『春秋道統』二巻

○両江総督採進本

本書はわずか上下二巻であるが、小字の鈔本で八冊もある。撰者の氏名は記されていないが、巻頭に乾道八年の晉江の傅伯成の序文があり、そこに「元祐年間に春秋博士の劉絢質夫が作った」とある。陳振孫の『書録解題』は劉絢『春秋伝』を載せるが、その書名に「道統」の文字はない。また『文献通考』は十二巻、『玉海』は五巻としており、本書の二巻と合致しない。さらに振孫は「劉絢の解釈は明白簡潔である」と指摘するが、この本に解釈はなく、ただ左氏伝を要約しただけで、まま公羊伝・穀梁伝・国語や諸家の学説一二条を摘録するに過ぎない。また伝文に節録が多いだけでなく、経文すらも一二字を摘録するに止めている。明代に出版された宋代の書物にもこのような例は他に存在しない。

また序文で「何休学」の三文字を人名としているが、これなどは極めて程度が低い間違いである(*1)。また「後世、春秋に功績のあったものは杜預と林堯叟である」と指摘しているが、林堯叟は南宋中頃の人である。伯成のこの序文は南宋の初期(*2)に作られたはずなのに、どうして見ることができたのだろうか。また「杜林合註」(*3)は明代末期の書肆が売り出したものなのに、伯成はなぜ「杜林」と併称し得たのだろうか。また伯成は南宋の慶元初期に太府丞となり、宝暦初期に始めて龍図閣学士を授けられた。序文の書かれた乾道八年壬辰の頃、伯成は進士になったばかりである。前もって龍図閣学士の身分を記し得るだろうか(*4)。誤謬は多々あり、全てを挙げることはできない。偽書の杜撰なこと、本書以上のものはあるまい。巻首にいくつか蔵書印が見えるが、これも一人の手になったものであり、信ずるに足らない。

『四庫全書総目提要』巻三十



(*)本書は現存しない。

(*1)何休は『春秋経伝解詁』という『公羊伝』の注を書いた人物だが、その『解詁』冒頭に「何休学」の文字が記されている。本書の編者は「何休学」の「学」の意味が分からず、「何休学」3文字を人名だと思ったのだろう。普通の知識人ではあり得ない間違いである。
(*2)序文に乾道八年とあるのによる。
(*3)杜林合註は杜預と林堯叟の注を合わせたもの。略して杜林合註という。
(*4)この件は分かり難い。恐らく序文に「龍図閣学士傅伯成」とあったのだろう。

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