張大亨『春秋五礼例宗』七巻

○浙江呉玉墀家蔵本

宋の張大亨の撰。大亨、字は嘉父、湖州の人。元豊乙丑の乙科に合格した。何薳の『春渚紀聞』(*1)と王明清の『玉照新志』(*2)には、大亨は司勲員外郎になったとき、諸王府の侍読・侍講の官名が朝廷と同名なのは〔怪しからんといって、諸王府の侍読・侍講の〕官名を改正するよう要請したと記している。陳振孫の『書録解題』には「直秘閣で呉興の人、張大亨の撰」(*3)とある。これは最後の任官を挙げたものだろう。

そもそも左氏伝の凡例について、杜預は「〔左氏伝に『凡そ』とあるのは〕すべて周公の定められた礼の典籍を指している」と言い、韓起が〔魯国で〕『易』象と『春秋』を見た際も、「周礼は魯に存在する」(*4)と言った。また孫復は『春秋尊王発微』を作ったが、葉夢得は「復は礼の理解が浅い。そのため発言に矛盾が多い」と批判した。礼と春秋は本来表裏一体のものなのである。

大亨のこの書は、次のような理由、即ち杜預の『釈例』は経文と矛盾しており、しかも一貫性がない。陸淳の手になる啖助・趙匡の『春秋纂例』も支離滅裂である――との理由から、春秋の事柄を吉・凶・軍・賓・嘉の五つの礼に分類し、その分類に従って経文を分け、各礼ごとにその意味を総論したものである。本書の義例は一貫しており、他の春秋学者のような義例にこだわりすぎたところもない。振孫は本書に対して「詳細にして完備している」と称えているが、これは決して虚飾の言葉ではない。呉澄の『春秋纂言』も経文を五礼に分類したが、本書と一致する点が多い。

朱彝尊の『経義考』は本書を十巻とし、「現存する」という。しかし蔵書家らの抄本はどれも軍礼の三巻がない。また『永楽大典』は本書全文を引用しているが、それらはすべて吉・凶・嘉・賓の四つの礼についてであり、軍礼は絶えて一文字も存在しない。つまり軍礼三巻は〔『永楽大典』編集より〕はるか以前に散佚していたのである。彝尊がたまたま見落としたのであろう。

『四庫全書総目提要』巻二十七



(*1)『春渚紀聞』巻1の丑年世科第条に張大亨の記事がある。ただ侍読侍講云々の話は見えない。
(*2)『玉照新志』巻1に見える。
(*3)直秘閣は館職名。呉興は湖州の郡名。
(*4)周礼が『周礼』を指すのか、それとも「周の礼」を指すのか、学者間に対立がある。

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