勞働者とは誰か?―普通選擧と勞働者選擧―

在獨 力ール・カウツキー
高畠素之(譯)

(一)選擧權の意義

勞働者とは誰か? 此問題は學者の問題であるやうに見える。けれども夫れは、共産主義に依つて大なる實際上の意義を有するに至つたのである。

最近的形態に於ける共産主義は、普通選擧權を排斥し代ふるに勞働者の選擧權を以つてせんとする。其主張に依れば、自己の勞働を以つて社會の維持に貢獻する者のみ國務の處理に容啄すべきであつて、他人の勞働に依り生活する懶惰者、放逸なる遊民は、我々の運命の決定に關與してはならないのである。即ち古語を借りて云へば、共に爲す者のみ共に謀るを許されるのである。

之れは極めて正當な主張である。然し此主義を實際に行はうと云ふ段になると、勞働者とは誰か?と云ふ問題を嚴密に確定することが必要になつて來る。選擧權に就てなさるべき最も重大なる要求の一は、有權者の範圍を明確に示さねばならぬと云ふことである。

如何なる近世國家も――其憲法の如何を問はず――政府を主腦に頂く集中的官僚に依つて統治されてゐる。而して政府は行政上の全機關を支配し、更らに軍事上の機關をも支配してゐる。されば人民にして若し、政府を管理牽制するの道を解しないとすれば、政府は人民に對抗して恐るべき權力を占めることになる。而も組織なき大衆には此管理牽制をなすことは出來ない。集中的團體たる議會(サウヱートも矢張り、根本に於ては議會に外ならぬ)こそ、最もよく之れをなし得るのである。

政府を管理すると云ふことは、立法と同樣に重要なる、議會の一職能である。然し政府を管理するには、議會は政府より全く獨立せるものであることを要する。即ち議員の特權を必要とするのである。かゝる特權は立法と云ふ目的より云へば必要なるものではなからうが、政府を批判する上には缺くべからざる條件たるのである。

然し議員が如何に特權を附與されてゐても、政治上の決定的分子より成る大衆を背後に有せざる限り議會は無力たるのである。しかるに政治上の興味と教育とが人民の間に根を張ること著しくなるに隨ひ、議會に注意を拂ひ、議會に依つて自己の意志を表現しようとする人々の數は益々大となり、而して之等の人々の數、組織、經濟上の重要等の發達に基き其實力が増大するにつれて、彼等が自己の要求を代表する所の議會に附與する力も亦益々大となるのである。

所で國民全體を政治上の決定要素と見るにしろ、又は勞働者全體を政治上の決定要素と見るにしろ、いづれにしても不斷の内亂を伴ふことなき健全なる政治的生活を得る上に是非とも必要なる條件は、多數人民が如何に思考し、如何なる政治を支持するかを常に嚴密に確知する事である。

これは議員選舉によつて確められる。然るに此選舉の結果は、各場合に於ける選擧權制度の種類の如何に依つて著しく左右される。かくて選舉權制度なるものは、絶えず政黨及政府の間に不斷の論議を釀すに至つたのである。議員選舉を施行するものは常に、各場合に於ける政府である。そこで選擧の施行に際し之れを自己に好都合な意味に誤魔化し去ることの可能を政府の手に與へないやうにすることが、是非とも必要になつて來ることは言ふ迄もない。

されば、個々人の選擧權なるものは、如何に嚴密に之れを確示しても尚充分なるを得ないと云ふ程である。政府が反對黨を剿絶し、自黨を多數派と見えしめんがため、勝手に有權者の範圈を縮小したり擴大したりすることを許す選擧法以上に不良なるものはないのである。そこで勞働者にのみ選擧權を與へんとする場合絶對に必要なるべき條件は、勞働者とは抑も如何なる者か、如何なる者を確實に勞働者と見るかと云ふことを嚴密に確める事である。

