(1)『資本論』譯者序

大鐙閣版『資本論』(第一卷第一分册)

○譯者序

マルクスは第一版序文の中に言つてゐる通り、最初本書を三卷に分ける考であつた。即ち第一部、資本制生産行程を第一卷に収め、第二部、資本制流通行程と、第三部、資本制總生産行程とを第二卷に充て、更に第四部、餘剩價値學説史を以て第三卷の内容たらしめやうと云ふのであつた。

彼れは第一卷起草當時、既に全三卷の主なる部分をあらかた頭の中に築いてゐたのであるが、病氣の爲め第一卷を完成した切りで、一八八三年三月十四日其の第三版印刷中に此の世を去つた。

彼れの死後、エンゲルスは第二卷の編集に着手したが、其の編輯中彼れはマルクスの最初の計畫を變更して、第二卷には前記の第二部、即ち資本制流通行程のみを含めることを適當と信じた。斯くて此の二卷は一八八五年五月五日(マルクスの誕生日)、第一卷に後るゝこと正に十八年にして漸く其の發行を見た。

第三卷の發行は更らに後れた。一八九三年七月、第二卷再版の公にされた時、エンゲルスは尚ほ第三卷の編輯に從事してゐた。それが始めて公にされたのは、一八九四年十月四日、第一卷を遠ざかること實に二十七年の後であつた。第三卷は之を上下に分ち、マルクスが最初第二卷の後半として計畫せる前記第三部、即ち資本制總生産行程を取扱つた。

第二、第三兩卷の發行が斯くも甚だしく遲延したこと、及びマルクスの草稿を整頓するに當つての困難に就て、エンゲルスは之等兩卷の序文の中に其の詳細の説明を與へてゐる。彼れは其の勞作に對する自己の分け前を努めて貶下しやうとしてゐるが、其の實際の苦心努力の如何ばかりであつたかは、到底筆紙に盡し難きところであらうと思ふ。彼れは數年間にわたる衰視の中を、人工光線の助けによつて辛うじて筆を手にするやうな場合に立ち至つたことを、第三卷序文の中に述べてゐる。實に『資本論』はマルクス、エンゲルスの共著と云ふも過言ではないほどに、エンゲルスの勞に待つところが多かつたのである。

エンゲルスは、マルクスが第三卷として計畫した前記の第四部、即ち餘剩價値學説史をば第四卷として發行する豫定であつたが、未だ其の目的を達せざる中に不幸その協勞者の後を追つた。それは一八九五年八月六日、第三卷發行後僅かに一年足らずのことであつた。

然し彼れは豫ねて此の事あるべきを覺悟してゐたので、其の死に先だつ數年、獨逸社會主義者中の碩學カウツキーに第四卷編輯の任を託したのであつた。カウツキーはエンゲルスの死後この事業に着手したが、材料の餘りに豐富なる爲め之れを獨立の一書たらしむるを適當と信じ、『餘剩價値學説史』と題して公にした。それは前後三卷より成り、第一卷は一九〇四年十月、第二卷(二部より成る)は一九〇五年八月五日、第三卷は一九一〇年三月十四日に發行された。

私の此の翻譯は原文第六版に據り、傍ら英譯本を參考にした。私は原文の一言半句をも忽せにしなかつた。それと同時に、出來得る限り讀み易き邦文を組立てることに苦心した。パラグラーフの長い箇所は、原文に頓着せずいくつにも行を改めた。英吉利の材料から重譯した工場法の歴史その他に關する箇所は、直接英譯本に據つた。

私の歐羅巴語の智識は英獨語に限られてゐる。私が本書の翻譯に於て最大の困難を感じたのは、佛蘭西、拉典、希臘諸語の脚註の譯出であつた。私は此の點に於て、特に先輩山田嘉吉氏の親切なる助力に預つたことを感謝しなければならぬ。

大正九年五月十五日

高畠素之


大鐙閣版『資本論』(第三卷第一分册)

