反動団体を煽動す

高畠素之

反動派とはどこの毛唐が考え出した言葉か知らぬが、どうも理屈の辻褄には合い兼ねる文字だ。動あれば必らず反動がある。これは物理学的真理だから、ピンポン玉の実験をまつまでもなく先刻承知の事実である。だが、物理現象ならぬ社会現象において、社会主義が正道で国家主義が反動だという理屈は、どこを押せば出てくるのか了解に苦しむ。恐らく、唯物史観流の社会進化論を盲信した結果だろうと思うが、はたして然るか否かはお釈迦様でもご存知なきところ、弁証法なみに正反を決定するのは前途邃遠の事業に属する。むしろ現実的な条件を中心として論ずる限り、かえって国家主義的な傾向が正動を指示し、社会主義的な一派が反動を代表すべきはずであった。流行とあれば致し方なく、今日では警視庁的役人でさえ国家主義的諸団体を『反動派』の名称において十把一束にし、主義者の跳梁跋扈をあたかも社会的正動であるかに見なす皮肉に陥りつつある。大いにけしからぬ話しだが、いまさらそんなことを憤慨しても始まらぬほど、挙世滔々としてデモクラ的流行に支配されている。

一の運動は、それが大きければ大きいだけ、その反動もまた大きいのが当然である。無産諸党の議会進出や共産党一派の陰謀露見やにより、一方のいわゆる左傾的運動が猛烈となるにつれ、他方これが反対勢力たるいわゆる右傾的一団が硬化しだしたのも、もとより物理上の必然なる反映でなければなるまい。議会中心主義に対する諸団体の一斉射撃、×××××を始め労農党本部、評議会本部、大山邸に対する×××の殴り込み、東西朝日新聞社に対する数度の襲撃など、いわゆる反動団体の活躍もかなり目覚ましきものがある。出題の趣意は、こうした反動団体の乱暴狼藉を何と見るかというにあるらしいが、実のところ、是非善悪は別に感じないのである。理屈をいえば五分と五分、民政党の総務連のごとく、自分で喧嘩の種を蒔いておきながら、相手が買ったのは不埒だといって尻を首相官邸に持ち込んだに比較すれば、まだしも彼らの暴状は瞑黙し得るであろう。むしろ反動団体の暴力行使は、毒を変じて薬となし得る意味において、時にとっての清涼剤たるを失わぬのである。

現代日本人の常識に従えば、反動派と暴力団とは同義異語である。厳密に理屈を追求するなら、暴力の行使は必ずしも反動団体に限られたわけでなく、いわゆる社会主義一派も大いにこれを慣用するのである。ただしかし、暴力行使を×××する限りにおいて、いわゆる暴力団が必ず反動的色彩を帯び、あらゆる大衆的運動に対して背面する事実は否定すべくもない。暴力団のかくのごとき反動性は、決して昭和日本の特産ではなかった。東西古今を問わず然り。稗史演劇で美化された侠客や町奴にしたところで、多くは豪商大家の××に過ぎず、その×××××ついて生活していたのであった。強きを挫き弱きを助けるという例の標語にしても、これは自分の醜悪な心理的動機を瞞化する手段であって、××の信心と大して相違を発見されない。生活は生活、看板は看板、この二つを巧みに使いこなす点が暴力団の暴力団たる所以であり、今も昔も変わらぬ器用さを発揮している。

彼らは切歯扼腕して忠君愛国を唱える。だが、せっかくの忠君愛国ではあるが、この場合は侠客町奴の『弱きを助け強きを挫く』と一轍の空念仏で、やむにやまれぬ×××の発露から暴力を行使するのではない。×××動機から暴力行使のやむなき結果に陥ったため、それを巧言令色する必要上、さも純粋な精神的動機から出発したかのごとく見せかけようとして、かくは忠君愛国を××とするに至ったものと解せられる。実際、暴力団彼らにとっては、腕一本が身すぎ世すぎの元手だ。ゆえに、貧乏人の味方をしていたのでは肝腎の××が成り立ち兼ねる。よくも悪くも、富強者の御用を聴従してその利益を擁護する立場を取らねばならぬから、勢い反動的色彩を発揮するようにもなった。暴力団即反動派の因果関係はここに生じ、国家主義そのものまで劇画化してしまったのである。

だが、デモクラ的気分が上下の心髄を蝕ばみ、思想には思想をもって対抗せよという常識が瀰漫した今日、単なる大義名分論で暴力を行使したとあっては、傍の見る目が承知しなくなったのも事実である。曲がりなりにも理屈をつけ、暴力を行使するのやむを得ざる所以を公表するのでなければ、世間に通用しなくなったも時勢なればこそ、その意味では反動を特色とする彼らといえども、時代の潮流には無関心であり得なかった。

