谷秦山略年譜

口上

『秦山集』巻四十九には秦山の手に成る谷氏族譜が収録されている。同篇は秦山自身が谷家の由来を語り、また自身の生涯を記したものとして、秦山の一生を考えるとき、まず読まねばならないものである。そこでこの谷氏族譜をもとに、その他若干の資料を用いて、秦山の略年譜を作ってみた。なお秦山の年譜は、既に吉崎久氏が「谷秦山年譜稿」(『谷秦山・垣守・真潮関係書目録』所収)を著しておられる。同論文は秦山の『粟弾箚記』『東遊草』などを利用した詳細な年譜である。以下はあくまでも私の個人的な娯楽の所産に過ぎない。なお族譜中の神社名など、不詳のものは原文のままにしておいた。

年譜

○寛文3年。1歳。

  • 3月11日、誕生。

○同6年。4歳。

  • 八幡を去り、高知に寓居する。

○同11年。9歳。

  • 舅の島崎氏に従い、小学・四書を授読す。

○同12年。10歳。

  • 常通寺に入り、守信法印を師とし、法華経を読む。両月に満たずして読了す。

○延宝2年。12歳。

  • 寺を辞し、家に帰る。

○同7年。17歳。

  • 2月、上京。
  • 6月1日、浅見絅斎に謁す。
  • 10月21日、山崎闇斎に謁す。

○同8年。18歳。

  • 4月、帰郷。
  • 9月、仕官の誘いを断り上京する。

○天和元年。19歳。

  • 2月、帰郷。

○同2年。20歳。

  • 10月、山崎闇斎の訃に接し、上京する。
  • 12月、帰郷。

○同3年。21歳。

  • 7月2日、高知の寓宅から秦山に移住する。
  • 9月、上京。
  • 11月16日、京都を離れる。
  • 同23日、大雪の中、早朝、西宮に詣でる。
  • 12月、帰郷。

○貞享3年。24歳。

  • 5月、蹉跎山と宿毛に遊ぶ。
  • 8月、帰郷。

○元禄1年。26歳。

  • 11月1日、父の重元が死ぬ。

○同3年。28歳。

  • 8月11日、出母の島崎氏が死ぬ。

○同7年。32歳。

  • 渋川春海に書簡を送り、天文・暦策および神道を学ぶ。

○同8年。33歳。

  • 8月1日、安倍泰福から貞享暦法の伝授許状を賜わる。渋川春海から自筆の『貞享暦書』七巻を賜わる。

○同10年。35歳。

  • 夏、渋川春海から暦術の印可を賜わる。
  • 4月23日、土橋氏を娶る。

○同11年。36歳。

  • 7月21日、長男の自直が秦山で生まれる。

○同12年。37歳。

  • 11月1日、渋川春海から中臣祓の印可を賜わる。

○同13年。38歳。

  • 4月21日、香美郡山田野に移居す。
  • 7月11日、新造の宅が落成する。
  • この年、安倍泰福から十一曜の印可を賜わる。

○同14年。39歳。

  • 3月1日、荒木田経晃から「中臣祓の伝」を授けられる。

○同15年。40歳。

  • 1月5日、渋川春海から「三種神器の故実」を授けられる。
  • 同7日、天王社を祭る。8日、先祖を家に祭る。
  • 2月戊辰(15日?)、谷氏大神姓説が成る。
  • 同甲戌(21日?)、山内豊房の命で資給を賜う。
  • 3月13日、山内豊房の命で城下に移住する。
  • 5月1日、『日本書紀』神代巻を講義する。聴衆六十余人。
  • 6月10日、次男の古道(ひさみち)が高知で生まれる。
  • 9月26日、天王社を祭る。27日、先祖を家に祭る。
  • 11月冬至、渋川春海から神道の印可および自筆の『瓊矛拾遺』三巻を賜わる。