普通、勞働者と云つてゐるのは、賃銀勞働者のみのことである。甚しきは所謂筋肉勞働者のみを指して、勞働者と云ふことが常例となつてゐる。隨つて、勞働者と使用人とは別ものと見られてゐる。

露西亞に於ける勞働者委員會も亦、賃銀勞働者、而も主として産業上の賃銀勞働者の組織團體とのみ考へられてゐた。露西亞の勞働者委員會は實に斯る組織團體として、一九〇五年に於ける第一革命中に出現したのである。(當時、露西亞のプロレタリアは組合的にもまた政治上にも何等の集團組織を有して居らなかつたのである)。勞働階級中に於ける進歩的にして且つ社會的發達上最重要の分子である産業上の賃銀勞働者の鬪爭團體として見るとき、此勞働者委員會なるものは極めて重大の意義あるものとなり得るのである。

然し如何なる社會黨と雖も、其の國家内に得んとするプロレタリア的支配の根據をば、賃銀勞働者にのみ選擧權を附與すると云ふ事實の上に置かうとは考へて居らぬ。憲法上にプロレタリアの獨裁を確立せんとする人々と雖も、かくの如き事を要求するものではない。彼等も亦、社會に對する貴重の勞働をなすものが單に賃銀勞働者のみではなく、他の部類の人々、例へば農民も亦かゝる勞働をなすものであることを認めてゐるのである。

故に選擧權の確定と云ふ目的より云へば、勞働者なる概念はより廣義に解されねばならぬ。然るに之れを斯く解しようとすると、大なる困難に逢着することになるのである。蓋し賃銀勞働者と云ふ狹義に於ける勞働者ではなく、全般的意義に解した勞働者なる概念は極めて動搖的のものであつて容易に限定し難いからである。

何等かの仕事をする人は總て勞働者であるか? 若し然りとすれば、根本に於て勞働者ならざる人はないであらう。年金や配當金に依つて生活する人も亦何等かの好事に從ふ。流行婦人と雖も、長時聞の『夜業』を必要ならしめ且つ非常なる疲勞を覺えしむること稀でない社會的『諸義務』を有してゐる。さればとて、彼等を勞働者とは名づけ得ないであらう。

仕事をすると云ふこと夫れ自體が勞働者たる事の特徴を成すのではなく、如何なる種類の仕事をするかと云ふことに依つて、勞働者たることの特徴が知られるのである。然らば、如何なる種類の仕事をするものが勞働者たるのであるか?

(二)生産的勞働

勞働者の特徴は生産的勞働をすると云ふ點に存するものと、しばしば考へられてゐる。然しながら此説明を以つてしても、遺憾ながら大して得る所はない。それは生産的勞働と云ふ概念が、經濟擧者の間に極めて議論の多い問題であるからである。試みにマルクスの『餘剩價値學説史』中の『生産的勞働及び不生産的勞働』に關する一章(第一卷、第一七九――四二九頁)を參照せよ。

生産と云ふ見地よりすれば、直接若しくば間接に生産物を生産する人は總て之れを生産的勞働者と見做すことが出來る。單純なる商品生産と云ふ見地よりすれば、價値を産出する人は總て生産的勞働者である。

此定義に從へば、教師や醫師の如きは生産的勞働者ではないことになる。音樂會に出演する歌手も生産的勞働者ではない。然し此同じ歌手が蓄音器のために歌ひ、かくして音譜板の製出に貢獻すると云ふことになれば、彼れは生産的勞働者に轉化するのである。同樣に教師も亦、教科書を著作すると云ふやうな場合には生産的勞働者となり得る。

