社會時評(大正十三年九月)

高畠素之

藪蛇の政務官制

元來が、黨人の獵官熱を緩和するために設けられた政務官制である。いざ實施といふ段になつて、次官及び參與官の人員選定に、幾多の紛議が伴ふであらうことは、最初から容易に豫想されてゐた。果して、與黨各派間の按分比率、貴族院への分配當否等が問題となり、その原則案がどうやら解決されたかと思へば、今度は新しく選衡上の困難が生じて來た。政務が副大臣級として交渉する程の者は、本人が案外大臣級と自認してゐたり、副大臣級として自選する程の者は參與官級にも及ばなかつたり、出て貰ひたい研究會は首を振つて、どうでもいい幸倶樂部に希望者が多かつたり、はては地方團體の暗鬪から現任次官の放逐運動まで、色々な厄介を面接するに至つた。かくして政府は所期の人物を網羅し得なかつたばかりでなく、任命に洩れた黨人の不平を却つて助長せしめ、遺憾なく内部の亂脈と無力を表白したのである。

議會數學の上からいへば、衆議院の四分の三を事實上の與黨に有し、三派の首領を臺閣に加へてゐる意味に於いて、威容の堂々たる事嘗て現内閣の如きを見ないのである。しかしその實、貴族院改革、贅澤品關税値上、行政整理等の諸政策に關し、兎角政府部内の統整は亂れ勝ちであつた。それに準じて、與黨三派も圓滑を缺き、臨時議會當時から折りにふれて危險を感ぜしめてゐた。十年の幸棒で政權にありついた加藤首相と憲政會が、現在の地位を維持せんため八方十方に臆病となり、政革兩派がこれに慊焉たるところがあるにはあつたらう。しかし協調動搖の眞因は、かかる政策上の比較的保守主義(1)と比較的進歩主義に據るのではなかつた。寧ろ憲政會中樞躯幹内閣から失政責任の分擔を廻避せんとして、兩派が故意的に風馬牛の態度を採つた爲である。この内閣が成立した當時、犬養、横田が獅子身中の蟲となるべしといはれてゐたが、蟲は既に内藏を蝕食しつつあつたのである。政府の壓力の薄弱なのは當然である。一朝の政務官問題で粉爭した如く見せたのは、豫定の筋書の序幕であつたともいへる。やがて第二幕以後が展開されるに及んで、然らば御免の脱退から尻を捲つての突撃となり、その修羅場の次の大詰めは、憲政會内閣の城明渡しを以て終るが必定である。國民は今からその二番目狂言を、樂しみにして待つてゐるがいい。その時に臨んで、蝙蝠安もどきの政革派が果たして政權を奪取し得るか或は他に鳶が現はれてそれを浚ふか不明であるが、何にしても損な役割を引き受けたのは憲政會である。

今の時勢では、誰が出たところで間然するなき政治などは施すことができぬ。外は樞密院、貴族院の對策から三派の強調に腐心し、内は更に蜀を望む黨人の不平に煩惱し、失政の責任は單獨に背負はなければならぬが憲政會である。不圖して、獵官熱緩和のために策した政務官制は、却つて自黨員の不平を助長したのみならず、三派強調の龜裂を促すに止まつたのである。籔を突いて蛇を出すとはこの事である。

痛快な師團削減案

陸軍の整理縮少といふことは、未だ政府の具體方針として聲明されてゐなかつた。しかし現政府が、行政財政の徹底的整理を看板とし、閣員に犬養遞信大臣の如き急進的軍備縮少論者を含む點に於いて、近き將來に何等かの形式で斷行されることは知られてゐた。この機運を看取した陸軍側が、所謂五個師團削減案で先手を打つたは痛快である。例に依つての新聞輿論が、陸軍の時代化と賞してゐるので更に痛快である。