譯者例言

資本論第三卷の性質、發行事情等に就ては、編輯者エンゲルスの序文中に書き盡されてゐるので、茲にそれを繰返す必要はない。

邦譯本に於て第二卷が後廻しになつたことは遺憾であるが、之れは飜譯擔當の關係上已むを得ない。若し私が一人で全三卷を引受けたのであるならば、無論原本通りに卷を逐ふたであらう。然し研究上の順序としては、第一卷から直接第三卷に移ることに著しい支障はないやうに思はれる。勿論、第三卷の叙述は第二卷の内容をも前提してゐる。第二卷殊に資本の回轉に關する分解を知らずして、第三卷を完全に理解することは不可能である。けれども、第三卷に對する直接の最重要なる基礎を成してゐるものは第一卷である。それは第三卷に納むる既卷分からの引抄が殆んど全部第一卷からのものゝみであると云ふ形式上の根據からばかりでなく、現にゾンバルトの如きは資本論の繙讀順序は次の如くにすべきことを薦めてゐる(『社會主義及社會運動』第六版、第三三六頁)。

(一)第一卷、第三、四及七篇
(二)第三卷
(三)第一卷殘部
(四)第二卷

また福田徳三氏の如きは、最初に第三卷第一部(第一及二册)を讀むべきことを薦められてゐる程である(『經濟學研究』明治四十年九月版、第五九九頁)。いづれにしても、第一卷の次に第三卷を讀む事は、左程不自然でないことは明かである。

とは云ふものゝ、私は決して第二卷が後廻しになつた事を喜ぶものではない。其爲め内容上にも幾分の不體裁が出來した。例へば第一卷からの引抄頁數は總て邦譯本に依るを得たが、第二卷からの分に對しては已むを得ず原本の頁數を掲ぐることにした如きは、兎にかく體裁上面白からぬことである。尤も斯種の不體裁は、何づれ全三卷完了後改竄すべきは言ふ迄もない。

飜譯上の方針、譯語等は、全部第一卷に準據することゝした。第一卷の譯語は私の一存で定めたものでなく、私としては稍不滿の點もないではないが、今更ら改めやうもない。

原本は一九一一年版(第三版)に依つた。原本の傍らウンターマンの英譯本を參考に用ゐた。

邦譯本は原本第三卷の兩部を各二分して、合計四册にする豫定である。私は格別の事變なき限り、本年中には全部譯し了へたいと思つてゐる。

大正十年四月五日

高畠素之


大鐙閣版『資本論』(第二卷第一分册)

譯者例言

最初マルクス全集の計畫が成立した時、私の受持は資本論第一卷のみに限られてゐた。然るに其後、校註者たる福田博士が一身の都合上全集を脱退された結果、延いて第三卷擔任者の上にも動搖を來たし、他に適當なる後任者が無いといふ理由で結局私にお鉢が廻つて來た。當時、私は既に第一卷を譯了してゐたので、此依囑を快よく承諾し不完全ながらも兎にかく第三卷の邦譯を完成し得たことは、私の竊かに誇りとする所である。

然るに、右の全集計畫動搖と同時に第二卷全部の擔任を承諾された高橋誠一郎氏も亦、途中何等かの事情のため退任さるゝの已むなきに至つた結果、またも他に適任者が無いとの理由で私が第二卷を引受けさせられることになり、茲に漸く其の第一册を刊行し得るに至つた次第である。斯樣な事情のため、第二卷の刊行は豫想外に遲滯を來たし、讀者諸子の期待に背むくところ多かつたことは、出版元に代つて私から呉々もお詫びせねばならぬ所である。

私も最近意外に雜務が殖ゑて、從來の如く此仕事のために全力を注ぐことが出來なくなつたことを遺憾とするが、然し最早餘すところ僅かに一册のみであるから、いくら後れても本年一杯には資本論全部の邦譯を完成し得ることは確かである。

第三卷の例言中にも一寸斷つて置いたが、擔任割振の都合上、第一、第二、第三と順を追ふて刊行することが出來なかつた爲、參照頁について思はざる不體裁を來たすことになつた。即ち第三卷に於て、第一卷の或個所を引用する場合、第一卷何々頁とあるは邦譯本の頁號數を指すのであるが、第二卷を引用する場合には、原本の頁號數を掲げざるを得なかつた。これは私の絶えず氣にかゝつてゐる事であるが、今更ら何うにも仕方がない。また既刊諸册を開くたびに、到るところ誤植、拙譯甚だしきは誤譯の個所が見出されるので、之れには私もつくづく閉口してゐる。之等の點は、私としては即時訂正したいのであるが、出版元の都合もあること故、今のところ其儘にして置いて、いづれ全三卷完了の上大々的に訂正を加へたいと思つてゐる。