然し、生産的勞働の斯る定義に基いて選擧權を限定しようとは、我々の考へ得ざる所であることは明かである。經濟上より云へば、かゝる定義は重要なるものである。一國に存する生産物量の大小は、他の事情に變化なき限り其生産的勞働者の數の大小に依つて定まり、人民の享くべき可能的福祉の大小は、生産的勞働者數と不生産的勞働者數との比例の如何に依つて定まるからである。けれども階級鬪爭の、階級支配の、選舉權の見地よりすれば、かゝる區別は何事をも意味し得ないのである。然し生産的勞働者と云ふ概念は、また他の意義にも解することが出來る。即ち一國の生産力を増大せしむる勞働者は總て生産的であり、自己の活動及存在に依つて生産力を増大せしむることなき勞働者、甚しきは又之れを減少するに至らしむる勞働者は、總て不生産的であると云ふのである。

此意味に於ては、曩の意味に於けるよりも遙かに多數の人が生産的勞働者となる。此意味に解すれば、醫師も亦生産的勞働者である。彼れは勞働能力なき人を勞働能力ある人にするからである。同樣に教師も亦生産的勞働者である。彼れは人の勞働能力を高めるからである。けれども音樂家や、俳優や、歌手などは不生産的の勞働者であり、軍人に至つては殊に然りである。

然し此理由に依つて、これらの人々は選舉權を與へらるゝの資格なきものであり、單なる寄生蟲に過ぎざるものであると云ひ得るであらうか?聖書の教ふるところに依れば、人はパンのみにて生くるものではなく、又神の言葉に依つても生きるのである。人は物質的の生産物を要求するのみではなく、又精神的の享樂をも要求する。而して人の生産力が大なれば大なる程、其受くべき不生産的享樂も亦益々大となり得るのである。幾多の不生産的活動は、生産の結果と同程度に於て、社會の欲求に役立つものである。

他方に於て、人類は古來、外賊に對抗して自己の自由と所有物とを防禦せんがため其勞働力と生産物との一部を支出しなければならなかつた。かゝる支出は、生産力を縮小すると云ふ意味に於て不生産的のものたることは確かである。然しそれは、平和を保證すべき、社會及國家の秩序が存しない限り、必要缺くベからざるものである。

所で、自己を賭して勞役する他の總ての勞働者にも増して國防のために獻身するところの一軍人に對し、其の活動は何等の生産的勞働にあらずとの理由に依つて選舉權の附與を拒むことが出來るであらうか?我々は軍人を不要ならしむベき制度を造り出すことに努めなければならぬ。それは生産力の振興上是非とも必要なことである。然し現に軍人の存する以上は、彼れが生産的勞働者でないと云ふ理由に依つて、彼れの手から選擧權を奪ひ去ることは出來ない。彼れのために設けられた國家内に於ける一切の特權的地位は之れを廢止すべきであるが、然し一般の公民權だけは剥脱する譯には行かないのである。

右に掲ぐる生産的勞働の二解釋と竝んで、更らに第三の解釋が考慮に入る。之れは三つの中で最も弘く行はるゝ解釋である。此解釋は單純なる商品生産の見地よりするものではなく、資本制生産の見地に基くものであつて、生産的勞働に關するマルクスの説明も亦全くこの解釋を基礎とするものである。

資本家の立場よりすれば、自己のために利潤を産出する所の勞働者は總て生産的勞働者であつて、此の利潤産出が生産物の産出に依つてなされるか、それとも全く不生産的になされるかは、少しも差異なき事である。反對に、彼れの手に何等の利潤をも齎らさない勞働者は、彼れより見れば總て不生産的のものである。

「著述家を思想の産出者と云ふ方面からではなく、自己の原稿を出版する所の書籍商を富ませると云ふ方面、若しくば資本家に雇傭さるゝ勞働者と云ふ方面から見るならば、彼れは一個の生産的勞働者である」(マルクス著『餘剩價値學説史』第一卷、第二六〇頁)

此解釋に依れば、料理店主に利潤を與へる目的を以つて其店に雇傭される料理女は生産的勞働者であるが、此同じ料理女が若し或る家庭に雇はれて其の自家使用のために勞働し、隨つて彼女を充用することに依り何等の利潤も得られないと云ふことになれば、彼女はもはや生産的勞働者ではなくなるのである。

