春秋類案語1

春秋三伝には各々長所と短所がある。これについて一般には范甯の論評(*1)を妥当とするようであるが、甯はまだその由来を究明しきれていない。左氏伝の解釈に見える「君子曰く」などは、往々にして経文の主旨を解明しきれていない。また公羊と穀梁の二伝は、頑なに日月の例にこだわり、名字によって褒貶を求めたため、穿鑿に過ぎて解釈に穏当を欠くものがある。しかしながら三伝はそのどれもが聖人を淵源とするものである。なぜ発言にこれほど差異が生じたのであろうか。左氏は魯の国史を目にしたが、そこには古人の所行がつぶさに記されていた。だから歴史的事実に依拠して発言するこができたのである。聖人の心を捉える点については不十分なところもあるが、大きく離れることはなかった。しかし公羊と穀梁は、伝授の際に経師たちが自分の考えを付加し、経文の字句(*2)よって解釈を施した。だから主観的な判断に陥り、自分の好みに引きずられた解釈を施してしまったのである。ならば歴史的事実を根拠とすれば錯誤は少なくなるが、議論に依拠すれば錯誤は大きくなるのである。後世の著作の是非についても、この見地から判断して差し支えないのである。

左氏伝の文章は文藻艶美・筆致絶妙にして極まるところをしらない。そこで章冲は左氏伝に見える事件の顛末をまとめたし(*3)、徐晉卿は対句に仕立てあげた(*4)。それらの著作は時とともに増えていった。しかしそのほとんどは聖人の教えに関わるものでなかった。ならば経学において貴ばれる書物ではないのである。



(*1)范甯の春秋穀梁伝序に見える言葉。「左氏豔而富、其失也巫。穀梁清而婉、其失也短。公羊辯而裁、其失也俗」とある。
(*2)経文の字句による解釈は、春秋学の解釈法の一つ。経文の書法に着目し、書法の型によって褒貶を読み解こうとする考え方を指す。凡例説や義例説はこれと同系統のものである。
(*3)章沖『左伝事類始末』を指す。
(*4)徐晉卿『春秋類対賦』を指す。ただし『四庫全書』未収録である。

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