書元亨釈書王臣伝論後

書き下し

元亨釈書王臣伝論の後に書す

天を以て天と為し、地を以て地と為し、日月 終古、照臨 墜ちざる者は、我が葦原の中つ国なり。是を以て君は則ち日神の嗣、臣は則ち興台産霊の児、億万載に亘りて一日の如し。隆なるかな。西土の国を建つる、簒弑を以て基業と為す。堯舜の聖、禅譲の美を尽くすと雖も、然れども実に天地の常経に非ず。是を以て伏羲以来、姓を更うる者 三十氏、弑を以て書す者 二百事、其の余の放廃、紛紛として疏挙すべからず。風俗の薄悪、如何と為さんや。釈徒 天竺を指して閻浮の本邦と為す。而るに其の教 家を出づ。儒者 西土を推して中華礼義の国と為す。而るに其の俗 君を弑す。孟子の曰く、「父を無みし、君を無みする、是れ禽獣なり」(*1)と。信に哀れむべきのみ。世人 常を厭ひ異を好み、外国の書に偏執し、自ら称して夷狄と為し、甚だしくは私に侘方の礼を用ひ、敢然として忌諱を為さざるに至る。名行の壊るる、寒心すべきなり。偶々師練が『釈書』の中、国宝を論ずる者を読む。既に其の言の卓絶、近世の学者 或ひは及ぶこと能はざるを歎ず。又 其の徒に知るのみにて信ずること能わず、躬 髪長の醜類に陥るを悼む(*2)。因て特に之を表出し、聊か鄙意を記し、以て其の説を終ふ。

抑々嘗て諸を源春海翁(*3)に聞く。日本の野、張翼に当たり、而して太微宮 全く之を掩ふ。張翼は己の宮、物 生じて窮まらざるの象。太微を天子の庭と為す。帝坐太子、月卿雲客、上下済済、班列 愆らず、堅垣 域を限り、将相 護衛し、毎日 天に臨み、四極(*4) 法を受く。本朝皇統磐石、外夷 窺を絶つ、其の符 此の如くなる者有り。西土の野、柳星張に当たり、而して軒轅星 全く之を掩う。柳星張は午の宮、陽道著明の象。軒轅は後宮を主どる。后妃夫人の居る所。西土の国と為る、道学大明、文物極盛にして、而も終に簒弑夷狄の禍を免ること能わざる者は、其れ日 中すれば則ち昃き、垣無くして曙{れ易きの応か。天竺の野、井鬼に当たる。井鬼は未の宮、万物曖昧、幽暗に帰するなり。天竺の俗、専ら人道の顕明を捨て、而して輪廻因果の冥報に従事す。其の気の偏を受くるか。此に依りて之を言へば、万国の事、蓋し皆な天に非ざる莫きなり。斯の説 古人の未だ発せざる所。因りて併せ載せ以て朋友に寄す。

元禄丙子九月十七日、土佐国 谷重遠 謹みて書す。

原文

書元亨釋書王臣傳論後

以天為天、以地為地、日月終古、照臨不墜者、我葦原中國矣。是以君則日神之嗣、臣則興台産靈之兒、亘乎億萬載、如一日矣。隆矣。西土之建國、以簒弑為基業。堯舜之聖、雖盡禪讓之美、然實非天地之常經矣。是以伏羲以來、更姓者三十氏、以弑書者二百事、其餘放廢、紛紛不可疏舉。風俗之薄惡、為如何哉。釋徒指天竺為閻浮之本邦。而其教出家。儒者推西土為中華禮義之國。而其俗弑君。孟子曰、「無父無君、是禽獸也」。信可哀已。世人厭常好異、偏執外國之書、自稱為夷狄、甚至私用侘方之禮、敢然不為忌諱焉。名行之壞、可寒心也。偶讀師練釋書中論國寶者。既歎其言之卓絶、近世學者或不能及。又悼其徒知而不能信、躬陷髪長之醜類。因特表出之、聊記鄙意、以終其説。抑嘗聞諸源春海翁。日本之野、當張翼、而太微宮全掩之。張翼己宮、物生不窮之象。太微為天子庭。帝坐太子、月卿雲客、上下濟濟、班列不愆、堅垣限域、將相護衞、毎日臨天、四極受法。本朝皇統磐石、外夷絶窺、其符有如此者矣。西土之野、當柳星張、而軒轅星全掩之。柳星張午宮、陽道著明之象。軒轅主後宮。后妃夫人之所居。西土之為國、道學大明、文物極盛、而終不能免於簒弑夷狄之禍者、其日中則昃、無垣而易曙{之応乎。天竺之野、當井鬼。井鬼未宮、萬物曖昧、歸幽暗也。天竺之俗、專捨人道之顯明、而從事輪廻因果之冥報。受其氣之偏乎。依此言之、萬國之事、蓋皆莫非天也。斯説古人之所未發焉。因併載以寄朋友。元祿丙子九月十七日、土佐國谷重遠謹書。



〔注〕

(*1)『孟子』滕文公下の言葉。
(*2)不詳。
(*3)澁川春海のこと。
(*4)『漢書』禮樂志(安世房中歌)顔師古注云:「四極,四方極遠之處也」。


補足

底本には『秦山集』巻四十三を用いた。秦山が世間の朱子学者から顰蹙を買った有名な論文。当時の朱子学者が、中国を礼賛し、日本を蔑視したのに堪えられず、秦山は日本こそ世界に冠たる国であると主張し、その根拠に分野説を持ち込んだ。秦山の分野説は、その師・澁川春海から伝授されたもので、秦山も天文研究に余念がなかった。秦山の発言は同門の朱子学者の間に知的興奮を与えるどころか、激しい蔑視の感情を生み、事実上だれにも相手にされなかった。ただし江戸の垂加派の間ではそれなりに評価されたという。なお単行本は師練の『元亨釋書』王臣傳賛の後に、この一文を附している。

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