此區別は、封建的經濟より資本制度に至る過度期において經濟上極めて重要なるものであつた。封建君主は有らゆる種類に亙る一群の僕婢を使用してゐた。之等の僕婢は何等の利潤を齎らすことなく屡々其主君の財政的破滅を招致したる賃銀勞働者であつたのである。之等の僕婢を化して産業上の賃銀勞働者たらしむることは、實に資本制度の隆興上必要なる條件であつた。

此最後に云ふ意味の生産的勞働者を多數に使用する人は富む。反對に不生産的勞働者を多數に使用する人は貧しくなる。而して其使用する不生産的勞働者の數が、自己の財産に比較して大なれば大なる程、彼れは益々急激に貧しくなるのである。當時の經濟學者たちが不生産的勞働を非難した所以は實に此の處に在るのである。

然し選擧權附與の見地より云へば、此區別も亦問題とならないのである。植木屋に使用さるゝ園丁は選擧權を有するも、資本家に雇はれて其庭園を整理する園丁や、同樣に利潤産出の目的を以つて使用されるのでない公園の園丁などには選舉權が與へられないと云ふことは、餘りに珍妙な現象であらう。要するに、生産的勞働に就ての如何なる科學的定義も、選擧權の限定上問題となり得ないのである。

さればと云つて、經濟學上の定義に代ふるに日常通用の定義を以つてしたところで同じ事である。此日常の定義は、單純に、社會の利益に役立つ總ての有用な活動を生産的勞働と見てしまふのであつて、生産的勞働なる概念は茲に道徳的色彩を加味して來る。反對に、不生産的活動とは社會に有害なる勞働と云ふ風に解されること屡々である。故に不生産的勞働者と呼ばれることは、屡々一種の侮辱と感ぜられるのであつて、世人は不生産的勞働者と呼ばれたとき立腹して此侮辱を退けるのである。而もマルクスは言ふ。――生産的勞働者たることは、何等の幸福にあらず、寧ろ不幸である。なぜならば夫れは、被搾的勞働者たることを意味するからであると。

生産的勞働者をば有用勞働者の意味にとるとき、生産的勞働者の定義は此處にいよいよ選舉權の限定に應用し難きものとなるのである。蓋し我々が一度び最本來的なる生活欲望の限界を超えるとき、有用と云ふことの概念以上に主觀的のものはないことになるからである。

パン燒工は確かに有用なるものである。此點は何人も一致する所であらう。然し屠獸工となると、すでに趣きを異にして來る。菜食論者は彼れを有害勞働者と呼ぶであらう。同樣に禁酒論者は、ビール釀造工を有害勞働者と呼ぶに違ひない。紳士淑女の目より見れば、活版所に於て猥褻文學の印刷に從事する植字工印刷工の勞働は、直接有害なるものと看做されるであらう。また多數人民にとつては、ダイアモンド磨き工の勞働は極めて不用の勞働と觀ぜられるであらう。それだからと云つて、屠獸工や、ビール釀造工や、ダイアモンド磨き工や、不良文學の印刷に從事する活版工などは、選擧權を拒ばまれねばならないと云ふ事になるであらうか?左樣な事は、彼等の活動に反感を抱く人々と雖も尚希望せざるところであらう。

(三)勞働と搾取

勞働者選擧權の限定に對する正確にして申分なき原則の基礎たり得べき勞働の定義は、到底見出せないであらう。之れは勞働者選舉權の確立を要求する人々に依つても感ぜられてゐた所である。さればこそ彼等は、「生産的勞働」「有用勞働」「社會的に必要なる勞働」等の不充分なる定義を補ふに、否定的なる一定義を以つてせんとしてゐるのである。彼等は言ふ。――他人の勞働に依つて生活することなき者は總て勞働者であると。

之れは全く疑ふべからざる事實であるやうに見える。人は勞働の結果によらずして生活することは出來ぬ。他人の勞働に依つて生活せざるものは、自己の勞働に依つて生活しなければならぬ、即ち一個の勞働者でなければならないのである。

