人名

重要人物の重複説明を避けるため、宋代の人物に限り、脚注を別掲することにした。ただし宋代の人物であっても、固有名詞の指定が難しい女性や諸王は、脚注のままとした。

あ行

  • 蔚昭敏は、北宋初期の将軍。名将として当時に名を馳せた。『宋史』巻323に伝あり。
  • 王禹偁(954-1001)は北宋初期の政治家。名文家としても著名で、『小畜集』などの著書が現存する。『宋史』巻293、『東都事略』巻39に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻9に伝記を収める。
  • 王嘉祐は北宋前期の政治家。王禹偁の子。『宋史』巻293、『東都事略』巻39に伝あり。
  • 王欽若(962-1025)は北宋初期の政治家。江南出身の宰相。真宗の佞臣として知られ、景徳元年の契丹侵略に際しては、真宗に南方行幸を勧めた。後、天書にちなむ事業に莫大な財政を浪費した。『宋名臣言行録』において王欽若は悪者として登場する。『宋史』巻283、『東都事略』巻49に伝あり。
  • 王継忠は、宋と契丹の両国で活躍した忠臣。もとは真宗の側近であったが、咸平六年の戦争で契丹側の捕虜となった。後、景徳元年の戦争で契丹に宋との和平を進言し、澶淵の盟を推し進めた。『宋史』巻279、『東都事略』巻42に伝あり。
  • 王祜(924-987)は北宋初期の政治家。王旦の父。『宋史』巻269、『東都事略』巻30に伝あり。
  • 王済(952-1010)は北宋初期の政治家。『宋史』巻304に伝あり。
  • 王旦(957-1017)は北宋を初期の政治家。北宋を代表する宰相の一人。真宗の絶大な信頼の下、長らく宰相の地位にあり、あらゆる局面で政治を支えた。天書にまつわる一件に汚点を残したとされるが、それ以外は完璧無非の名臣として人々に感動を与えた。『宋史』巻282、『東都事略』巻40に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻2に伝記を収める。
  • 王超は、北宋初期の将軍。王徳用の父。名将として知られていたが、景徳元年の対契丹戦で失態を犯した。『宋史』巻278、『東都事略』巻42に伝あり。
  • 王沔(950-992)は北宋初期の政治家。『宋史』巻266、『東都事略』巻36に伝あり。
  • 王陶(1020-1080)は北宋中期の政治家。『宋史』329、『東都事略』巻85に伝あり。
  • 欧陽修(1077-1072)は北宋中期の政治家。宋代屈指の文豪として知られ、『五代史記』『欧陽文忠公文集』などが現存する。『宋史』巻319、『東都事略』巻72に伝があるほか、『三朝名臣言行録』巻2に伝記を収める。

か行

  • 魏咸信(946-1014)は北宋初期の政治家。北宋最初期の宰相魏仁浦の息子。『宋史』巻249、『東都事略』巻18に伝あり。
  • 魏野(960-1019)は北宋前期の学者。隠者として当時に名を馳せた。『宋史』巻457、『東都事略』巻118に伝あり。
  • 高瓊(935-1006)は北宋初期の将軍。景徳元年の対契丹戦では及び腰の真宗を支え、澶淵の盟を締結させた。もっぱら寇準一派と目されている。孫に宣仁聖烈皇后がいる。『宋史』巻289、『東都事略』巻42に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻4に伝記を収める。
  • 寇準(961-1023)は宋代初期の政治家。宋代で最も有名な宰相の一人。豪放磊落な性格で知られ、景徳元年の対契丹戦では及び腰の真宗を支え、澶淵の盟を締結させた。しかし人気のある反面、発言や態度が粗暴で、多くの政敵がいた。澶淵の盟を締結させた直後は、真宗の絶大な信頼を勝ち取ったが、王欽若の讒言のために失脚した。また天書に対しては批判的で、このため真宗に煙たがられた。後、真宗最晩年に宰相として中央政界に復帰するが、かつての門下生であった丁謂と激しい権力闘争を繰り広げ、最後は敗れて嶺南の地に流され、その地で命を落とした。『宋史』巻281、『東都事略』巻41に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻4に伝記を収める。

