絶好の取組的興味

高畠素之

今度の議會は、解散と非解散が七分と三分の割合で期待されてゐるが、どつちにしたところで、普選第一次の總選擧は東北の雪消けを待つて行はれる筈だ。玄人筋の政憲兩派は素より、取らぬ狸に終りさうな素人無産諸黨も、天晴れ皮算用に抜け目のあるべき道理はなく、戰鬪的統一主義に基づく地盤協定(!)に懸命だと傳へられる。片や社會民衆黨の安部磯雄氏、片や勞働農民黨の大山郁夫氏、いづれも中央執行委員長といふ肩書を提げ、東京と京都から打つて出られるとのこと、代議士たるに不足があつても、代議士たるを不足がられる御人態でないだけ、合併相撲の代表力士に擇ばれたのも時節柄であらう。

安部氏も大山氏も、元を洗へば早大の教授、基督教的紳士として令名があつた人達だけ、何を醉狂に主義者づき合ひぞとは他人の疝痛で、御兩所としては、やむにやまれぬ大和魂の發露があつたものと思はれる。名にし負ふ早稻田學園は、その上の憲政濟美會的運動の發祥地だけあり、佐野、猪股、北澤、五來某、硬軟雜多の無産黨的諸教授を輩出した。が、現在の立場に於いては、何といつても安部氏と大山氏とが絶好の對照的關係を維持してゐる。かたがた、取組的興味が集中されたのであるかも知れない。

安部氏は常に『日本のシドニー・ウエツブ』と呼ばれる。閲歴といひ、人品といひ、思想といひ、如何にもその批評の適切なことを首肯せしめる。ウエツブが英國社會運動の長老である如く、安部氏もまた、我が社會運動の長老である。前者が社會主義政策の實踐的計畫を重視し、常に最穩和派の立場を支持して來たやうに、我が安部氏も同じ道を歩んで來た。前者のフエービアン協會を移植して、後者が日本フエービアン協會の總帥に擔ぎ上げられ、共に大學教授として經濟學と社會政策を擔當する等、何にから何にまで似通つてゐる。しかし、鈴木文治氏が『日本のゴムパーズ』と呼ばれ、後藤新平氏が『和製ルーズヴエルト』と呼ばれたに比較すれば、甚しき役不足があらうと思はれる程度に、安部氏に對してはウエツブ以上の長老的尊敬が拂はれつつある。

安部氏は、社會主義者であると共に基督教徒である。隨つて、いはゆる『齒にて齒』の革命手段を拒否するばかりでなく、對手方の抗議を常に承認する野球部長的態度の持主でさへある。その限りに於いて、氏が最右翼の穩和派を支持し、且つ支持しつつある立場は不變的だが、それが却つて、外部には怯懦に過ぎるかの如き印象を與へる場合も無しとしない。事實、氏は細心な餘り大局を迷ひ、一世の長老的尊敬にも拘らず、昔も今も割合に、惠まれぬ立場を跼蹐してゐるのではないかと考へられる。安部氏にして若し、一般の野性を發揮し得ればと、これはまた餘りに野性濫費の高畠ではあるが、兼々つねに遺憾に存じてゐたことを附記して置きたい。

安部氏が紳士である如く、大山氏も亦紳士である。といつて、斯く斷定するほど大山氏を知る譯ぢやないが、人品骨柄が如何にも紳士的で、生え抜きの主義者とはおのづから別趣な印象を與へるのも、ウヂといひソダチといひ已むを得まいと思つてゐる。

温情童心といふ批評は、常に大山氏に關して若い連中から聞かされる。尻馬に乘つて私も衆評を承認する證據は、大山氏にして若し我々同樣のスレツからしなら、五十に手の届く年輩に拘らず、黄嘴乳臭の連中に伍して、やれコミンテルンだ、フクモトイズムだ、と押しまわす元氣も衍氣もなからうと確信するからに外ならぬ。その點、河上博士と併べて『偉大なる少年』の讚辭を奉りたい。なまじ年輩相當の深謀遠慮がなかつた爲め、生え抜きの主義者一味を蹴落として極左幹部派の先頭も切れたといふもの、人生は何にが仕合はせとなるか判らない。安部氏の場合に對すれば、寧ろ正反的結果といふも妨げないであらう。