此點に異存はない。然し右の命題を轉倒して、他人の勞働に依り生活するものは總て勞働せざる人であるとは結論し得ないのである。

他人の勞働に依つて生活する人々の大多數は、物好きにではなく社會的の必要上勞働する。彼等は、道樂的にではなく職業的に、不用的にではなく社會の欲望を充たすために勞働するのである。

されば資本家だからとて、悉く無爲者だとは云ひ得ないのである。資本家と賃銀勞働者との對立は、後者は勞働し前者は勞働しないと云ふ點に存するものではなく、寧ろ賃銀勞働者は其勞働に依つて貧弱なる生計以上のものを得ないのに、資本家は其勞働――多くは經營上の――に依つて單に勞銀を得るのみではなく、其上に尚多かれ少なかれ豐富なる利潤を得ると云ふ事實に存するのである。更らに此對立は、一の經營によつて生ずる利潤は其使用する賃銀勞働者の苦役が甚しければ甚しき程ますます増大すると云ふ事實、竝に資本家に依る經營上の勞働は正に賃銀勞働者の搾取を可能ならしめ且つ調節する所の勞働であると云ふ事實に存する。

若し此對立が、資本家は享樂するのみにて勞働せず、勞働するものは單り賃銀勞働者のみであると云ふ點に存するものとすれば、資本家に對する收奪は現實に於けるよりも遙かに單純な問題となるであらう。かゝる場合には、所有關係を變更しさへすれば宜いであらう。斯くの如き事は一擧にして行はれ得る所であつて、單なる權力問題たるに止まるであらう。

けれども不幸にして、問題はより複雜である。勞働者に對する搾取を廢止せんとすれば、管理經營の職能をば資本家の職能より社會的當事者の職能に轉化するを要する。單に所有上の秩序のみではなく、また生産方法をも變更しなければならぬ。之れは左樣に單純な仕事ではなく、資本制度の進行中に初めて展開し來たる一定條件の下にのみ可能たるのである。

勞働せずして享樂するのみの資本家が、今日すでに數多く存してゐることは言ふ迄もない。けれども今日單なる享樂者として現はれてゐるものは、大抵――大地主や大株主は暫らく措き――「堅氣」になつて「生活」に通曉しようと志ざしてゐる、資本家の淑女たちや其希望に充ちた子女たちのみである。大抵の成人した資本家は勞働する。而も時には極めて烈しく勞働するのである。プロレタリアに對する彼等の階級的對立は、大抵の場合彼等の勞働に基くのであつて遊惰に基くものではない。彼等の勢力は、今日彼等の資本所有と結合してゐる諸職能の經濟的重要に基くこと少なくないのである。然し假りに此事實を看過して、資本家は無爲なる遊蕩兒に過ぎないと云ふ風に見るとしても、それでも尚、大資本家と賃銀勞働者との間に幾多の過渡的段階あることを認めない譯には行かないのである。即ち此兩階級の間には、手づから勞働して生活し、甚しきは他人に依つて搾取されることも屡々あるに拘らず、同時に何等かの賃銀勞働者を使用し而も其生活上の位置はプロレタリアの夫れと餘り異ならないと云ふ状態に在る幾多の人々がゐるのである。試みに、工業方面に於ける苦役親方たる小手工業者、農業方面に於ける小農夫等を例に採れ。之等の人々について、勞働者と搾取者との間に嚴密なる限界線を引き、彼等をば非勞働者と見ることは全く不可能である。

