暴言暴行

高畠素之

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ヨツフエの下廻りで『露探』の稱ある田口運藏は、平素『俺は日本人たる事を恥ぢとする。日本の國籍を脱する工夫はないか』、なんどとカラ威張りしてゐたが、此間大化會の久保田君にナグられてから急にちゞみ上り、尾行巡査の御機嫌とりに憂身をやつし始め、日本帝國の警視廳に嘆願して尾行のツケ増しをして貰つたとは、さてさてゴミにも劣るシロ物と謂ふべしだ。

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税關で巡査がヨツフエのトランクを開けたとかいふ一件を後藤子爵が頻りに憤慨して、ハシタ役人は之れだから困ると云つてゐる。後藤子爵は、怪しげな人間のトランクでもあける事以外にハシタ役人の仕事があるものと考へて居られるものと見える。嘗ては内務大臣まで勤めて我々如き穩健極まる社會主義者にさへ尾行の濫用を辭し給はらなかつた後藤子爵も、一度び政權を離れると斯くまで察しが鈍くなるものか。それとも根が與太なのか。

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樺太漁業權の承認は日本政府のために與へたのではなく、日本國民の要求に對して與へたのだと、ヨツフエ君は言つてゐる。そんな與太を言ふことが多少でも人氣を集める手段だと考へてゐるならば、勞農帝國の巨人も日本人の心理には全く盲目だと申上げるの外はない。日本國民は、砂糖や鹽引の資本家に代表せしめられて嬉ぶほど、しかく無邪氣な人種でもあるまい。

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早稻田の暴言派が暴力團の一撃に戰慄して、物蔭からコソコソ『迫害』呼はりしてゐる不甲斐なさを、白柳秀湖君が批評して、『子供は大人の頭を毆つて逃げ出しても、大人が勃然として怒りを發した時、忽ちベソをかいて、おぢちやん今のは嘘つこだよゥと哀訴するので事が圓滿に落着する。一方に他の力を根柢から覆へす運動をして置きながら、他が怒つて之れを阻止しようとすれば、忽ち迫害呼はりをする。之れは苟くも力を信じ、力によつて、事を成さんとするものゝ態度でない』と警告されたのは、卓見でないとは言はれない。

暴力が恐ろしかつたら、暴言なんか吐かないがいい。暴力團を無知と呼ぶのは間違でないにしても、ビロードの暴言が決してより少なく無知であるとは斷言できない。暴力團を無知呼はりする暇には――惡いことは言はない、せめて御信仰の横文字の共産主義書の一頁ぐらゐは滿足に讀めるやう神妙に勉強することだ。

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軍事研究會の背後に軍閥在りといふ噂が事實であるとしても、從來軍閥の一手專賣に屬してゐた軍事の研究を早稻田に持ち込まうとした軍閥の努力は、寧ろ軍事民衆化の一端として歡迎すべきであつた。尤も二個師團増設の元凶であつたり軍人後援會の會長であつたりした大隈侯爵の早稻田で、殊更らさう云ふことを始めたのが宜しくないといふならばそれ迄だが、そんな事を言ふ人も餘りないところを見ると、早稻田で軍事研究が始められるといふ事を特別邪惡視する理由も無ささうに思はれる。

それにも拘らず、淺薄無知な暴言派の暴言で一溜りもなく寂滅した研究會の不甲斐なさは、暴力團の暴力に縮み上つて逃げ隱れしてゐる暴言派のだらしなさ以上に情けないものであつた。

經綸學盟がヨツフエ監禁運動をやり始めたとき、其行動が餘りに突飛だと云つて忠告してくれた人がある。ところが、此運動に依つて兎もかく三名の日本人が助かつたのを見て、流石に君たちのやり口は抜け目がないと云つて曩の忠告漢が兜を脱いで來た。

今の世の中で、ビロードと無知低能な新聞記者の人氣を集めることほど左樣に安値な仕事はないが、又これほど割りの惡い商賣もない。商賣の成績は思ひ切つた行動に比例するといふ斷定も餘り嘘ではなささうだ。日本人釋放の決議や嘆願をしてゐたのでは、何時迄たつてもヨツフエ君は舌を出してゐるだらう。

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裁判官が早大の研究室を搜査したといふので、大山教授が赤くなつて『學問を研究する所を荒らされては學問の權威に關する。これでは學問を研究する者は堪えられたものではない』(六月六日讀賣新聞)と憤慨したさうだ。學者といふ者は、いつまで斯う馬鹿で蟲がいゝのだ。

裁判官に荒らされて困るのは、何も學問を研究する人々にのみ限つたことではあるまい。餅屋が餅の製造場を荒らされても、下駄屋が下駄の製造場を荒らされても、餅屋、下駄屋から云へば、『堪えられたものでない』に定まつてゐる。また裁判官の方から云へば、何も遊びや道樂で搜査に着手した譯ではない。國法は一視同仁だと云ふ。國法の制裁を受くる點に於いて、ひとり學者のみが治外法權たるべしといふ理窟はない。職に上下の隔てなし。大學教授も、女郎も、酌婦も、馬の脚も、牛太郎も、今の世の中では皆んな神聖な商賣だ。デモクラシーの急先鋒ともあらう者が、學問の研究に限つて馬の脚や牛太郎の職業以上に神聖だと考へてゐるやうでは、水平運動の前途も遼遠と謂ふべしである。(高畠素之)


底本:第二次『局外』第三號(大正十二年七月)

注記:

句読点は適宜補った。

改訂履歴:

公開:2007/08/19
最終更新日:2010/09/12

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