大正十二年二月二日

高畠素之


大鐙閣版『資本論』(第二卷第二分册)

序に代へて

□『資本論』全三卷十册の中、八册迄は既に刊行され、殘餘二册分の原稿は震災當時上梓中であつたが、印刷所の罹災に伴ひ組版全部滅失すると共に、マルクス全集出版元たる書肆大鐙閣が震災の打撃に依つて再起覺束なくなつた爲、『資本論』の續刊も暫らく中絶の状態に置かれてゐた。それが今回、而立社主人面家莊佶氏の熱切なる好意に依り漸く世の光りを見るに至つたことは欣快に堪えない次第である。

□面家氏は大鐙閣經營時代マルクス全集の刊行に着手し、萬難を排して之れが完成に努力せられた。實に面家氏あつてのマルクス全集と云はれた位ゐ、兩者の關係は密接不離のものであつた。氏の大鐙閣退社は、不幸此關係を切斷するに至つたが、震災といふ不慮の大厄が取りもつ縁となつて、茲に再び面家氏の手に歸することゝなつたのは奇縁と云ふべきである。

□顧みれば、豫が『資本論』の邦譯に着手してから滿六年になる。最初の計畫では之れを二年間に完成する意氣組みであつたが、遲滯に遲滯を重ねて豫定以上三倍の年月を要したことは慚愧に堪えない次第であるが、遲れたりとは云へ、兎にかく茲に初志を貫徹し得た努力だけは買つて頂きたい。

□尚、既刊八册分の内容については、意に充たざる所が幾多あるので、震災のため紙型全部滅失したるを幸ひに、之れより徹底的改譯に沒頭する考へである。隨つて豫の『資本論』邦譯事業は、今後尚數年に亘つて持續することゝなるであらう。

□飜譯方針については、從來の拮屈贅牙を避けて平易流暢を旨とした。それがどの程度まで成功したかは斷言の限りでないが、兎にかく從來のものに比して幾分なりとも流暢味を加へたことは認められるであらう。今後の改譯も此方針に從ふつもりである。

大正十三年六月二十九日

高畠素之


新潮社版『資本論』

改譯版序文

私が『資本論』の飜譯に著手したのは大正八年七月、最後の分册を刊行し了へたのは大正十三年七月、その間正に五年の星霜を閲してゐる。同一出版物の勞作期間としては可なりに大きな年月と言はねばならぬ。勿論、その間には種々なる餘儀的享樂に時間を浪費したこともあるから、五ヶ年の全部を『資本論』のためにのみ沒頭したとは言ひ得ないが、然しこの間に於ける私の注意と努力と時間の主要部分が、『資本論』刊行の一目的に集中されてゐたことは事實である。

それで昨年七月、最終分册を刊行し終つたとき、私の過去五年間の努力は曲りなりにも大成された譯であるから、私としては大いに重荷を卸した氣分になり、祝盃の一つも上げねばならなかつた筈であるが、事實は更らに苦痛を加へるのみであつた。それは私の過去に於ける勞作が、甚しく不出來に終つたといふ自意識に原因を置いてゐる。

私の飜譯は、何よりも先づ難解であつた。譯者たる私自身が讀んで見ても、原文を對照しないでは意味の通じない處が無限にある。これは一つには、『資本論』の名に脅威されて、私の譯筆が餘りに硬くなり過ぎたことにも起因してゐる。現に『資本論』以前に刊行した『資本論解説』の方は、不出來ながらも難解の缺點は比較的少なかつた。『資本論』も『解説』程度にやつてやれぬことはなかつたであらうが、何分にも硬くなつてしまつて日本文の體をなさなくなつた。

