趙汸『春秋師説』三巻

○両江総督採進本

元の趙汸の撰。汸は九江の黄沢を師と仰いでいた。はじめ一両年の間、沢の下で学問を受け、六経の難点十余条(*1)を授かり帰郷した。しばらくしてまた沢の下に赴き、二年あまりの滞在の後、六十四卦の大義と春秋研究の要点を口授された。そのため本書に「師説」と名付け、自身の学問の由来を明らかにしたのである。

汸は『左伝補注』を書いたが、その序文には「黄先生の春秋学は左丘明と杜元凱(*2)を根本に据えたものだった」とある。また沢の行状を書き、春秋学説の要点を述べては、「春秋を研究する場合、まず聖人の心を知らねばならぬ。かくすれば酷薄・煩瑣な学説は自然と消え去るだろう」とも言っている。また沢は古代と現代では礼制や風俗に違いがあると考え、それを十余通の文章にまとめ、空論による経書解釈が無益であることを示したともいう。沢の学問には淵源があったのだろう。その論述も穏当公平で、聖人の心を得たものが多い。

汸は沢の意思にもとづき、本書を十一篇に分類した。汸の門人の金居敬はさらに沢の思古吟と呉澄の二つの序文、および行状を集めて本書の末に付した。行状には沢の春秋に対する研究書が掲載されている。――元年春王正月辨、筆削本旨、諸侯取女立子通考、魯隠不書即位義、殷周諸侯序謠俛考、周廟太廟単祭合食説、作丘甲辨、春秋指要がそれである。これが「十余通の文章」と言われるものだろう。朱彝尊の『経義考』にはこれ以外に三伝義例考を載せている。これらの書は既に散佚しており、ただ汸の本書によって黄氏の主張を知り得るに過ぎない。これもまた孫覚の著書を読むことで胡瑗の主張を知ることができるのと同じである(*3)。

『四庫全書総目提要』巻二十八



(*1)金居敬の識語、趙汸の題辞ともに「千有余条」とある。
(*2)杜預のこと。
(*3)胡瑗の著書は残っていないが、その弟子の孫覚が胡瑗の学説を参照して『経解』を著したので、『経解』を読めば胡瑗の学説のあらましは分かる、という意味。孫覚『春秋経解』を参照。

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