さ行

  • 謝絳(994-1039)は北宋前半の政治家。『宋史』巻295、『東都事略』巻64に伝あり。
  • 朱能は、天書を献じた一人。
  • 周懐政は、北宋初期の宦官。醜聞に堪えない小人として知られる。真宗の信認を得て、その晩年に絶大な権力を握った。しかし真宗が病に倒れ、皇后劉氏が政務を執ると、権力を失った。そのため寇準と結託し、皇后およびその一味の丁謂の失脚を画策したが、失敗し、処刑された。『宋史』巻466、『東都事略』巻120に伝あり。
  • 向敏中(949-1020)は北宋初期の政治家。孫娘が神宗の皇后になった。『宋史』巻282、『東都事略』巻41に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻3に伝記を収める。
  • 盛度(968-1041)は北宋前期の政治家。『宋史』巻292、『東都事略』巻55に伝あり。
  • 石保吉(954-1010)は北宋初期の武将。石守信の息子。『宋史』巻250、『東都事略』巻19に伝あり。
  • 薛奎(967-1034)は北宋前期の政治家。『宋史』巻286、『東都事略』巻53に伝あり。
  • 銭惟演(962-1034)は北宋前期の政治家。五代十国時代の呉越国王銭氏の末裔。詩文を善くしたが、丁謂に接近したことで不評を買った。『宋史』巻317、『東都事略』巻24に伝あり。
  • 宋湜(950-1000)は北宋初期の政治家。『宋史』巻287、『東都事略』巻37に伝あり。
  • 曹瑋(973-1030)は北宋前期の将軍。曹彬の子。対西夏戦では不敗の名将として重きをなした。父に比べて少しく残忍なことでも知られる。『宋史』巻258、『東都事略』巻27に伝あり。
  • 曹利用(971-1029)は北宋初期の武官。澶淵の盟で宋側の代表として契丹に赴き、宋に有利な条約を締結した。このため真宗の信認を得て、長らく枢密院を牛耳った。寇準と仲が悪く、真宗末年には丁謂と結んで寇準の失脚に一役買った。後、仁宗初期の章献太后垂簾時期に人の讒言にあい、罪人として遠方に流されたうえ、自殺を強要されて死んだ。尊大ではあったが、決して悪人ではなく、小人の跋扈を防ぐことも多かったとされる。『宋史』巻290、『東都事略』巻50に伝あり。
  • 孫全照(952-1011)は北宋初期の将軍。『宋史』巻253に伝あり。
  • 孫抃(996-1064)は北宋前期の政治家。『宋史』巻292、『東都事略』巻71に伝あり。

た行

  • 种放(?-1015)は宋代初期の学者。隠者として名高い。『宋史』巻457、『東都事略』巻118に伝あり。
  • 張詠(946-1015)は北宋初期の政治家。李順の乱によって混乱を極める四川に乗り込み、たくみな政治術で見事に同地を治めきった。そのため四川関係の記事で、しばしば言及される。北宋を代表する名臣の一人。しかし金銭に絡む醜聞があり、宰相抜擢の可能性がありながら、結局なれずに終った。『宋史』巻293、『東都事略』巻45に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻3に伝記を収める。
  • 張洎(933-996)、五代南唐の進士。名文家ではあったが、陰謀を好み、悪名を馳せた。『宋史』巻267、『東都事略』巻37に伝がある。
  • 張稷。詳細不詳。
  • 趙安仁(958-1018)は北宋初期の政治家。『宋史』巻287、『東都事略』巻44に伝あり。
  • 刁衎(945-1013)は北宋初期の政治家。『宋史』巻441に伝あり。
  • 陳堯叟(961-1017)は北宋初期の政治家。四川出身の宰相。真宗に成都行幸を勧めた。『宋史』巻284、『東都事略』巻44に伝あり。
  • 陳彭年(961-1017)は北宋初期の政治家。名文家として名を馳せた。『宋史』巻287、『東都事略』巻44に伝あり。
  • 丁謂(966-1037)は北宋初期の政治家。あらゆる分野で優れた政績を残した一流の政治家だったが、権力欲が逞しく、北宋初期を代表する姦臣として悪名を馳せた。特に真宗末年、皇后劉氏を結んで寇準を失脚に追い込むと、世の激しい反感を買った。この後、皇后劉氏の信認を得て絶大な権力を握ったが、最後は腹心の王曾の罠にはまり、あえなく失脚、海南島に流された。『宋史』巻283、『東都事略』巻49に伝あり。
  • 鄭贛。詳細不詳。
  • 杜衍(978-1057)は北宋中期の政治家。范仲淹、韓琦、欧陽修とともに慶暦の改革を断行したことで知られる。『宋史』巻310、『東都事略』巻56に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻7に伝記を収める。