第二に、純然たる誤譯とすべきものが少なからず見出された。これは大抵ケーアレス・ミステークとして恕し得べきものであつたが、中には私の實力不足に依るものも可なりあつた。

第三に、印刷上の誤植その他不體裁の點が少なからず見出された。ことに舊版第一卷第一、第二册の如きは、刊行を急がされたためでもあらうか、隨分物笑ひになりさうな缺點を含んでゐた。

然し、誤譯や誤植を改めるのには、さして時間と勞力を要しない。一番困難なことは、難解の譯文をいま一度原文と對照して、日本人に解る日本語に全部譯し換へることである。それも些々たる小册子ならば兎も角、大册三卷に亙り一難去つて更らにこの苦戰をきり抜けねばならぬかと思ふと、さう思つただけで氣が詰まりさうになる。それほど、私の神經と理解性の尖端は『資本論』のために麻痺し盡されてゐたのである。

然し、私としては、どうしてもこの仕事だけは完成せねばならぬ。原本が原本だけに恥を後世に遺すやうなことがあつては申譯がない。十分とは行かぬ迄も、せめて日本文が讀めると假定したマルクスから、一流の冷笑を以つてあしらはれないだけの成績は収めて置きたい。舊版は兎に角失敗であつたが、第二戰に於いては少なくとも其處まで漕ぎつけたい、といふのが絶えず私の心頭にこびりついて離れない念願であつた。

さういふ決心を以つて著手したのが、この改譯版である。忠實、眞摯の二點は勿論不動の出發點として、それ以外、この改譯版で最も力を罩めたのは、舊版の最大缺點たる難解を一掃して、出來得る限り理解し易い日本文の『資本論』を綴ることであつた。この點に於いて私の努力がどの程度まで功を奏したかは、勿論權威ある評者の評價に待つの外はないが、私としては全力的に精根を絞つたつもりである。時間も可なり費した。昨年八月から著手して、少なくとも昨年一杯には第一卷だけは仕上げるつもりであつたが、何分にも手入れを要する個所が多く、今日に及んで漸く第一卷を完了したやうな始末、その間十ヶ月は文字通りこの仕事のためにのみ沒頭して來たのである。

改譯については、カウツキー編纂平民版資本論が非常な助けになつた。舊版序文にも斷つた通り、私の語學が英獨二語に限られてゐるため、その他の國語で原文のまま掲げられてゐる脚註や引抄は如何とも齒が立たぬのであるが、カウツキーの平民版にはそれが全部ドイツ語に飜譯されてゐるので、この點が先づ助かつた。次に、言ひ現しの曖昧な點、難解な點や、句切りの長い處などは、すべて讀者の便宜を標準として手際よく編纂されてゐる。これらの點も出來得る限り、平民版に從つたが、然し全體の骨子は舊拙譯版通り原本第六版を基礎として、平民版の編纂秩序には準據しなかつた。

以下、讀者の便宜のため、『資本論』全體の成立につき簡單な叙述を與へて置く。

マルクスは第一卷序文の中にも言つてゐる如く、最初本書を三卷に分かつ考であつた。即ち第一部『資本の生産行程』を第一卷に収め、第二部『資本の流通行程』と第三部『資本の總生産行程』とを第二卷に充て、第四部『餘剩價値學説史』を以つて第三卷の内容たらしめようとしたのであつた。

彼れは第一卷執筆當時、既に全三卷の主要部分をあらかた腦裡に築き上げてゐたのであるが、病氣のため第一卷を完成したきりで、一八八三年三月十四日その第三版印刷中にこの世を去つた。

彼れの死後、エンゲルスは第二卷の編輯に著手したが、その編輯中、彼れはマルクスの最初の計畫を變更して、第二卷には前記の第二部、即ち『資本の流通行程』のみを含めることを適當と信じた。斯くてこの第二卷は一八八五年五月五日(マルクスの誕生日)、第一卷に後るること正に十八年にして漸く刊行を見ることになつたのである。

第三卷の刊行は更らに後れた。一八九三年七月、第二卷再版の公にされたとき、エンゲルスは尚第三卷の編輯に從事してゐた。それが初めて公にされたのは、一八九四年十月四日、第一卷を距ること實に二十七年の後であつた。第三卷はこれを上下に分かち、マルクスが最初第二卷の後半として計畫した前記第三部『資本の總生産行程』を取り扱つた。

