木乃伊とり

高畠素之


▽支那に晴天白日旗が飜つていよいよ三民主義萬々歳だといふ。それもさうか知れぬが、あべこべに晴天白日旗と引換に北方の軍閥的勢力が名を棄てゝ實を制したのだといへぬこともない。かの凱旋三巨頭のうち、蒋介石は兎も角、閻錫山といひ馮玉祥といひ、揃ひも揃つて生粹の三民ツ子ではなくて北方軍閥の申し子であることが皮肉である。

▽これと同じことは、日本の政黨政治と官僚軍閥との關係についてもいひ得る。かの原敬の組閣以來、日本には完全に政黨政治が確立したといふ。なるほど、明治大正以來の政治史を見ると、日本の政治的勢力の中心が少なくとも形の上では官僚軍閥から政黨に移轉しつゝある事實を認めることは出來る。

▽桂太郎は軍閥の母屋から飛び出して、みづから政黨を築き上げた。原敬は官僚軍閥を籠絡して、貴族院にも樞密院にも政友會の勢力を瀰漫させた。桂太郎は名實ともに政黨の軍門に改宗し、原敬は實質的に官僚軍閥を政黨の軍門に降伏させたと、いつていへぬことはない。田中大將に至つては、桂の故智を學んで徹し得ず、天降り式に既成政黨へ入婿して來たのだから、これは改宗といふよりも降伏といふに近いだらう。

▽斯う調べて來ると、なるほど政黨政治の勝利といふことも考へられる。しかし、それは形の上だけの話ではないか。形の上で、支那に晴天白日旗がへんぽんとしてゐるのとどう違ふか。若し形の上だけでなく、實質的にも政黨政治が進出して勝利を制したのだといふなら、政友會にしろ、民政黨にしろ、少なくともその首領は生粹の黨人の中から出て來さうなものだ、が、揃ひも揃つた官僚軍閥上りを首領に頂いてゐる。原敬だつて、尾崎や犬養とは違ひ、もとを洗へば官僚育ちである。

▽その他、田中はいはずもあれ、高橋にしろ、加藤にしろ、若槻にしろ、濱口にしろ、結局政黨に席を置いたものの出發點においては官僚ツ子たりし點に相違がない。それはちやうど、今日晴天白日旗を掲揚してゐる支那の有力な大將たちが北方軍閥から羊頭狗肉して來たのと似てゐる。官僚軍閥の有力分子が正當に降伏したのだといふかも知れないが、その降伏した連中が申し合せたやうに首領の位置を獨占してゐるのはどうしたものだ。これは、政黨が名において勝ち、官僚軍閥が實において勝つたことを示すものではないか。

▽同じことは、無産運動と謂はゆる知識階級との關係についてもいひ得る。知識階級は無産運動に奉仕し、無産階級がインテリゲンチヤを利用するのだといふ。が、それにしては、各無産黨の幹部といふ幹部のガン首が殆んど全部インテリゲンチヤによつて獨占されてゐるのが不思議である。安部磯雄といひ、大山郁夫といひ、麻生久といひ〔、〕鈴木文治といひ、その他エトセトラ、これらのアカデミツク紳士たちは、決して無産階級を踏臺にしようなどとは夢にも考へてゐないことは確かであらう。彼等の幹部的位置はほんの一時の假りの宿で、本當は身を提して無産階級のために奉仕してゐるのだといふかも知れぬ。

▽が、それほど受身な彼等の位置としては、餘りにも彼等が無産運動の方向を獨裁しつゝあるではないか。同じく階級戰線に立つと稱する各無産黨が、背と背をすり合せて互ひに呑噬の牙を剥き合ふことをやめないのも、これは決して無産階級その者の要求ではなく彼等インテリゲンチヤのエゴイズムのかち合ひに過ぎぬ。このエゴイズムのかち合ひが直ちに無産戰線の分裂となつて現はれるほど、それほど無産運動は彼等インテリゲンチヤによつて獨裁され惡導されてゐるのである。こんな現象を見ても、無産階級への奉仕があべこべに無産階級の奉仕ではないかと疑はれるのは、あながち疑ふ者の罪とばかりもいへなからう。

▽要するに、支那における晴天白日旗のへんぽんといひ、日本における政黨政治の進出といひ、インテリゲンチヤの無産階級への奉仕といひ、卒然としてこれを聽けば、いづれ劣らず感じの惡くない羊頭だが、その實これが木乃伊になるための木伊乃(1)とりの看板に終らなければ御愛嬌である。


底本:『經濟往來』第三卷第八號(昭和三年八月)

注記:

※句読点を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)木伊乃:ママ。

改訂履歴:

公開:2006/12/17
最終更新日:2010/09/12

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