趙汸『春秋属辞』十五巻

○両江総督採進本

元の趙汸の撰。汸は最も春秋に力を尽くし、至正丁酉の歳に『集伝』の初稿を完成させたが、『礼記』経解によって春秋の義が属辞比事にあることを知ると、またしても筆削の意を探るべく本書を著した。凡例を定めること八つ。一に策書の大体を存すこと、二に筆削に借りて権を行うこと、三に文を変じて義を示すこと、四に名実を別つこと、五に内外の区分を厳密にすること、六に特筆によって名を正すこと、七に日月によって区分を設けること、八に措辞は策書に依拠したこと。本書は杜預の『釈例』と陳傅良の『後伝』を根本に据えているが、補正したところも多い。

汸の『東山集』の朱楓林に送った書簡にはこうある。――「春秋は事柄にそって筆削を加えたもので、決して凡例などないのです。先学の中にもこれを論じた人は多くおりましたが、丹陽の洪氏(*1)の学説が出てからというもの、この問題はもはや消え去りました。その学説には『春秋にはもともと例などないのだ。学者が事柄の記述を例だと考えたのである。ちょうど天にはもともと度などないのに、暦家が天球の数によって度を定めたようなものである』とありますが、この論述は極めて正しいと言えるでしょう。黄先生になりますと、『魯の旧史に例はあるが、聖経に例はない。例がないわけではない。義によって例を見るならば、例は隠れて見えなくなるのである』と仰せになり、さらに精確さを加えております。このたび私が書いたのは属辞比事の法ではございますが、経文の異同や詳略は類に触れて貫通し、自然と義例になっており、先学が編纂や解釈したものと全く異なっております。かくして例によって経文を解釈するものは、全く聖人を知り得ていないことが分かります。〔ましてや凡例で解せぬというので〕変例を持ち込み、〔虚偽を知りつつ〕己を欺むき、統一性のない学説を唱えるものなどは、春秋を論ずる資格がありません。こういうこともあって、私はただ属辞を書名に当てました。」(*2)

また趙伯友に送った書簡にはこうある。――「黄先生の行状の訂正を頂き、黄先生の伝を作りました。特に『師説』一部と『属辞』一部を奉納いたします。尊兄は行状を御存知ですので、さらに『師説』をお読みいただければ、経学に対する古学復興の問題と、それが困難である理由とについて、あらまし理解していただけると思います。それから『属辞』を子細に読んでいただければ、私がこの二十四年というもの、やむを得ず伝注家の驥尾に付した学者だと、当世に噂されてきた理由を分かっていただけるものと思います。本書は錯綜としており、読みにくく思われるかも知れません。ですが研究のやり方はただ属辞比事を用いたに過ぎず、ほんの一つの解釈であっても、いい加減なことなど致しておりません云云。」汸の指摘する義例は極めて正確であり、また自負の心も甚だ高い。

本書を調べたところ、煩瑣な部分を省略して、全体を八部門に区分しており、諸家よりは体系的である。しかし項目の多い部門は雑然としているし、逆に項目の少ない部門は〔関係のないものを〕強引に配列しており、その成果は得失相半ばといったところである。中でも日月の例などは公羊伝や穀梁伝のやり方と同じであり、煩瑣の念をいかんともし難い。そのため卓爾康の批判にさらされることになったのである(爾康の『春秋辨義』に見える)。(*3)言うは易く行うは難しといったところだろうか。

しかし本書は広く経文と伝文を見渡し、筋道を付けてそれらを把握し、また伝文によって経文の意味を探っており、考証によって得られた部分も多い。そのため他の学者の根拠なき学説とは似つかぬものがある。随って、附会や穿鑿が全くないわけではないが、本書全体の主張には見るべきものが多い。本書の前には宋濂の序文が附されている。そこには春秋学上の五回の変化が論じられ、頗る適切に臆断や空論の弊害を論じている。このたびの編集ではこれも収録し、憶説によって経文を解釈するものに対し、決してその実態を覆い隠せぬものであることを知らしめることにした。

『四庫全書総目提要』巻二十八



(*1)洪興祖のこと。『春秋大全』序論に「丹陽洪氏曰:春秋本無例。學者因行事之迹、以為例、猶天本無度、治歴者即周天之數以為度。然獨求於例、則其失拘而淺、獨求於義、則其失迂而鑿」とある。
(*2)『東山存稿』巻3に見える。下も同じ。
(*3)卓爾康の発言は『春秋辯義』巻首7(書義4、日月)に見える。「趙子常于春秋已思過半、獨拘泥日月太甚。至于諸侯之葬、以書日為奢、不日為儉、支離乖舛、殆不可言究。如秦惠公之卒、書日而不得其説、則歸之無所考而已。豈不悖哉。」

inserted by FC2 system