だが、温情童心もさることながら、大山氏最近の思ひ上がり方は、些さか近處迷惑の感なきを得ぬ場合もある。茲では敢て『七ツ下りの雨』などと言はぬが、不惑を越して習ひ覺えた主義的戀情の飛ばツちりは、當の論敵と共に路傍の行人を惱ますこと一再でなく、初めの微笑は次ぎの苦笑に代り、終りの憫笑を以つてさへ酬ゐたくなつてしまふ。紳士に対して失禮だが、實際『これが五十男か』と感心させられたもの、豈に單り私のみではあるまい。

大山氏は誰れも知る如く、元來が政治學の畑に育つた人、十餘年前の『新小説』に時評を書いて居られた時分は、現民政黨院内總務永井柳太郎氏と五十歩百歩の思想的立場であつた。恰かもよし、デモクラシーの流行期に際會してからは、片や吉野博士の官學に對して私學の代表戰手らしく迎へられ、教壇と共に誌壇に華々しき活躍を示された。が、當時の最新思想家たりし氏も、理屈をまわす呂律は一向に他愛なく、長鞭の馬腹に及ばざるを遺憾とせねばならなかつた。尤もその段は、今日と雖も決して訂正の必要を見ず、無慮五十頁の論作は有慮五頁に短縮することが、如何に有效なるべきかを想像せしめて餘りある。のみならず、三ツ兒の魂を成長せしめた當今は、搗てて加へて唯物辯證法の洗靈もあり、鞭の長さをいやが上に長からしめたのみでなく、要領の捕捉をいやが上にも困難ならしめた憾みが多い。

單り大山氏のみでなく、モ・ボ共産派の好んで用ふる辯證法的作文ほど有害無益なものはない。マルクス主義の捕捉に於いて、辯證法的理解を重視しろといふなら一應は尤もである。だが、愚にもつかぬ日常茶飯の問題まで、一つ一つ『克服』や『揚棄』や『契機』に結びつけて嬉しがるなどは、煩瑣な文字的遊戲を衒ふ享樂に過ぎない。赤い色の概念を説明する日本語は『赤』の一字で澤山、それを『赤く有つて白く無い』と言はなければ氣が濟まず、自他を辨ぜず煙に卷かれて得意がるのは、野暮も野暮、この上もなき野暮さ加減である。大山氏に於いて、特に斯うした『野暮』が鼻につく。而も尚、二十臺に色里の表裏を盡くした相手をつかまへ、今日や昨日に味を覺えた遊蕩哲學を講義するとあつては、無縁の見物だつて『助けて呉れ』の悲鳴を擧げたくならうではないか。

とはいふものの、流轉は萬物の辯證的理法である。社會主義の看板を掲げし點に於いて、現存者中での最古老たる安部磯雄氏は、今や勞農ブルヂオアの一味からファスシストの汚名(?)を冠せられるに至つた。安部氏ばかりか、最近では、當年のアナルコ・サンヂカリスト山川均氏まで、無産諸黨のブロツクを提唱した罪科に依り、同じくファスシスト扱ひを受けつつある由。それに引き代へ、大山郁夫氏ばかりは全盛を極め、極左幹部派の少年總帥として時めいてゐる。

往時のデモクラツト、如何なる轉機で無産者獨裁の極北を指示し出したかは知らぬ。同類意識か共同利害觀念か、今にして思へば、十年前『無名氏』の匿名でなければ執筆を許されなかつた山川均氏との間に、圖らずも斯うした問題で論爭を繰り返へしたことがあつた。感懷や果して如何?學生上りと教師上りに支持される大山氏だけ、依然として『同類意識説』の訂正を必要としないか知れぬが、さるにても一ト昔しとあれば、斯程まで位置が顛倒するものかと驚ろかされる。


底本:『中央公論』第四十三年第二號(昭和三年二月)
副題:人物評論/無産政黨の二大立役者・安部磯雄氏と大山郁夫氏

改訂履歴:

公開:2006/07/30
改訂:2007/11/11
最終更新日:2010/09/12

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