な行


は行

  • 馬知節(955-1019)は北宋初期の政治家。長らく軍職に身をおいた。『宋史』巻278、『東都事略』巻43に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻3に伝記を収める。
  • 范仲淹(989-1052)は北宋中期の政治家。宋代を代表する名臣。『宋史』巻314、『東都事略』巻59上に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻7に伝記を収める。
  • 潘美(921-987)は北宋初期の将軍。天下平定に武功を成したが、契丹との戦いで失態を演じた。
  • 畢士安(938-1005)は北宋初期の政治家。景徳元年の対契丹戦で真宗を支えた。『宋史』巻281、『東都事略』巻41に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻4に伝記を収める。
  • 傅潛(?-1017)は北宋初期の将軍。名将として知られたが、景徳元年の対契丹戦で無様な戦いをした。『宋史』巻279、『東都事略』巻42に伝あり。
  • 馮拯(958-1023)は北宋初期の宰相。丁謂と結託して政権を壟断したばかりか、情勢が変わると掌を返したように、丁謂を海南島に左遷した。貪婪な人間としても知られている。『宋史』巻285、『東都事略』巻49に伝あり。

ま行


や行

  • 楊億(974-1020)は北宋初期の政治家。名文家として著名。『宋史』巻305、『東都事略』巻47に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻4に伝記を収める。
  • 楊崇勳(976-1045)は北宋前期の武官。讒言を好んだ。『宋史』巻290、『東都事略』巻50に伝あり。
  • 楊廷昭(958-1014)は北宋前期の将軍。楊業の息子。『宋史』巻272、『東都事略』34に伝あり。

ら行

  • 李維は北宋初期の政治家。李沆の弟。『宋史』巻282、『東都事略』巻40に伝あり。
  • 李允則(953-1028)は北宋前期の将軍。『宋史』巻324、『東都事略』巻29に伝あり。
  • 李継隆(950-1005)は北宋初期の将軍。李処耘の息子。それなりの将軍として知られる。『宋史』巻257、『東都事略』巻20に伝あり。
  • 李沆(947-1004)は北宋初期の宰相。聖相とよばれた。『宋史』巻282、『東都事略』巻40に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻2に伝記を収める。
  • 李淑は、北宋前期の政治家。李若谷の子。『宋史』巻291、『東都事略』巻57に伝あり。
  • 李遵勖(988-1038)は北宋前期の政治家。李継昌の子。楊億の弟子。『宋史』巻464、『東都事略』巻25に伝あり。
  • 李迪(971-1047)は北宋前期の政治家。名臣として当時に名を馳せた。『宋史』巻310、『東都事略』巻51に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻5に伝記を収める。
  • 李畋は、北宋前期の政治家。張詠の弟子。
  • 李斌は、北宋初期の将軍。清廉潔白をもって知られた。『宋史』巻275(郭密附伝)に伝あり。
  • 劉筠(970-1030)は北宋初期の政治家。剛毅な人として、また名文家として名を馳せた。『宋史』巻305、『東都事略』巻47に伝あり。
  • 劉攽(1023-1089)は北宋中期の政治家。劉敞の弟。『宋史』巻319、『東都事略』巻76に伝あり。
  • 劉燁(968-1029)は北宋初期の政治家。『宋史』巻262、『東都事略』巻30に伝あり。
  • 呂端(935-1000)は北宋初期の政治家。真宗の即位に功績があった。『宋史』巻281、『東都事略』巻31に伝があるほか、『五朝名臣言行録』巻2に伝記を収める。
  • 凌策(957-1018)は北宋初期の政治家。長らく蜀を治め、治績があった。『宋史』巻307、『東都事略』巻45に伝あり。
  • 路振(957-1014)は北宋初期の政治家。詩文をよくした。『宋史』巻441、『東都事略』巻115に伝あり。

わ行


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