日本が軍國主義だといふ非難は、ここ兩三年の流行である。毛唐がそのエゴイズムから放つ言葉なら首肯できないでもないが、當の日本人までが尻馬に乘つて騷ぎ立てるのは、馬鹿の骨頂といはねばならぬ。世界何れの國か軍國主義でない國があらう。それを日本だけが世界一の軍國主義であるかのやうにいはれるのは、名譽といへば名譽であるが、實は列國の水平線に達するにも遠いのだから情ない。華府會議によつて決して列國現在の兵力は佛六十九萬、英三十七萬八千、米二十五萬二千、伊二十五萬に比し、日本は二十三萬六千である。更に飛行器の臺數から見れば、米二千四百、佛一千六百〔、〕英一千五百に日本が二百五十といふ數字である。轉じて國民一人當りの軍事費負擔額はといへば、佛十八圓、英十一圓三十錢、伊六圓三十錢に對しこれ日本は僅か四圓五十錢といふ有樣である。兵員、武器、軍事費に於いて、最下底に位する日本が特に軍國主義的だといふのは論理を無視した話である。

この超論理の非難が日本に加へられたのはこれだけの數字でもヂアツプの癖に生意氣だといふ白人の優越感から、己れの罪を人になすり付ける量見である。それをその儘に受けて、手前で手前の國を攻撃してゐるなどは、餘り滑稽すぎて洒落にもならない。ところが、その洒落にもならないことが、輿論の名に於いて行はれてゐるのが今日の状態である。その結果は、軍部當局をして自主的に軍備縮少を聲明するの餘義なからしめた譯であつた。

震災に依れる國力の疲弊はこれを認める。しかしその程度は、如何にしても大戰で蒙つた佛蘭西の比ではない。而もその佛蘭西人各個が、十八圓の軍事費を負擔してゐるのに對して、日本人がその四分の一の苦痛たる四圓五十錢を忍べない理屈はなからう。それもこれも馬鹿につける藥がないとして諦めれば、五個師團削減案大いに痛快となるのである。

軍費負擔の輕減は軍員の縮少を伴ふ。軍備を縮少する方法としては、間引するか天引するかの二途が考へられる。即ち現在の師團をその儘にして編成人員を少くするか、編成人員をその儘にして師團の幾個かを減ずるかである。この前の縮少は前者の方法を以て行はれ、今度は後者が選ばれやうとしてゐる。幸か不幸か、この五個師團天引削減説が傳へられるや、岡山、宇都宮、豐橋、久留米の諸地方、即ち削減を豫定された諸地方では、陰に陽に廢止反對で動搖し出した。いふまでもなく、師團削減に伴ふ地方の衰微を防備しようといふのである。

元々師團の設置をも黨勢擴張に利用した黨人は、地方民の反對に會つて今更らの如く面喰つてゐる。その段は甚だ痛快である。愈々これが具體問題となつて來た時、背に腹を代へんとする黨人がなければ幸である。よしんば大勢が決せられたとしても、生半可な黨人に一針を與へた段、消極的ながらも甚だ痛快である。

學校營業の看板

この頃の教育界は、お先走りの標本みたいである。自由畫、童謠、メンタルテスト、ダルトン・プラン、氣分教育等、數へ立てれば際限がない。いづれも兒童の教育を固定させまいとする點に、特味の意味を認められるが、それに伴ふ一般の害惡も考へなければならぬ。岡田文相が地方官會議の席上で、『輕信妄動徒らに新を衒ひ奇を弄して』と難じたのは、必ずしも『質實剛健の民風』からばかりでなく是認される。

詰込主義や試驗主義の教育にも幾多の弊害はある。さればといつて如上の方針、便宜上藝術教育なる言葉を以て呼べば〔、〕藝術教育が特に高級な意義を持つかに考へるは愚である。兒童の藝術本能を發揮せしめることは、成程結構には相違なからう。しかしこの世の中は、不幸にして藝術のために造られてゐなかつた。鋤鍬取つて稼ぐ百姓や、算盤彈いて暮す町人や、機械の附屬品になつて働らく職工が、氣分がどうの、感情がどうのといつてゐたんでは、第一鼻の下が干上つてしまふのである。寢てゐて喰へる身分の者には、藝術本能の發揮も許されようが、腕一本で喰はねばならぬ貧乏人の忰共は、冗談にもそんな夢は見てゐられない。