此問題について今一つの要件が考慮に入る。由來、如何なる經營、如何なる家政と雖も、多かれ少なかれ貯蓄をなし置く必要あるものである。生活品も原料も日々更新されるものではないからである。また時折りより大規模の新貯蓄をなし若しくは特別危急の場合を切り拔ける目的を以つて、準備金を貯へて置かねばならぬ。かゝる貯藏は從前に於ては大抵現物を以つてなされたのであるが、貨幣經濟の發達するに及んで貨幣形態を採るに至つた。此貨幣を現ナマにて靴下の中に保管したと云ふ習慣は有名な話である。印度の土人は靴下を穿かないので、之れを地中に埋藏した。然るに株式管業竝に銀行營業の發達せる結果、斯種の貨幣額は悉く資本に轉化し得ることゝなつた。かくして生じた資本は、産業その他の方面に於て勞働者を搾取する目的に充用されるものであつて、その結果利子を齎らすことになるのである。

これに依つて見れば、貯金帳を有し、銀行に預金を有し、又は株券を購買せる總ての人は、みづから直接搾取者たらずとも勞働者の搾取に關與してゐると云ふ責を免れることは出來ない。何人の目にも勞働者たること疑ひを容れない幾百萬の人々も、かくして他人の勞働に依り生活する所の搾取者として現はれることになるのである。此場合にも亦、何處から本當の勞働者でなくなつて本當の搾取者になるかと云ふ嚴密の限界線を引くことは不可能である。

大戰以前に於ける貨幣價値の状況を標準として云へば、十萬クローネの資産に依つて年に五千クローネの利子を得る人は、みづから何等の勞働もしないで生活しようと思へばさうすることが出來たのである。所で、ほかに例へば、二十萬クローネの資産を有し、それに依つて一萬クローネの利子を得ると同時に、一方開業に依り年四クローネを收得する一醫師を採つて、之れを右の資産家と比較するならば、此醫師の收入の大部分は自己の勞働の産物と云ふ形に現はれるが、それでも彼れの收入中他人の勞働に基く分は件の資本所有者の收入の二倍に上ることが知られる。かゝる事情の下に、我々は如何にして、自己の勞働に依つて生活する人と他人の勞働に依つて生活する人との間に、嚴密なる限界線を引くのであるか?勞働者と見做し得る人々にのみ選舉權を制限しようとする一切の企圖は、結局最大の專壇に到らしめねば止まないのである。蓋し、年金や配當金に依つて生活する人と賃銀勞働者との、明瞭に區劃された二範疇の中間には、勞働の定義、即ち或は生産的勞働、或は有用勞働、或は搾取なき勞働の定義の種類に應じて、或時は一方に屬し、或時は又他方に屬する所の幾多の範疇が、就中自由職業や小資産家の間に存してゐるからである。

サウヱート露西亞に於ては、選擧權の原則を變更することなくして最初先づ全農民に選舉權を與へ、然る後これを貧窮なる農民にのみ制限し、最後に又これを中流農民に附與することが出來た。かくの如き彈力護謨式な選擧權は、全選擧行爲をば兎もすれば政府又は支配政黨の、扱ひ易き道具たらしめるのである。如何なる政黨も、如何なる政府も、永久に其の權力的位置に止まるべきことを期待し得るものではないから、苟くも遠大の着眼を有し、而して徒らに眼前的成績にのみ腐心することなき一切の政治は、有權者の範圍を明確に規定し之れを支配政黨の轉變より獨立せるものたらしむる所の選舉權制度を造り出すことに意を注がなければならぬ勞働者選擧權の彈力護謨式性質は一方にとり立てゝ云ふ程の何等の利益をも伴はないので、其弊害はそれだけ益々顯著となるのである。

(四)非勞働者は少數

非勞働者の範圍は、之れを如何に擴大して考へても極めて狹小なるものである。非勞働者を嚴密に定義することが出來ないのであるから、其數を統計的に確知することも勢ひ不可能な譯である。然し非勞働者部類に屬する人口の小なることを明かにするには、若干の徴候を示せば夫れで充分である。大戰前に於ける獨逸の統計を例に採らう。

