社會時評(大正十三年四月)

高畠素之

勞働者の文化生活

靈肉一致を標榜する勞働者教育機關として、日本勞働學院なるものが創立された。講師には賀川豐彦、永井享(1))などゝいふ人の名が見える。創立者の言ふ處に依れば、近來の勞働者教育機關は、人格の陶冶といふ重大問題を等閑に附してゐるので、到底『文化生活の向上を期する事が出來ない』。そこで二つの日本勞働學院では、音樂講座や、婦人問題講座などを設け、『時代が要求する』理想的勞働者を作るのださうだ。

有閑階級の士女なみに、婦人問題や音樂の講義まで聞かして呉れるのは有難いとしても、蓄音器をきゝながらコフイーでもすゝつて慰めとする文化生活は、肉體的過勞に陷ることのない人達のすることだ。勞働者の文化生活が向上しないのは、人格の陶冶が缺けてゐるからではない。肉體の過勞とそれに伴ふ収入の少い事が然らしめる餘儀ない結果である。基督教徒や協調會理事の目に濫費の惡風として映ずるであらう處の勞働者の口腹の贅は、彼等が消耗する勞働力を補ふ最大の原料だ。若し収入が今日の數倍數十倍に増騰するならば、彼等と雖も裏長屋や下等の飲食店で惡風と目せられる濫費をしないで濟むであらう。住み心地のいゝ住宅や、快適な飲食場で勞働力の補給を計ることが不可能である限り、彼等は依然として泥の如き所謂濫費に依つてその精力を養ふ外はあるまい。

濫費の弊風を脱し、蓄音器式の安價な文化生活を營む勤勉にして温和な『時代の要求する』勞働者が作られたら、要求する時代(即ちブルヂオア)は喜ぶことであらう。然し勞働者は、それに依つて充分に補はれることのない勞働力の濫費に苦しむばかりである。大事に使へば五十年持つ勞働力も、三十年四十年で失はれやうとするものである。

この宗教家や温情主義者の群は、自分達文化生活者の體驗から文化生活が勞働者を幸福にすると考へたのであらうか。それとも『要求する時代』に阿つたのであらうか。前者だとすれば、彼等の勞働階級の生活に對する理解の淺いのを嘆きたくなるし、後者だとすれば、そんな濫耕が續いて、かゝる資本主義時代を支持してゐる勞働力が衰退して來たらどうするつもりだらう。尤も日本のやうに人口増殖の盛んな國では、いくら勞働者の壽命が短くなつた處で驚く事もないだらうけれど。

ためつすかしつ

昨年の大地震のとき、他の各國に倣つてロシアからも慰問の軍艦が來た。しかし、その軍艦には慰問品のかわりに宣傳ビラが搭載されてゐたとかで、日本の官憲は追ひ返してしまつた。その後も、日本のプロレタリアだけに慰問の金を贈つてくれるといふ話で、取次を頼まれる日本總同盟あたりでは、大へん煩悶してゐたやうである。がその金は來なかつた。代りにカムチヤツカやアムールの森林及び漁業の利權を、日本の勞働階級に呉れるとか云ふ話があつた。

貰ふことなれば處分を一任される勞働總同盟を中心とした各勞働組合では、一應協議して見たが、貰つたところで其の利權を活用することが出來ないので、斷つてしまつたとか云ふ。ロシアにして見たつて、何しろブルヂオアではなく、金のないプロレタリアから成立してゐる日本の勞働組合に、そんな利權を活用する能力のない位の事は判りさうなものだ。

たとへ猫に小判だとしても、勞働階級にはかうして好意を見せてゐるロシアは、勞働者以外の一般日本官民に對しては極度の惡意を示してゐる。此の頃ではウラジオ存留の邦人を無暗に拘禁したりしてゐる。一寸見ると同じ政府のすることとも思はれない。が然し資本家の欲しがつてる利權を、殊更に勞働階級に與へやうとして見たり、一方勞働階級外の邦人を壓迫したりするのは、結局は通商が欲しいからだと思へばいぢらしいやうな氣がする。これは古手の刑事などがよくやる手だ。

總同盟の模倣心理

『理想から現實へ』移ると稱する日本勞働總同盟は、昨今しきりに分立組合の糾合に努めてゐる。總同盟の内部には、フエビアン協會のやうに、勞働者以外の者も加入させることを主張する一派もあるさうだ。兎に角いま總同盟は黨勢擴張に餘念がないやうである。

この總同盟の傾向は、普選案も近く通過するだらうといふ豫想だけが生んだのではないやうだ。恐らく、英國で勞働黨内閣が出現したことに依つて刺激された興奮と模倣とが多分に働いてゐるのであらう。然し英國と日本とでは、資本主義の發達状態が全然異つてゐるのだ。特殊な事情のもとに、長い間育まれてゐた英國勞働黨の眞似が、變節速製の日本勞働黨に出來ると思つたら大變である。

總同盟が勞働者の國ロシアに隨喜渇仰してゐたのも、あまり古いことではなかつた。それが今また、プロレタリア出身のブルヂオア式政治家の集團たる英國勞働黨に模倣しようとしてゐるのを見ると、聊か滑稽になる。糾合もよし、軟化もよし、そんな一時的粉飾で、非現實的急進社會主義團體に政權が握れるなら、護憲三派も苦勞はしまいものを!