論者のある者によれば、この世の娑婆が斯く世知辛らければこそ、藝術教育の必要があるといふ。即ち藝術教育によつて勞働の中に享樂を求める習慣を培ひ、將來の社會改造に備へるといふのである。無駄な努力である。機械生産の發達した二十世紀を中世に還元し得たなら、少しは實行の可能性も認められやうが、それにしたところで勞働の中に享樂を望むなどは大篦棒である。勞働の快樂などといふことは、机上で空想してゐればこそ考へられるが、炎天に曝されて汗水を垂らすことが、何で愉快な道理があらう。勞働は何に拘らず苦痛である。從つて人間の享樂生活は、生産勞働の時間をより少からしめ、消費方面に求めるしか方法はない。藝術などといふものは、その方面に於いて役に立てば立つのである。しかしそのための必要に、兒童に藝術教育を施すといふのも困りものである。裏店の娘が華族の小間使に上つた爲め、氣位ばかり高くなつて大工の女房の實用に適しないと同じく、子供の時から感情の氣分のといふ癖をつけると、貧乏人の親が泣きを見るのが落ちである。

尤も一口に藝術教育といつても、その種類はピンからキリまであるらしい。實踐方法の兩極端を見ても、九頭龍女學校のやうに生徒に芝居をさせてゐるのや、太平小學校のやうに細工物などをやらせて、趣味と實益を兼ねしめるのがある。後者の方は多少の哀感を唆るとしても、將來の手職を仕込まれるので助かるが、芝居をさせるに至つては、單なる道樂といふ以外に意味を考へられぬ。もしその他に意味があるとすれば、生徒を吸引する看板であらう。

學校商賣素より一個の營利事業である。營利が目的であつて見れば、觀客たる學生々徒を寄せ集めることが、學校企業家の苦心の存するところである。藝術といへば一も二もなき當節の女子供を誘惑するに芝居とはいみじくも考へた妙案である。學校業者は藝術教育の當否は問題でなく、そこに利潤が成立すれば足りるのである。藝術が學校商賣の道具となつたことを以て、日本人の文化生活の高上を驚嘆するのもさることながら、岡田文相と共に『嚴に之を誡めたい』と叱呼したくなるではないか。

宣教師を追出せ

輕井澤に避暑中の五百人からの宣教師が、布教の危機を叫んで協議會を開いたさうだ。理由とするところは、全國教徒の約七割が信仰を失ひかけてゐる上、折角莫大な經費を投じてゐる、ミツシヨン・スクールの卒業生七割も信仰を棄て、最近はまた排日問題から、基督(2)教の人類愛思想に疑義を抱くものが多くなつたので、應急の對策を講じようといふのである。

宣教師はいふまでもなく、ミツシヨンから俸給を貰つて傳道してゐる人間である。從つて、受洗者の大半が信仰を棄てたとあれば、一身の面目に關する問題であらう。そこで辯明を兼ねた挽回策となるは自然だが、我々日本人にいはせればそんなことは無用のお節介である。成年期になりかける頃は、生理的原因に基づいて誰しも模索時代を經驗する。その時代に於いて、遣り場なき心の捌け口は、戀愛に求めるか、藝術に求めるか、神に求めるかといふのが大抵の相場である。しかし暗雲が霽れて、當時の精神状態を分析的に考へられるやうになると、一切が莫迦々々しかつたことに氣がつく。神に對象を求めた者が信仰を放擲するのは當然であり、七割の背教者があることは、それだけ日本人の頭のよさを語るものである。また『折角莫大な經費を投じて』と滾すが、ミツシヨン・スクールは必ずしも基督教徒を仕立てることに、全目的が置かれたのではなかつた筈である。それこそ仰る如き『人類愛』の立場から未開國日本の子弟に、學問技藝を授けることに意義が表明されてゐた。日本人はその『折角』の好意を攝取したのである。今となつて棄てた莫大な經費に未練を殘すやうでは、信仰を學費補助の擔保とでも心得てゐたのであるか。高利貸が學資を出しやしまいし、宣教師ともあらう者の公明さは少しも窺はれない。さういふ觀念的な人類愛なればこそ、日本人は基督教に愛相を盡かしたのである。排日問題などで疑念を持ち出したのは、日本人としては珍らしく頭の惡い奴である。

