始末記

大半の人は興味もないだろうが、私がなぜ『宋史紀事本末』の翻訳という無謀なことを企図し、どういう経緯で頓挫したのか、正直に書いておく。長くなるが、もし読んでやってもいいという人がいれば、どうぞご一読ください。ただし正直に書くので、論旨は乱れ、論理的でなく、意味不明なところが多々ある。私は論理的な思考と実践で生きていないので、これは致し方なしと諦めている。


私は歴史は遊びだと思っている。歴史を知っていようが知らなかろうが、個人の生活にはなんの役にも立たないというのが、私の考えだ。それでも自分の専門の歴史なら、まだ役に立つことがある。発見もある。しかし単なる歴史には、なんの価値もない。過去がどうだと分かったからといって、現在未来になんの意味ももたない。せいぜい過去を逆手に文句を言ってくる奴に対抗するために、歴史を持ち出すという、政治の一つとして意味があるくらいだ。現在未来を理解する手がかり、あるいは現在の自分の一貫性を理解する手がかりとして、歴史に意味を持たせようとする発想は、私にとって、根本的に否定すべき思想なのだ。

したがって私にとって歴史の本を読むのは、遊びに過ぎない。読んだからといって賢くもならなければ、偉くもならない。知らなくても馬鹿にもならなければ、阿呆にもならない。高級な、そして役にも立たない哲学書を読み、人生を分かったつもりになるのと同じ、小説を読んで感傷と悦楽にふけるのと同じ、漫画を読んでわくわくするのと同じ、別に大した価値はないが、面白いと思える人には価値がある、そんなものだ。そして私はその手のものに面白さを感じる。それだけだ。でも娯楽として歴史の本を読むなら、自分の好きな時代や好きな傾向のものがいい。で、そこで出て来るのが宋代の歴史である。私が宋代の歴史を好きになった理由は忘れたし、いまさらどうでもいいが、とにかく私は宋代の歴史を読むのが好きだ。娯楽として、遊びとして、無価値なものとして、史料遊びとして。

では宋代史のなにが面白いのか。私にとって、それは言うまでもなく、政治闘争だ。それも嫌らしく、陰湿で、非現実的で、無意味で、有害で、たまらなくどうしようもない政治闘争――それが面白い。自らの理念を達成するためにする政治闘争ではない。出世したい、いい目にあいたい、威張りたい、権力を握りたい............そんなもののためにする権力闘争、政治闘争、これがたまらなく面白い。そしてこういう政治闘争のために、世の中が善くなりもすれば悪くもなり、正されもすれば歪みもする。見ず知らずの人間の人生の悲喜交々は見ていて実に楽しい。

こういう面白い歴史をぜひ同好の士と共有したい、そう思ったのだが、残念なことに宋代史には、真っ当な史料を訳した本ががない。概説書は堅苦しいのから、面白いのまで、はては思想的偏向の強いものから、意味不明に一般受けを狙ったものまで、そこそこの数はある。しかし概説書ではいろいろ語るに限界がある。基本資料の訳本がないところで、ああだこうだ言い合っても、結局は概説書以外の本を読める人間が有利なだけで、忌憚のない意見交換は難しく、しても「誰某氏の本にこう書いてあった」という論争になってしまう。別段、誰某の本に書いてあったからといって正しいわけでもないのに、そういう妙な「権威主義」が横行することになるだろう。しかし立派な古典の翻訳書が出るのを待っても、いつの日になることか見当も付かない。そこで深く考えることなく、宋代史の手軽なガイドブックとして有名な『宋史紀事本末』でも訳してみようかね、とまあそんなことを思い立った。

もっとも当初の考えでは、『宋史紀事本末』の全訳は考えておらず、私の興味のあるところ、宋代最大の政争であった元祐更化と紹述を中心とする諸篇だけを訳すつもりだった。この二つこそ、宋代において最も激しい権力闘争のあった時代であり、またそのために夥しい粛清が行われ、また害悪も甚だしかった。この血の滴る歴史こそ、政治そのものであり、私にとって、歴史を読む最大の娯楽だった。しかし元祐更化と紹述を理解するには前後の事件も必要だし、そこに面白い事件もある。そして、その前後の事件を理解するには、もう少し前のことも訳しておく必要がある............なんてことを考えたら、まあ折角なので『宋史紀事本末』の中、せめて北宋の部分だけでも全訳してみようかということになった。

