元老の凋落

高畠素之


『大御所』とさへ呼ばれて、恰も將軍のごとき勢力を政界に占めてゐた山縣公も、遂にその天命には敵し難く、八十何歳を一期として薨れて終つた。大隈侯、山縣公と引續く元老の死を見てゐると、元老の凋落、封建的政治勢力の沒落を、今更ら感じさせられる。

山縣公と言ひ大隈侯と言ひ、何れも維新の元勳であつた。維新改革の當事者として、その完成に貢獻した人々であり、その後の政治的權力を掌握して來た人々であつた。維新以前に於いては社會上、政治上の支配階級は武士階級であり、そして是等の維新の二勳は何れも武士階級の傳統を引いた人々であつたが、維新以後に於いて努力した事は、勃興し來たれる商工階級の直接間接の保護にあつたのである。商工資本家階級はその爲めに次第に勢力を占め、遂には封建的武士階級を驅逐して社會上の支配階級は、やがて政治的支配階級と一身同體になつた。維新以後達し來つた資本家階級は、かくて社會上の支配階級たると同時に、政治上の權力を次第に掌握するに至つたのである。

官僚軍閥と稱へられてゐるのは、封建的武士階級の傳統を繼承し來れる社會階級であつて、山縣公を筆頭とする元老の群に依つて代表されるものが即ちそれである。この階級は維新以後の政治權力を把握し來つたものであるが、近來では新興資本階級の爲めに、次第にその政治的實權を喪失して來た。所謂平民内閣が成立し、資本家階級の代表者が政治的支配權を掌握するの現象はかくして生じて來つたのである。

山縣公を大御所と仰ぐ官僚軍閥の勢力は、今日では甚だ微弱となり昔の俤を見る事が出來ないが、然も山縣公等の元老が存在してゐる間は、彼等の個人的勢力の爲めに、その傳統の爲めに、尚幾分の餘香を保つ事が出來たのである。然るに元老はかくして凋落して行く。山縣公の死に依つて失はれる官僚軍閥の勢力は、再び恢復する事が出來ぬのである。資本家階級の政治的征服が、かくて次第に進んで行く事は、今日の社會が殆んど完全に資本主義精神の支配下にある以上、到底避く可からざる勢ひなのである。商工資本家階級の保護發達に努めた官僚軍閥が資本家階級にその勢力を奪はれてゐる有樣を、殊に山縣の死と共に著しく沒落して行く姿を見るにつけても、社會進化の理法の冷酷にして動かす可からざるものなる事を痛感せずには居れない。


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