大體、ミツシヨンが宣教師を派遣するのは、人智蒙昧な土地に限られてゐる。しかし日本は、アフリカやスマトラでないばかりか、却つてアメリカに宣教師を送りたい方の國である。五十年前の指導意識を今日にまで振りまわし、優越人種顏をされることは迷惑以上である。口に四海同胞と體裁を飾りながら、彼等宣教師の高慢さは言語に絶する。日本人がアメリカで同化しないといつて閉出される位なら、それ以上に同化性を有しない米國宣教師は、速刻これを國外に放逐すべきである。今度の協議會でも吉例の如く、宣教師同盟大會の名で排日反對の意見書を送つてゐるやうだが、醉狂にもそんな量見があるとすれば、さつさと歸國して蠻國アメリカの教化でもやつて貰ひたい。キリストが己れの目の梁(3)を拂へと教へたのは、こんな鈍間な宣教師が絶えなければこそであつたらう。

震災紀念その他

昨年の大震火災を紀念するため、東京府市は九月一日の午後十一時五十八分を期し、一齊に寺院の鐘を撞き鳴らし、汽車、汽船、工場等の汽笛を吹き鳴らし、男女の美装と化粧を禁じ、交通機關は一時運轉を休止するさうである。これでもつて將來の萬一に備へるため、避難の豫行でもさせる氣かと思へば、奢侈(4)淫逸の風を誡めるのだといふ。人を馬鹿にするのも程がある。去年の今日、一家眷族を失ひ、命からがら逃げ出した者が、忘れようたつてその日が忘れられる筈はない。その當時の記憶をさながら思ひ出すやうな鳴物入りで囃し立てられたら、大抵の者は氣が變になつてしまはう。それほど奢侈(5)淫逸が氣にかかるなら、棍棒でも持ち出して張り倒すことにでもしたらどうだ。知事の市長のといふ御歴々のあられもなく、飛んだ冷水好みは人民の迷惑である。

黄門諸國漫遊記といふ講談がある。百姓に化けた水戸の隱居が、助さん格さんを股肱として諸國を巡り、強を抑へ弱を助けて歩く話である。何しろ、助さん格さんは劍道柔道の達人だし、それで追つかなければ『天下副將軍』を擔ぎ出せるのだから、天下に恐ろしい者はない。後世彼れを名君と讚へてゐるが、さぞ當人は嫌味な奴であつたらうと思はれる。鐵道大臣千石貢もそんな男である。鐵道事務に精通してゐるのを鼻に掛け任官匆々局長連のメンタルテストをやつたのを振り出しに、最近羽越線開通に名も知らぬ列車を引き出して度膽を抜いた話まで、何のことはない、屬僚の油を絞ることを以て、最上の享樂としてゐるやうに見える。生殺與奪の權を握つての上の御道樂だから、屬僚の方では『御發明でゐらせられる』とでもいつて置くしかない。それを笠に著て名君がられては、積極善をやらぬだけ水戸黄門に劣ること數等である。

秋口の傳染病流行期を控へて、ポスターや活動寫眞で豫防宣傳に餘念がない。蠅を捕れとか、鼠を捕へろとか、生水を飲むなとかいふことなら、人民に出來ない相談ではないが、下水がどうの塵埃がどうのといふのは、當局の管轄に屬する仕事である。いくら消毒液を埃溜に撒いたところで埃屋が廻つて來ないから蠅は遠慮會釋もなく猛威を逞しうしてゐる。傳染病猖獗の責任は大半がかうした當局の粗洩に原因する。市民に衞生を強ひてゐる癖に、當局はこれを忘れてゐるどころか、寧ろこれをしようとしないのである。地震の後片付さへ出來ないでゐる分際で、傳染病流行の責任を人民に冠せようなどとは押しが太い。ポスターや(6)活動寫眞で多額の金を散らす程なら、その金で埃溜や溝浚を傭ふのが、どれだけ衞生的だか知れないのである。


底本:『新小説』第二十九年第九號(大正十三年九月)

注記:

※文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)保守主義:底本は「保守守義」に作る。
(2)基督:底本は「督基」に作る。
(3)梁:底本は「木+([忍-心]+木)」に作る。ルカ伝6章42節の言葉。
(4)奢侈:底本は「奢移」に作る。
(5)同上。
(6)ポスターや:底本は「ポスターヤ」に作る。

改訂履歴:

公開:2006/11/22
最終更新日:2010/09/12

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