劉敞『春秋意林』二巻

○内府藏本

宋の劉敞の撰。本書について『宋史』芸文志は二巻とし、王応麟の『玉海』は五巻とし、馬端臨の『文献通考』経籍志は『春秋権衡』『春秋伝』『春秋意林』をあわせて三十四巻とする。いま敞の諸書を調べると、『権衡』は確かに十七巻であり、『春秋伝』は確かに十五巻である。ここに『意林』二巻を加えればちょうど三十四巻になり、『宋史』芸文志と合致する。ならば『玉海』が五巻とするのは筆写の間違いであろう。

元の呉莱は本書の後序を書き(*1)、「劉子(劉敞)が『春秋権衡』を作ったとき、みずから『本書が世に出ても、だれひとり理解できなかった』と言った。しかし『意林』は未定稿のままで欠落部分が多い」と言った。本書を調べると、あるいは経文の数文字を標題として掲げただけで、解釈を一文字も置かないもの、あるいは解釈文はあってもわずか数言に止まり、文章も続いておらず、文末に「云々」の二字を添えているもの、あるいは一条の下に別の標目一二字を掲げ、本文と全く関係のないもの、あるいは極めて難渋な文章で、句読すら容易でないもの、あるいは問題提起をするだけで、文章が完結していないものなどがある(*2)。本書が随筆箚記(*3)や未定稿の書物であることは明白である。莱の所説は決して嘘ではない。

また敞は苦心して研究を重ね、細心の注意を払って学説を提示しただけでなく、文章の彫琢を好み、ぎりぎり理解可能な言葉を用いて表現している。そのため葉夢得の『石林春秋伝』には「経学を知らぬものは、敞の学問が分かり難いことから、敞は深く考えすぎで穿鑿に陥っていると非難している」との指摘がある(*4)。しかし熟読深思すれば、本書は人間としてのあり方を正し、紛らわしい問題を明らかにし、聖人の大義や微言について燦然と聖人の心を得ている部分が決して少なくない。文体の難渋は置いて論ぜずともよいのである。

『四庫全書総目提要』巻二十六



(*1)『淵穎集』巻12の春秋權衡意林後題に見える。
(*2)四庫官の発言は主として『意林』巻上の冒頭から前半にかけて当てはまる。『意林』は冒頭こそ甚だしい欠落が見られるとはいえ、巻上半ばから巻下には欠落が少ない。
(*3)ここでは備忘録のようなものと理解して差し支えない。
(*4)『文献通考』経籍考の春秋権衡云々条下に見える。

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