族の殷を伐つに当たり、史書 未だ嘗て其の名を列せず。中に武庚の立つに及び、既に以て自ら監と為る。其の縋惓惻怛、始めより一日として殷氏を存せざる無し。而して終に武庚の挙兵あり、慨然として随う。戈を取り前駆すること、固より偶然〔ならざるを知る〕べきなり。若夫れ流言以て周公を間(へだ)つ者に至りては(*13)、用兵の機、宜しく已むを得ざるに処すべき者、大義に病む所に非ざるなり。

朱子曰く、「泰伯 伯夷と心 同じくして、事の処し難きこと甚だしき者有り。泰伯の父子に処すの際、形跡に露るべからず、只だ不分不明を得て且つ去る」(*14)と。予も亦た謂えらく、三監と泰伯と心 同じくも、而るも時勢の逼る、去るに足らず、而して以て形跡を隠し、本心を全うし、只だ進みて宗子に違い、王家に勤むるを得るなり。

嗟乎、武王・周公、才の大、八百歳の業を開く(*15)。周人是を以て聖と為し仁と為し、武庚・三監を以て叛と為し乱と為す。私言 固より当然にして、因襲すること久し(*16)。漢より以来、縉紳鉅儒(*17)、習いて(寮)〔察〕せず(*18)、遂に武王・周公の殷を伐つは権なり道なりと謂う(*19)。武庚・三監、乱を為し謀叛し、周公之を伐ち、(孑遺)〔孑を遺す〕無し。是非 相反し、順逆 処を更(か)う(*20)。又 嘆ずべけんや。



〔語釈〕

(*1)歴史書が周の人の手で作られたの意。
(*2)文章のこと。
(*3)略:略説の謂か。戦勝国の華美を概説したの意。
(*4)毀誉褒貶。
(*5)名前と実態が乖離している。儒学によくある正名思想の一つ。
(*6)通常は『尚書』大誥の書序を指すが、全くの同じ言葉は見あたらない。なお三監は殷の紂王の子供(武庚)を封じた武王が、自分の弟たちに監督させたもの。
(*7)以下、舜の伝説を踏まえる。文明は『尚書』舜典冒頭の言葉(濬哲文明、溫恭允塞、玄德升聞)。
(*8)これも舜の伝説。馬鹿な親と愚かな弟を身内にもった舜だったが、その孝悌の心から、事なきを得たという。『史記』本紀、『尚書』舜典を参照。
(*9)五常は五常の徳を指す。百行は孝に関係する徳行。ここでは広く人間の踏み行うべき諸々の徳を指すと思われる。五常百行など、人が守るべき徳目は数多くあるが(最も大事なものは忠と孝である)の意。この議論は秦山が野中継善に与えた書簡に見える。
(*10)江戸の学者によく見えるが、真潮の場合は秦山以来の学統だろうか。
(*11)この辺りはいかにも真潮(というか南学)らしい発言だと思う。
(*12)以下、「始め」「中に」「而して終に」という三段で論を組む。
(*13)三監が叛乱を起こしたとき、既に武王は死んでおり、その子の成王が位につき、周公が摂政になっていた。伝説によると、三監は周公が叛乱を起こそうとしているとデマを流したとされる。『史記』周本紀、ならびに『尚書』金縢を参照。
(*14)『朱子語類』巻35(論語、泰伯其可謂至徳章)の弟子の質問の中に見える言葉だが、直接的には『論語』泰伯其可謂至徳章(泰伯篇の冒頭)の朱子の注を指している。
(*15)武王・周公がかの華々しい周王朝を開いたの意。
(*16)あの武王・周公なのだから、二人を褒めちぎり、二人に叛した三監をぼろくそに貶すのも当然で、それが後世に広まったの意。
(*17)世の博学著名な学者達。
(*18)(武王・周公を褒め、三監を叛とする)間違った考えに因襲して、物事の本質を明察できず云々の意。
(*19)権は仮(かり)のこと。事の便宜に出て、しかも道の当然に帰するもの。方便で動いて、正しい結果をもたらすような行い。
(*20)是と順(三監が殷に従ったこと)、非と逆(武王・周公が殷に刃向かったこと)、が顛倒してしまっている、の意。更は変更の更。変えるの意。要するに、真潮は、君臣の忠を守った三監は立派だが、武王・周公(かれらは聖人だが)はけしからんという。


補足

底本には新版『土佐国群書類従』を用いたが、その訓点には従わなかった。また書き下し文の( )は底本の文字、〔 〕は底本の校訂文字(山内本による)を指す。

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