享樂欲望の分化と普遍化

この頃學校殊に女學校などで芝居をやることが流行して來た。當局は、女學生がいかゞはしい女優の眞似などすることが風教上宜しくないのと、それが爲め肝心の學問の方が疎かになつたりするので、今後は斷然取締ることにしたといふ。

專門の職業者ならぬ女學生に、しかも公開的に女優の眞似をさせることなど吾々もあまり感服しない。青年男女の讀物にまで干渉しやうといふ當局が、これを嚴重に取締らうと云ふのも蓋し無理ではなからう。

しかし、斯かる現象の生じて來るのは、吾々や當局の感服するとしないことを超越した必然的傾向ではなからうか。社會の剩餘生産が増加して來れば、人間の享樂的慾望は益々盛になつて來るものだ。即ちすべての享樂慾望は絶えず分化しつゝある。文運が隆盛になるのも、運動熱が勃興するのも、學校芝居が流行するのも、悉くこの慾望分化に基く現象だと言はねばならぬ。

一般人の享樂慾望が分化し、新らしい形式の享樂對象が現れて來る毎に、取締りの任にある當局は多かれ少なかれ煩悶させられるのだ。古くは自然主義の小説が試みられた當時、最近ではソシアル、ダンスなどが輸入されて來た頃などがそれである。

いづれ享樂の對象であるからには、當局が絶對的に放任しておくやうにはなるまいが、然し同一の問題に對する取締は段々寛大になつてゆく。それは著しい愛新好奇性を持つ享樂慾が、同一對象に對して永久に同一の刺激を感ずるものでないからだ。自然主義初期に比べて、今日文藝の取締などが比較的寛大になつてゐることは、當時に比べて剩餘生産物の餘惠にあづかり得る者が著しく増加し、文藝鑑賞(2)の普遍化した結果、一般人の理解が進んだこと、風教の方から言へば享樂的對象が錯綜したことを、文藝作品の色情的刺激に對する感受性が一般に鈍くなつてゐる爲であらう。

かうして享樂慾望の分化と、從つて享樂的刺激に對する感受性の魔靡とは、次々に現はれて來る享樂對象を一般化し、風教上の危險性を減少してゆく。學生の演技の享樂も、かゝる享樂を慾求し之を享受し得る程に、剩餘生産物の餘惠を受けるものが増加し、風教上の危險性が減少する程普遍化したならば、當局の取締も著しく寛大になるに違ひない。剩餘生産の豐富な歐米諸國では、踊の踊れぬ者はないと云ふ話だが、日本にだつてそんな時代が來るかも知れぬ。吾々舊人が厭な顏をして見たところで、時勢は個人の顏色など眼中においてくれるものではない。

農村資本家の振興

農商務省の小作制度調査小委員會では、『自作農維持及び創定』について種々協議した末、法定地價三百五十圓(田畑約一町五反歩)以下の自作農に對して地租を免ずることを要綱とする自作農維持案は財源上の關係から當分實行を見合せ、自作農創定案のみ決定することになつた。この創定案は四月一日特別委員會に審議し、即日決定したならば更に二日委員總會に審議することになつてゐる。

その自作農創定案は、自作農たらんとする者に對し、一人に付四千圓(但し一町歩の地價が四千圓を超える場合にはその價格まで)を限度として耕地買入資金を、年二百萬圓宛(實行六ケ年目よりは五百萬圓)政府が支出することを主要目的とするものである。

自作農創定が實行されしは、沈滯し切つてゐる農村の景氣も一時は振興されるかも知れない。然し新らしい自作農を創定するよりも、既に存在してゐる自作農の窮乏を救濟することは更に一層急務でなからうか。勿論小委員會に於ける維持(3)原案に依れば、國庫は約二千五百萬圓の地租収入を失ふことになる。然し自作農保護の道は地租全免だけにある譯でなからうぢやないか。既に自作農の窮乏を目撃しながら、新たに小自作農を作る目的は一體奈邊にあるのであらう。

三月四日の小委員會で『一町位の耕作で人間らしい生活が出來ないから、今少しく自作農地の限度を高める必要がある』といふ議論に對し、當局側は『理想的の自作農を作るのが目的ではなく、自作農地を増加するのが目的であるから一町歩で差支えない』と答へたさうだが、自作農を困窮のまゝに放任して自作農地を増加せしむることが、抑も何になるのであらうか。

この不可解な自作農地創定案に直面して、吾々は農村に遺棄されてゐる田畑が一千町歩を超ゆるといふ事實を思ひ合はさずにゐられない。これらの土地は何れも經營困難のために利用を中絶されてゐるものである。農業資本家の獲得する利潤は、近來著しく低下して來てゐる。それに反比例して、小作人の反抗運動は益々盛になつて來てゐる。故に地主の中には、その有する土地を持(4)て餘してゐるものが多いのだ。地主は成る可く土地を賣拂つて利潤の多い商工資本たらしめようとする。一時『土地解放』の大看板で、地方の大地主が土地の分讓をし始めたことがあつたのは、要するにかゝる要求の現はれだ。しかし乍ら、地主の割の惡さが明かになつて來るに從つて、耕地の購入者も段々少なくなるのである。そこで耕作を中絶して放棄される耕地が増加することになり、農村問題に熱心な政府をして自作農地を増加する爲め補助金を貸附する制度を案出せしめるに至るのである。

自作農地創定案の御陰で、途方に暮れてゐた農業資本家は、割のいゝ商工企業に投資することが出來るやうになる。自農に出世する小作人は、迷ひの夢が醒めると同時に割の合はぬ土地と借錢を抱へて、新らしく途方に暮れることになるであらう。現政府は農村振興の急なるを悟り、農務省を新設するさうだが、農務省の施設が、萬事自作農地創定案の如き農村ブルヂ〔オ〕アの振興のみに終始せざることを祈りたい。


底本:『新小説』第二十九年第四號(大正十三年四月)

注記:

※文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)永井享:ママ。永井亨か。
(2)文藝鑑賞:底本は「文藝艦賞」に作る。
(3)維持:底本は「維特」に作る。
(4)持:底本は「特」に作る。

改訂履歴:

公開:2006/11/22
最終更新日:2010/09/12

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