第二、第三兩卷の發行が斯く長引いた事と、マルクスの原稿を整理するに當つての困難とについて、エンゲルスはこの兩卷の序文の中に、立ち入つた叙述を與へてゐる。彼れはその勞作に對する彼れ自身の貢獻を努めて貶下しようとしてゐるが、事實彼れの苦心努力が如何ばかりであつたかは、到底筆紙に盡し難き所であらうと思ふ。彼れは數年間にわたる衰視のため、人工光線の助けに依つて辛うじて筆を手にし得るに至つたことを第三卷序文中に述べてゐる。實に『資本論』はマルクス、エンゲルスの嚴密の意味に於ける共同著作といふも過言でない程、エンゲルスの努力に負ふところが多かつたのである。

エンゲルスは、マルクスが第三卷として計畫した前記の第四部『餘剩價値學説史』をば第四卷として刊行する豫定であつたが、その目的を達せずして不幸協勞者の跡を追つた。それは一八九五年八月六日、第三卷が刊行されてから、わづかに一年足らずの後であつた。

然し、彼れはかねてこの事あるべきを覺悟してゐたので、死に先だつ數年、ドイツ社會主義者中の碩學カール・カウツキーに第四卷編輯の任を託したのであつた。カウツキーはエンゲルスの死後この事業に著手したが、材料が餘りに豐富であつたため、これを獨立の一書たらしむるを適當と信じ、『餘剩價値學説史』と題して刊行した。これは前後三卷より成り、第一卷は一九〇四年十月、第二卷(二部より成る)は一九〇五年八月五日、第三卷は一九一〇年三月十四日に發行された。目下森戸辰男氏等の手に依つて、これが邦譯進行中と聞く。學界のため、大成を祈望するものである。

拙譯第二卷は比較的手入れを要する處が少ないから、引續き刊行し得る豫定であるが、第三卷は相當の日子を要するであらうと豫期される。然し成るべく速成し得るやう、努力を密集することは言ふ迄もない。

終りに望み、本書完成のため蔭ながら好意と間接の鞭撻を與へられてゐると聞く學界の一二權威者に對し、茲に特記して謝意を表する。

大正十四年五月九日

本郷に於いて

高畠素之


改造社版『資本論』

新改譯版について

茲に刊行する新改譯版は、舊改譯版(新潮社版)を基礎として幾多の訂正を加へたものである。訂正の大部分は、誤植、誤字の改修以上に出でなかつたが、なかには譯法に於いて可なり本質的の訂正を加へた點も少なくない。

舊改譯版に對し、小泉信三、堺利彦兩氏より注意を與へられた個所については、熟慮の上、十分兩氏の示教に準據したつもりである。茲に兩氏の好意を謝し、併せてこの新版に對しても、諸家の忌憚なき示教を希求する次第である。

尚、この新改譯版を以つて、一先づ拙譯資本論の定本たらしめんとするものであることを附言して置く。

昭和二年六月一日

高畠素之

(2)『資本論』廣告

『豫約再募集』(改造社版『資本論』廣告)

資本論の讀み方

『資本論』は難解を以つてきこえてゐる。しかし、他の各方面の原理的著作に比べて、『資本論』が特別に難解だとはどうしても考へられぬ。無論難解の箇所もある。しかし、ピンからキリまで難解といふ譯ではない。一番難解なのは、第一卷第一篇第一章であつて、これが生憎冒頭を占めてゐるため、卷を開いて直ちに辟易してしまふ。鬼ヶ島の鐵門である、この鐵問を突破せずしては、どうしても城内に入ることが出來ぬ。この點はマルクス自身も認めてゐた。彼れは第一卷第一版序文の中で『何事も初めが困難である。これは如何なる科學についても、言ひ得ることである。されば本書に就いても、第一章、特にその中の商品分析を含む一節の理解は、蓋し最大の困難を呈するであらう』と言つてゐる。

