■續賣文社逸話

高畠素之

續賣文社逸話ですか? ありますともありますとも、曾我迺家五郎に聞かせたいやうなのが幾らもありますが、此規定書にもある通り、業務上の祕密と云つたやうなこともあるので、十分なお話が出來かねます。そこで極く罪のない、差し觸りのないものを二つ三つお話して置きます。尚此機會を以て御吹聽に及びますが、當社は此夏以來組織を合名會社に改め、有樂町一丁目四番地の三階建に引移つて自稱大發展を致しました。

或日の事社のMが賣藥の廣告文を書いた。すると二三日經つて同じ社員のBが袂から賣藥を出して飲んで居る。よく見ると正に二三日前Mの書いた廣告の藥なので思はず吹き出すと、何んにも知らないBは眞面目になつて『君、賣藥だつて馬鹿にならんよ。廣告を見ると確に利きさうだよ』

△△商店の、防水材料で造つた或る發明品の廣告を書いたことがある。すると間もなく使用品を賣出した問屋から使が來て、△△商店の廣告は先生の方で御書きになつたと云ふことですが、私の方でも是非一つお願ひしたい、料金は何程かといふことだから八圓ですと答へると、ぢや十五圓差出しますから、何うか私の方のが能く賣れますように……。

少し祕密にお願ひしたいことがあるから、別室でお目に懸りたいと言つて來たのは三十七八の髯のある洋服のお客樣である。社員のAが應接すると、實は私は某會社に十年來勤めて居る者だが、近來營業が甚だ振はない。之は重役の方針が惡るいからだ。私は一片の遺書を殘し、近々自殺して重役を提醒する決心である。その爲め既に妻も離別して郷里に歸らせた。就いては其遺書を書いて貰ひたいと云ふ。滿更キ印でもなささうだから、正直ものゝAは一生懸命に死ぬことだけは止したがよからうと留めたがイツカな聽入れない。歸りがけにAは、ぢや貴方は愈々何時死にますかと念をおすと、ソウです、實は來る××日に死ぬ覺悟です。……一月ばか〔り〕して社用で外出したAは白山行の電車に乘ると、やア御機嫌ようと言ふから振返つて見ると二十日ばかり前に死んだ筈の洋服の男だつた。

本社の特約執筆家たるM氏が、或時知人から論文起草の依頼を受けた。然るにM氏と其人との關係が、どうも原稿と引替に金を取ると云ふ譯にも行かないので、自然鳥屋の晩飯くらゐで帳消になりさうであつた。そこでM氏は折柄大多忙の由を答へて、それは一つ賣文社に御頼みになつてはどうですと勸めた。其人はM氏の話で初めて賣文社といふ者のある事を知り、それではと云ふので早速本社に罷り越された。本社は謹んで御受け致した。すると其人と引きちがへにM氏がやつて來て、實は昨日斯く斯くの次第で其人をこちらに差向けたのでと言ふ。成程そんな譯かと云ふので、本社は直ちに其の論文の起草をM氏に頼んだ。M氏はそれで金十何圓の現ナマの稿料を取り、お蔭で本社も何がしかの手數料を得た。

さる代議士さんから電話が掛つたので社員のBが推參すると、××雜誌の某博士の國防論を突きつけて、實に怪しからん、學者の肩書なんかで以て斯ういふ愚論を吐かれるから國民は去就に迷ふのだ。就いては僕は之に對する駁論を書きたいが、公務多忙につき君の所で宜しく……某博士の國防論と云ふのは實はBの書いたものだつたから、Bは默つてお辭儀ばかりして居つた。其後代議士が社長に逢つて、B君の論文は全く僕の言はんとする所を盡して居たよ……時にあの人は逢つて見ると馬鹿に丁寧だね……

某專門學校生の卒業論文の御用を仰せ付かつたので、社員のSが參上すると、お得意樣は名刺と其社員の顏をツクヅク見較べて居りましたが、『貴下は××××雜誌に工場衞生の事を御書きになつたことがありますか?』と申すので、社員が、『あります』と答へると、『さうですか、實はアノ中の勞働者の病氣の統計を拜借し、卒業論文の資料にして頂く積りでした』と急に態度が更まつて、先生扱をせられた事がある。(未完)


■續賣文社逸話(2)

高畠素之

『甚だお恥しいことなんですが……』

といふ皮切りで、餘り恥かし相な顏もしないで滔々と自分とある大學生との戀中から目下妊娠中のこと、ところが近來其男の愛情が純眞を失つたから斷然別れようと思ふ、就いては大に愛の神聖から説き起して男子の思想の卑しいことを詰つた愛想づかしを書いて呉れと頼んだのは、籍は××女學院の五年級に置いて居るが、モウ半年ばかり休學して居るといふ某富豪のお孃樣であつた。『萬一、彼れが何んなに縋つて來ても、妾、斷乎として拒絶する決心なんですから……』斯う言ひ出して歸つて往つた。そこで翌日社員のKが一生懸命になつて書いて居ると電話が掛つて、昨日のは全然離れないように書いて呉れといふから、Kは翌日書き替へて居ると又電話が掛つて、あれは矢張り別れるように、成るべく激烈に書いて下さいといふ、Kは翌日又書替へて居ると、又候ろ電話が掛つて來て、『アノあれは當分見合せます。』


底本:
続売文社逸話(1):『文章倶楽部』第三卷第二月號(大正七年二月)
続売文社逸話(2):『文章倶楽部』第三卷第三月號(大正七年三月)

注記:

文字を増補した場合は〔 〕内に入れた

改訂履歴:

公開:2007/12/02
最終更新日:2010/09/12

inserted by FC2 system