ちなみに『宋史紀事本末』は面白いか、と問われたなら、正直に言うと(この文章全体はもともと正直に書いているが)、宋代の歴史を少しかじった人間なら面白いかもしれない、かなりかじった人間なら面白くないだろう、まして原文で嗜む人間には、全く面白くないどころか、いらいらさせられる方が多い、と答えざるを得ない。文章のつなぎ方は滅茶苦茶、主語はばらばら、記事は滅裂............こんな具合だ。でも気楽に読むには面白いところもある。ちょうどあれだ、映画を最初から最後まで見るのは面白いが、そのハイライトだけ見るのも面白いというやつだ。『宋史紀事本末』は宋代の歴史からハイライトだけを抜き出してきた本だ。映画のハイライトに編修ミスがあるように、『宋史紀事本末』にも編修ミスはあるが、ここらは所詮ハイライトだから、笑って見逃せばいい。そんな感じで読めば、そこそこ面白い本だ。

ただしそれは気軽に読めばということで、翻訳するとなると全く条件が変わってくる。紹述を終わらせた後、ぼちぼち『宋史紀事本末』の頭の方から訳していくことにした。なんでもそうだが、物事の始めは物珍しさもあり、気力も充実しているので、あるていど無理がきく。その結果、当初の予定通り、契丹盟好(澶淵の盟など)の前まで終わらせた。治水の一篇が残ってしまったが、これは期日通り終わらせるための貴い犠牲になってもらった。しかしここから私の飽き性が出て、「おもしろくねーな」と思って遅々として翻訳も進まず、一時頓挫してしまった。

もともと翻訳に時間がかかるだろうことは予想していたが、やはり人間、経験してみないと実感として分からないところがあるらしく、いざ『宋史紀事本末』の翻訳に取りかかってみると、予想外に時間がかかる、面白くない記事にであう、すぐに放り出したくなるで、あっという間にストレスがたまった。しかも読んでも全く面白くない税制とか治水とか礼制とか音制(朝廷で用いる音楽制度のこと)を専ら論じた篇が存在したことは、さらに私のやる気を削いでいった。

しかし私は飽き性がある反面、いや、飽き性があるので妙ちきりんな克己性(のようなもの。偏屈ともいう)があり、「やはり終わらせるか」と思い直し、再び翻訳を始めた。その間、病気になりかけたり、金がなくなったので仕事が忙しくなったりと、北宋の山場の一つである慶暦改革などの諸篇と、またしても治水関係の一篇、当初から省くつもりでいた仁宗以下の礼制の篇を飛ばし、なんとか蔡京擅国まで訳し終えた。既に予定からそうとうの遅れが出ていたが、さすがにもう終盤というので、ぼちぼちそれ以下の篇を訳し、2009年の夏頃には張邦昌僭逆まで終わらせ、とりあえず北宋の最後まで到達した。

本来なら、最終篇を訳出し了えた余勢を駆って、未訳の慶暦改革前後と治水関係の諸篇を訳すべきだったのだが、残念なことに、ここまできて私の気力は完全に尽き果て、『宋史紀事本末』の本を見ただけでも吐き気がするようになった。もうこうなっては仕方ないので、慶暦改革前後は諦め、現状のままひとまず翻訳を終えることにした。あまり気持ちのいい話ではないが、これ以上続けては、もともと精度の高くない翻訳が、さらに劣悪なものになるのは明らかだったので、ここで断念した。ちなみに『宋史紀事本末』を翻訳しようと思い立ったとき、これに合わせて、年表と主要人物の概説を付す予定だったが、これも当然のように止めにした。


以上が『宋史紀事本末』翻訳の顛末である。いろいろ不満は残った。完成していないのは言うに及ばず、そもそも『宋史紀事本末』が予想以上に粗雑な本だったこと、これを他書と校正でもしようものなら、全篇にわたり一行数個の注を付す必要が生まれるだろうこと、しかもそれは抜本的に本文を改正しなければならないような注になること、だから注は諦めざるを得なくなったこと等々、このような粗雑な作りの本のため、私はテキストに集中できず、かなりのストレスをためこんだ。もともとよそ様とあまり関わりを持っていないサイトだけに、この翻訳を目にする人はほとんどいないと思うが、幸か不幸かもしこの翻訳を目にする人がいたならば、こういう不満だらけの人間が翻訳したイカガワシイものだと思って頂きたい。

最後に、もし本書を読んで、宋代の歴史に興味を持たれたなら、是非ともそれ以外の史料を読むべく、どこかで運動してもらいたい。そうすれば将来、もっとよい史料が翻訳されるかもしれない。私としても、自分が努力せず、人の名訳が読めるなら、それに越したことはない。

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