直方の秦山批判

原文

○九月十七日書

土佐之丹三郎死去、三宅九十郎茂痢病なり。死者両人共に非可惜之人矣候、為道ノ幸と申事候。

○十月十一日夜

猶々此度上方江参候而、三十日計之在京之内、何ヤカヤいな事共、兎角皆俗儒ニ而候。就中神ノ筋、丹治茂我ヲ折申候。土佐之丹三郎茂相果、三宅九十郎茂相果、神儒二先生茂目出度ト丹治茂笑ひ申候。能々目ヲはきと御さまし可有之候。以上。


補足

底本は『佐藤直方全集』(戦前の墨塗本ではない方)の『韞蔵録』巻六(与稲葉正義書)。「惜しむべきの人に非ず」「道の為の幸い」とはなかなか手厳しい。ちなみにその直方が死んだとき、かつての弟子・跡部良顕とかつての同門・植田玄節は「神罰が降った」と評したらしい。

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