一九〇七年に於ける農業上の經營總數は五百七十三萬六千八十二であつて、中、一百ヘクテーア以上の地積を有する大經營の數は二萬三千五百六十六に過ぎなかつた。これに五十乃至一百ヘクテーアの地積を有する大經營(これまた三萬六千四百九十四に過ぎぬ)を加算すると、合計六萬六十になる。二十乃至五十ヘクテーアを占むる經營の所有者に就いて彼等がより著しく勞働者であるか、それともより著しく搾取者であるかを確かむることは困難であるが、兎にかく彼等の數は他の大地主に比して約五倍、即ち二十二萬五千六百九十七に上るのである。大經營を優勢ならしむるものは、其所有者の人口數ではなくて其土地の廣袤である。

五百七十三萬六千八十二なる農業上の經營總數が占むる總地積は四千三百十萬六千八百八十六ヘクテーアであつて、上記二萬三千五百六十六の大經營(各一百ヘクテーア以上の)のみにて其の約四分の一、即ち九百九十一萬六千五百三十一ヘクテーアを占めてゐる。

此形勢は、商工業方面に於ても大した違ひはない。即ち此方面に於ける經營總數は三百四十二萬三千六百十五であつて、中、五十一人以上を使用する大經營の數は三萬二千七に過ぎぬ。此の大資本的經營に尚十一乃至五十人の勞働者を使用する經營(これまた十一萬九千二百九十八に過ぎぬ)を加算すると、合計十五萬一千三百五になる。

これに對立して二百九十萬七千五百七十二と云ふ極小經營(一乃至三人を使用する)がある。之等の極小經營は、事實に於てプロレタリア的性質を帶ぶるものである。而して更らに四乃至十人の勞働者を使用する不明瞭な中流經營は、三十四萬六千七百三十八に上るのである。

此商工業方面に於ても、大經營の重要は其所有者の數に存するものではなく、寧ろ經營の範圍と云ふ點に存するのである。二百九十萬七千五百七十二なる極小經營(一乃至三人を使用する)に使用さるゝ人員(親方、及び其の從屬者たる徒弟竝に僅少の年季上り職人)總數は四百四十萬五千九百八十人であつた。然るに上記の三萬二千七なる大經營に使用さるゝ人員は五百三十五萬二十五人に上つたのである。

所で、大地主や、商工業方面に於ける資本家などの外に、尚年金や配當金に依つて無爲に暮らしてゐる人々を加算しなければならぬ。之等の人々の數は、遺憾ながら確知し難いのである。獨逸帝國政府の統計は狡猾にも、F(1)なる部類の下に、自己の資産なり年金若しくは配當金なりに依つて生活してゐる一切の人々を區別なく總括してゐる。彼等の數は極めて大であつて、一九〇七年には二百二十七萬八千二十二に上つた。然し我々は、彼等の中自己所有資本の利子に依つて生活してゐる資本家は幾人を占め、恩給を受くる官吏即ちプロレタリア的分子は幾人を占めてゐるかを見出すことが出來る。後者は右の二百餘萬人中の大部分を成すものと云ひ得るであらう。一八八二年には、F(1)なる部類に屬する人員總數は尚いまだ八十一萬四百五十八人に過ぎなかつたのである。爾後それは二百二十二萬七千二十二人に増大した。即ち一八一パーセントの増大を來たしたのである。然るに其間人口總數は三六パーセントの増大を來たしたに過ぎぬ。これは主として、勞働者保險の實施に起因するものなること明かである。即ち災厄保險は一八八五年、養老及廢疾保險は一八九〇年に實施されたのである。

そこで先づ、右の部類に屬する若齡の男子は自己の所有資産に依つて生活する遊民であると云ふ風に推斷し得るであらう。老齡男子の中では、年金を受くる勞働者や官吏が大部分を占めてゐることは確かである。また婦人の大部分は、官吏や勞働者の寡婦に依つて占められてゐるであらう。實際F(1)なる部類に屬する女子一百二十二萬六千六百八人の中、寡婦の數は八十六萬六千七百九人に上つてゐるのである。一百五萬一千四百十四人の男子中、五十歳以下のものは十六萬三千六人に過ぎず、反對に六十歳以上のものは七十一萬四千八百三十一人を占めてゐるのである。