○同16年。41歳。

  • 冬、君主の応接煩雑、旧業ほとんど廃るをもって、有司に陳情す。
  • 11月27日、山田野にもどる。

○宝永1年。42歳。

  • 2月7日、谷家の宝器である大原真守の刀などを得る。
  • 同12日、江戸へ向かうため山田野を出発する。予・讃・備・播を経由。22日、西宮に詣でる。13日、難波の天王寺に遊ぶ。24日、男山八幡宮に参拝。28日、熱田宮を拝す。
  • 3月2日、佐夜中山に登り、富士山を望む。7日、江戸土佐藩邸に到着。8日、渋川春海父子に駿河台に謁し、貞享暦および神道問題を講究す。神道髄脳の奥義を受ける。9日、東叡山に詣ず。29日、葵の伝を授けらる。
  • 4月3日、江戸を出発。4日、金沢および鎌倉に遊び、榎島に宿す。6日、箱根社に詣ず。8日、浅間社を拝す。11日、ふたたび熱田神宮に参拝する。14日、伊勢神宮に参拝。神御衣の祭を拝す。荒木田経晃の宅に宿し、神道について語る。16日、宮川を渡り、伊賀路を経由し、木津川を渉る。19日、春日大社に詣でる。20日(原文乙丑。己丑の誤)、立野を拝し、三輪大社に参り、初瀬に宿す。21日、櫻井および谷を経由し、飛鳥社に詣で、多武峰に遊ぶ。22日、吉野の古蹟を訪ねる。23日、高野山に登る。24日、観心寺に遊び、後村上陵を拝す。ついで応神・仁徳天皇陵を拝す。25日、沙界に遊ぶ。太和新川を渡り、住吉大社を拝し、古宇津に詣でる。大阪に到着。28日、有間温泉につかる。
  • 5月1日、有間を出発。瀬川を経て、藍野陵を拝す。2日、離宮八幡に詣で、宝寺に遊ぶ。東寺をめぐり入京。3日、浅見絅斎に謁す。難波殿に度会延経を訪問し、対馬の占部と亀卜の法について尋ねる。5日、賀茂祭を拝し、競馬を観覧する。6日、比叡山に登り、日吉七社を拝す。11日、安倍泰福に謁す。17日、京都を出発。18日、大阪に到着。八尾久宝寺の古戦場を遊覧。24日、大阪を出発。海路より土佐を目指す。
  • 6月1日、帰郷。○『東遊紀行』2巻を著す。

○同2年。43歳。

  • 10月1日、三男の八蔵が山田で生まれる。

○同3年。44歳。

  • これ以前、土佐国式内二十一社についての研究を度会延経に質し、ほぼ成案となる。近年、君主の命でその草案を提出する。ここに至り、君主の命で草案を占部兼敬に訂すことになる。
  • 4月16日、高知城を出発。予・讃・備・播・津を歴訪。26日、京都に到着。吉田に詣で拝謁する。
  • 5月4日、『土佐国式社考』一巻の跋文を賜わる。
  • 同17日、国に帰り復命す。
  • 6月7日、君主の山内豊房が薨ず。山内豊隆が後を嗣ぐ。

○同4年。45歳。

  • 4月6日、罪を得て禁錮を命ぜられる。
  • 9月16日、『神代巻塩土伝』が完成する。
  • 10月6日、『中臣祓塩土伝』が完成する。

○同5年。46歳。

  • 閏正月14日、四何の久蔵が生まれる。
  • 11月28日、三男の八蔵が病死する。享年4。

○正徳1年。49歳。

  • 2月4日、五男が生まれる。6日に夭逝。
  • 9月27日、始祖の神霊を鎮斎し、谷の社と号す。

○同2年。50歳。

  • 5月20日、娘の万が生まれる。
  • 12月26日、垣守が元服する。

○同3年。51歳。

  • 6月28日、四男の久蔵が病死する。享年6。

○同5年。53歳。

  • 1月12日、次男の古道が病死する。享年14。

○享保3年。56歳。

  • 6月30日、死亡。

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