史論と隨筆

高畠素之


文章は人に讀ませるものだといふことを、間接直接私に教へてくれたのは堺利彦、白柳秀湖の兩先輩である。私のやうな天性惡筆のぎごちない人間が、これでもどうやら文章らしいものを書けるやうになつて、少なくとも讀んで判りにくいといふ非難を餘り受けないやうになれたのは、全く以つてこの兩先輩のお蔭であると陰ながら感謝してゐる次第だ。

白柳氏はいま一つ、私の思想に善い影響を與へてくれた。それは物を考へるとき世間的水準の型に囚はれず、自分自身の體驗から割出した心眼で、既成の學問や物事の筋みちを觀察し理解するやうにせねばならぬといふことだ。白柳氏は私の思想が型に囚はれないといつてくれたが、あれは實は白柳氏について言ふべきことで、若し私は幾分でもその長所があるとすれば、それは白柳氏の影響によるところが極めて多かつたことを斷言させて頂きたい。

白柳氏の作物は大體、史論と隨筆の兩面にわたつてゐるが、いづれも天下一品である。ことに史論の點では、當代竝ぶものがないといつても過賞であるまいと信ずる。私は白柳氏の「親分子分」を讀んで、始めて暗い歴史に光明の一路を與へられたやうに感じたことを覺えてゐる。世態人情の底に横はる道理の筋みちを噛んでふくめるやうに説き示す獨特の筆致は、涙ぐましいほど有り難いものである。その他「町人の天下」でも、「二千六百年史」でも、「日本閨門史」でも、みんな得難い好著である。私は後進として、これらの名著をもつと世間に囃し立てる義務があるやうに感じてゐる。

史論家としては、白柳氏の前に山路愛山氏があつた。この人も非常に蘊蓄があり名文家であつたが、史眼に於いてはどこやらまだ過渡期の混沌とした境遇から脱し切らない趣きがあつた。そこにまた特殊の面白味もあつたが、白柳氏のはこの點、遙かに完成されてゐる。或る意味に於いて、白柳氏は愛山の衣鉢をついで愛山を完成したものといひ得るであらう。愛山も實力相應の評價を世間的に惠まれなかつたやうであるが、その不朽の文猷的功績は後世大いに認められる時が來たらねばならぬと信ずる。

白柳氏の隨筆も善い。ことに、その獨特な科學的推究のうちに一脈の詩味を湛はせた筆致は類を求め難い。「聲なきに聽く」の中に出て來る、竹細工の趣味や焚火の魅惑から人類の祖先の状態を推想して行くところなどは、正に一篇の科學詩だ。氏の斯ういふ行き方はどことなくクロポトキンを彷彿せしめる。クロポトキンを科學詩人といふ意味に於いて、白柳氏にも多量の詩味がある。それが朦朧たる詩味でなくて、くつきりと科學的に色づけられてゐるところに特徴がある。

白柳氏はいま一つ、社會講談にも深入りされてゐるやうだが、これは正直なところ餘り感服しない。大體に史論は申分なく、史論に書くべきものを講談に書いたのは割合に面白くない。講談となると、矢張り道理の筋みちや肉がその儘躍動して來るやうでないと興味が殺がれる。とにかく、讀んでゐて餘り面白く感じられないのは、理に落ちすぎる結果であらうか。


底本:『隨筆』三月號(昭和二年三月。「白柳秀湖氏の印象」(現代人物月旦(3))の一つ)

改訂履歴:

公開:2006/12/17
最終更新日:2010/09/12

inserted by FC2 system