一九〇九年一月一日、勞働者保險に基いて廢疾金又は養老金を受くる人々の數は九十九萬五千八百十八、即ち約一百萬人であつた。ほかに尚、幾十萬の隱居した村落住民及び恩給に依つて生活してゐる一群の官吏があつた。これらは總て勞働者部類に屬すること疑ひを容れないのである。

銀行に依る資本家は何等の勞働もしない人と見られ得るであらう。然し斯く見る場合にも、獨逸に於て選擧權を有する勞働能力ある非勞働者の數は五十萬人を超えず、有權者總數の約二パーセントに過ぎないことが知られるであらう。我々は此の二パーセントの人々が選擧に依つて多數派たるべきを恐るゝ餘り、彼等を除外せんがため、過去半世紀に亙つて此上なく頑強に獻身的に防衞し來たつた一切の選擧權原則を放擲すべきであらうか?

選擧に於ける資本家勢力の大なることは疑ひを容れない。けれども此勢力は資本家自身の數に基くものではなく、他の階級、また少なからざる程度に於てプロレタリアそれ自身に對する、資本家の影響に基くのである。經濟上の隷從と精神上の倚頼とは、今日尚、如何なる點より見るも勞働者たること疑ひを容れざる多くの人々をして、資本家の指導の下に立つブルヂオア的政黨の陣營に走らしめてゐるのである。

社會主義的政府の成立せる曉には、たゞ次の兩場合の何づれかゞ可能となるのみである。(一)勞働者たちに對する資本家の影響を制壓し、彼等の抱く經濟的隸從の念慮を廢除し、僧侶たるとジアーナリストたるとプロフエツサーたるとを問はず、苟くもブルヂオア的に思想する所の一切のインテレクチユアルに對する彼等の信仰を振撼することが、社會主義的政府の手に依つて成し遂げられる場合。此場合には、敢て非勞働者の選擧權を剥脱するに及ばない。かゝる場合、非勞働者は希望なき少數者たるの運命に陷ることゝなるからである。(二)非勞働者が勞働者に及ぼす總濟上竝に精紳上の影響を制壓することが、社會主義的政府の手に依つて成し遂げられず、勞働者の大多數が依然ブルヂオア的偶像の前に拜跪する場合。此場合には、如何に非勞働者の選舉權を剥奪しても無益である。偶像か顛覆しても、勞働者自ら之れを再立するのであらうから。

普通選舉權に對抗しての勞働者選擧權なるものは、何等の利分をも齎らすものでない。加之、それはプロレタリア解放戰の上に有害なるものである。なぜならば、第一に、資本家と勞働者と中間を占むる他の部類の人々が瞹昧な位置に在る結果、如何なる政府も、白己の欲する儘に選擧を僞造し以つて人民の裡に生きつゝある諸傾向の實力に就き人民々欺瞞するの可能を與へられるからであつて、之れは曩に迹べた通りである。第二に、勞働者の特權的選擧權を目的とする努力は、戰鬪的社會主義者たちの注意をば、誤れる方向に導くことになるからである。即ち彼等は純機械的の計畫に依つて、社會主義の勢力を確保しようと云ふ考を起し、かくして社會主義的思想の勢力を確保すると云ふ最大にして最重要の任務、即ち我黨の目的に人々を左袒せしめると云ふ重大な任務を忘却することになるのである。勞働者の政治的特權を得んとすることではなく、勞働者の間に社會主義を宣傳し、かくして我々の味方となつた勞働者を組織的に團結せしめること――これが我々に課された問題なのである。此問題は、勞働者とは誰かと云ふ懸賞謎の、法律上に使用し得べき解決なくとも解決し得る所であり、又事實に於て我々は之れを解決することになるであらう。


底本:『解放』第四卷第六號(大正十一年六月)

改訂履歴:

公開:2006/01/21
最終更新日:2010/09/12

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