そこで『資本論』の讀み方としては、この第一章を後廻にすべしと説く學者が大分ある。例へば、アメリカの社會主義學者サイモンズは、『資本論』第一卷の繙讀順序としては、先づ最も平易にして興味多き第四篇第十三章『機械及び大工業』から始め、次に第七篇第二十四章『謂はゆる本來的の蓄積』を讀み、それから飜つて第一章を繙き、以下順を追ふて進むべしと説いてゐる。蓋し機械論、蓄積論は、誰れが讀んでも面白く理解することができ、讀者の興味を唆ることが多いから、茲で先づ十分讀者の關心を引着けて置いて、それから徐々に難關へとおびき寄せようといふ考へであらう。成る程、それも一工夫であらうと思ふ。

またドイツのゾンバルトは、次の繙讀順序を薦めてゐる。

(一)第一卷、第三篇、第四篇、第七篇
(二)第三卷、全部
(三)第一卷、全部
(四)第二卷、全部

更らに、我が福田徳三博士の主張する順序は次の如くである。

(一)第三卷、第一章から二十八章迄
(二)第一卷、第三篇及び第四篇
(三)第二卷、全部
(四)第三卷、第二十九章以下全部
(五)第一卷、第七篇
(六)第一卷、第五篇及び第六篇
(七)第一卷、第一篇及び第二篇

以上諸家の説くところは、いづれも獨特の體驗から割出した順序で、とりどりに特徴もあり、意味もあることは勿論と信ずるが、私一個の經驗からいふと、矢張り原編輯通りの順序で讀むのが一番善いと思ふ。

たゞ、『資本論』の大體の方面と術語とに慣熟するために、解説書を先きに讀んで置く必要がある。『資本論』の解説書としては、何といつてもカウツキーの『資本論解説』(改造社發行定價一圓)が一番善い。『資本論』繙讀に着手する前、ぜひこの解説書を再三熟讀して頂きたいと思ふ。さうすれば、問題の第一卷第一章の如きも、難解ながら大體の見當がつく。ただ、この解説書は第一卷を骨子として、僅かに第三卷の一半に觸れてゐるだけであるから、第二卷全部と第三卷後半(地代論)とは別の手引に頼らねばならぬ。石川準十郎氏の『マルクス經濟學入門』は幸ひに、第二卷の内容にも觸れてゐる。これは、ぜひ一讀して頂きたいと思ふ。また、第三卷後半(地代論)については、拙著『マルクス十二講』の中で、簡單ながら解説を與へてゐるから、それもついでに併讀して頂きたい。

要するに參考書は多きを要せず、以上三册、殊に『資本論解説』を十分にこなしさへすれば、それで『資本論』繙讀の資格は申分なく具備せられ得るものと信ずる。(高畠)


「譯者寸感」(改造社版『資本論』廣告)

私は資本論飜譯中、一々原本と對照して見たが、流石に第一卷英譯はエンゲルスの校閲を經ただけあつてよく出來てゐると思つた。ドイツ流の言ひ廻しをイギリス流に移しかへる苦心の跡歴々たるものがある。飜譯はかうでなくてはならないと思つた。第一卷に比べると、第二及第三卷のウンターマン英譯本は遙かに見劣りがする。いろいろ參考に役立つてくれたものを惡口いふのは相濟まぬ氣もするが、確かにウンターマン譯本はよくない。誤譯や省略が澤山ある。全體にルーズであると思つた。それらの點は、成るべく譯註で注意することに努めたが、餘り多いので根負けがした。ウンターマンといふ名からしてドイツ系統の學者に違ひないから、ドイツ語は達者すぎるのであらうが、餘り達者なため却つて上滑りしたやうな所もある。こんなことから、飜譯には餘り流暢に言語が出來ない方が善いのではないかとも感じた。出來すぎるから、疑問を起さない。手輕に紙面を走つてしまふ。紙背の奧の奧に徹する遑がない。ところが私のやうな覺束ないドイツ語知識になると、一字一句大事をとるから、却つて無難である、英語の方は兎かくウンターマン式に墮し易い。それだけ英語の方が習慣的に染み込んでゐる譯だが、よく意味をとるには餘り染み込まぬ方が善いのではないかとも感じた。

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