黄復祖『春秋経疑問対』二巻

○永楽大典本

元の黄復祖の撰。復祖、字は仲篪、廬陵の人。『元史』によると、仁宗の皇慶三年に科挙を再開したとき、漢人南人第一場明経科の経疑には二問を出し、『大学』『論語』『孟子』『中庸』から出題した。また経義一道を出し、各々一経を専攻させた(*1)。元統以後に少しく方式を変え、漢人南人の第一場の四書疑〔一道〕を本経疑に変えた、とある(*2)。復祖の序文には「至正辛巳の科挙にまた経疑が設けられた」(*3)とあるが、これは『元史』選挙志に見える方式の変更を指してのことである。

本書は経文と伝文の「事柄は同じだが文字遣いが異なるもの」に対し、その常変を求め、その詳略を明らかにし、経文によって伝文を考え、伝文によって経文を考え(*4)、かくすることで科挙受験者の疑問に応えようとしたものである。これもまた属辞比事の伝統であろうが、本書は主として科挙のために作られたものである。そのため議論は多岐にわたるが、経文の主旨をくみ取る段には粗雑である。

『四庫全書総目提要』巻三十



(*)本書は現存しない。

(*1)元朝の科挙制度は蒙古・色目人と漢人・南人で試験題目が異なるが、経学で問題になるのは漢人南人のグループである。漢人南人の試験題目は、第一場が明経科、第二場が古賦詔誥章表内科、第三場が策であった。このなか明経科には経義と経疑の二つがあった(『通制条格』巻5、学令科挙)。経義は宋代以来のもので、経文の主旨を問うものである。経疑は出題者があからじめ経文を用いて疑問文を作り、受験者がそれに答えるものである。『日知録』巻16(經義論策)太祖實録洪武三年八月条割注の「元制有四書疑・本經疑。洪武三年開科、以大學古之欲明明德於天下者二節、孟子道在邇而求諸遠一節、合為一題、問二書所言平天下大指同異。此即宋時之法」とあるのを参照。
(*2)原文は「易漢人南人第一場四書為本經」であるが、『元史』選挙志には「易漢南人第一場四書疑一道為本經疑」とある。
(*3)原文「至正辛巳大科載復有經義之條」。元統の変更が実施された最初の科挙が至正元年の郷試であることによる。
(*4)原文「求其常變、察其詳畧、以經覈傳、以傳考經」。四句の後半二句は経と伝を相補的に利用するという意味である。第一句の具体的内容はよく分からない。訳文は文字を写すに止めた。

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