その最も代表的な実例は、新聞広告による議会中心主義に対する突撃に求められる。まさか民政党だって、皇室中心主義を否定するつもりで『議会中心政治の徹底を期』したわけでもなかろうが、動機の如何にかかわらず『天皇統治の下』にやろうという限り、論理の矛盾を免れず、柄のないところへ柄をすげられたも身から出た錆と評するのほかはない。とうとう悲鳴を挙げ、暴力団体の取り締りについて泣きを入れたのだから、薮蛇の観を免れず、暴力団としては最近の上出来であった。殊に腕一本の武器を強行するに至らず、新聞広告という商売ちがいの文化的方法をもって勝利を博したとあれば、なおさら彼らの鼻も高いことであろう。彼らが従来慣用した手段は、怪文書に怪写真、どのみち白昼の天日に晒されては憚り多いものばかりだった。が、今度ばかりは、自腹か他腹か知らぬが、とにかくも広告料金を負担し、堂々と相手に肉薄したのである。拳固以外の元手の投下には極めて節約的な彼ら、こう決心するまでには、清水の舞台から飛び降りる以上の勇気を必要としたであろうが、恐らく今後はこれに味をしめ、いよいよ新聞社の収入増加に貢献することと思われる。反動団体の最近の傾向として、あえて筆頭に算える所以である。

議会中心政治反駁の広告文面は、もとよりあいも変わらぬ大義名分論であった。不自然と思はれるまでの××××××の誇張は、それに比例して動機的不純を予想せしめるに十分であったが、それなりにまた、独特の癖を発揮した団体も一二は見受けられる。癖とはなんぞ。同じ右傾でも正体はただの鼠でなかりそうなそれである。例えば××会のごとき、明白に議会軽蔑の口吻を漏らし、おのずからファシストの意気に通ずる破壊的要素を披瀝していた。××会に至っては、国体政治の道義、日本のといふ神主流の臭気を一面発散しながら、労農党の議会主義を攻撃してはなはだ痛快、立論の趣旨もすこぶる堂々たるものであった。戦法のごときも無産党のそれを逆用した傾きがあり、稚気は稚気として愛すべき部分を多量に認められる。が、以上の二団体は現在はとにかく過去において筆者と多少の因縁もあるので、贔屓の引き倒しに終わらざる限り細評は御免を蒙むりたい。

正動であると反動であるとを問わず、大衆万能の時代となった今日においては、善悪好厭にかかわらず、あらゆる運動は大衆的でなければならなくなった。少なくとも表面だけなりと、かく見せかけねばならぬ必要に迫られてきたのである。その意味において、いわゆる反動団体といえども、従来のごとき概括的な名分論だけでは、とうてい存続を許されぬ状態におかれている。自己の立場を有利に展開するには、万人を承服するに足るべき理論的是正が必要である。もし彼らに思想的立場なく、いたずらに空疎な大言壮語を享楽しているならば、ついに救われがたき存在として取り残されてしまうであろう。左傾に五分の理屈があるなら、右傾にも五分の理屈があるべきはずである。五分と五分との理屈を、いかに巧妙に俚耳に入らしめるかにより勝敗の分岐は決定する。

ボルシェビキズムかファシズムか、分け上る高嶺の月に二つはなく、流れ落ちる谷川の水に変わりはない。はたして然りとすれば、いわゆる反動団体はその反動的立場を硬化すべきである。あらゆる徹底した思想は暴力に結果する、というリープクネヒトの命題を逆用すれば、幸いにして鬼の暴力を恵まれた諸君であるから、あますところはただ金棒の思想のみ。反動団体最近の傾向は、どうやらこの金棒の発見に苦心しつつあるかのごとくだが、旧勢力の用心棒をもって満足していた従来の態度に比較すれば、一段も二段もの進歩だと見なければなるまい。かくて腰抜役人に突撃し、極道富豪を恐嚇し得たなら、黒赤混淆の決戦を試みるも愉快であろう。――などと、これは少し反動団体に肩を貸し過ぎたようであるが、現在のごとくフヤけ切った彼らにそれだけの活を入れるのは容易な業でなく、恐らくは空望に帰することと思われる。

三ッ児の魂は百まで、侠客渡世の昔から暴力団はえて用心棒をもって満足しがちだったが、昭和の暴力団もどうやらその亜流を追随するかのごとくである。口惜しければ緊褌一番して見ろッ、喝。


初出:『改造』第10巻第5号(昭和3年5月)。「国粋団体の批判」中の一篇。

注記:

本データは原文を新漢字新仮名遣いに改めた「高畠素之選集(新版)」です。旧漢字旧仮名遣いのデータは「偏局観測所(旧版)」をご利用ください。

底本の伏字「、、、」は「×××」に改めた。

改訂履歴:

公開:2006/2/19
改訂:2007/11/11
最終更新日:2010/03/10

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