社會時評(大正十三年十一月)

高畠素之

ブルヂオア政治勢力の擴張

憲政擁護と特權階級打破を標語とし、所謂民衆の輿論を背景として政權を獲得した加藤内閣は、愈々所謂輿論に添ふため、貴族院の改革を斷行することゝなり、若槻内相、横田法相その他を調査委員に擧げた。

政權獲得運動當時の聲明の手前、これは勿論當然なことであらうが、貴族院制度を改革して何うしやうといふのか。傳ふるところに依ると、政府は貴族院組織を改正して、新たに民選議員を加へ、華族、勅選議員、民選議員を各全員の三分の一宛とする意向らしい。華族議員數を減少して、新たに民選議員を加へやうといふのは、要するにブルヂオア政治的勢力の擴張でないか。

貴族院といふのは、封建的政治勢力の殘壘である。これを構成してゐる分子は、今日において社會的にも政治的にも中心的な勢力となり得ない封建的階級である。華族(その中にはブルヂオアの實質を兼ねてゐるものもあるが)と言ひ官僚勅選議員といひ、何れも封建的政治勢力の餘映を傳承してゐるのだ。

ところが、この殘存的封建勢力も、今日のブルヂオア政治家にとつては、時に重大な邪魔ものとなるのである。憲政の擁護だの、特權階級打破だのといふ叫びは、要するにブルヂオア政治勢力の、封建的政治勢力への挑戰に過ぎないのだ。

今日においては、社會的にも、ブルヂオアの支配力は刻々増大しつゝある。現内閣はブルヂオアのかゝる支配力を背景に、ブルヂオア民衆の所謂輿論を背景に、政權を獲得することが出來たのである。彼等ブルヂオア政治家にとつては、貴族院の封建的勢力が默過しがたい障害であると共に、新興ブルヂオア民衆の輿論も無視することが出來ぬ。そこで、一つには所謂輿論に迎合するため、一つには封建的勢力の障害を除去(若しくは、減少)せしむる爲めに、貴族院改革を斷行しようとするのだ。

ブルヂオア自由主義の新聞記者たちに依つて、加藤内閣が讚辭を浴びせられるのは、無理もない次第である。けれども、かゝるブルヂオアの政治勢力の増大は、一般プロレタリア民衆にとつて、一向喜ぶべき現象ではない。殘存的勢力であるとは言へ、封建的政治勢力が對立してゐてこそ、プロレタリアは完全なるブルヂオアの政治的支配を免かれ得るのだ。自然の勢ひであるとは言ふものゝ、かくしてブルヂオアは完全なる政治的支配力を得て來る。ブルヂオアに對して、絶對的な政治的被征服者たらんとする過程を、民衆といふ曖昧な字句に眩惑されてプロレタリアは贊美しなければならないのだ。新聞を中心として成立するところの、所謂民衆の輿論にプロレタリアが捲き込まれてゆくのを見ると苦笑を禁じ得ない。人生は皮肉なものである。

勞働黨の失敗

英國の議會もたうたう解散した。

所詮は不信任案の提出を免かれなかつたのだらうけれども、キヤンベル事件のやうな好餌を反對黨に與へたのは、重々の失策であつた。

ジヨン・キヤンベル氏が共産黨機關紙に掲載した論文は、誰に讀ませたつて立派な内亂教唆だといふに違ひない。軍隊に内亂を教唆するやうな不心得者は、びしびし處罰すればいゝではないか。

勞働黨員の反對が恐かつたのか、それとも『勞働黨内閣の主要人物が過去に於て第二インターナシヨナルの會合で述べた言説を幾何の徑庭があるかを比較調査するため』に證人に申請されたのが恐かつたのか知らないが、一旦起訴捕縛したものを、司法權を犯してまで起訴取上げにさせたのが間違だ。

問題の論文は軍隊の内亂教唆を目的としたものでない、などと寛容な紳士顏をして見せても、筆者が承知しないではないか。生なかの温情を振りまはして、相手を服從させようなどとした處で成功する筈がない。共産黨に逆ねぢを喰はされたり、反對黨から司法權干犯で不信任案を提出されたりさんざんである。人生の戰ひには、寛容や温情を衒ふ戰法は通用しない。兎角、理解だとか寛容だとか云ふ言葉を使ひたがる日本の新人諸君も、勞働黨の失敗に鑑みる必要がないかしら。前車の覆るは後車の戒めになるさうである。

偶像の破綻

納豆賣をして病父と妹を養ひ、一時は内務省から表章されたり、活動寫眞に仕組まれたりした模範少年が、現金百圓入りの手提金庫を盗んだといふ事件がある。

人間の欲望といふものは複雜である。同じ人間のなかに、多樣の欲望が潛んでゐるのだ。たゞ、ある場合には甲の欲望が發動して乙の欲望が抑へつけられてをり、ある場合には乙の欲望が發動して甲の欲望が抑へつけられてゐる迄の話だ。親や兄弟のために、納豆賣をして働くことが、甲の欲望の發動であるならば、金庫を盗まうとするのは同じ少年の奧に潛んでゐる乙の欲望の發動であらう。

大體にどの種の欲望が強いといふ先天性はあり得るだらう。けれどもそれは、絶對的なものでない。他の欲望の發動を唆るやうな條件が整つてゐれば、先天的に強い筈の欲望も抑へられ勝ちのものである。新聞によるとこの少年は、その後何時の間にか性格が一變し、正業につくのを嫌つてゐたといふ。模範少年だなどと世間から持てはやされて見れば、子供の事だもの思ひ上りもしやう。つまらない正業につくより、周圍の同情を利用してぶらぶらしてゐる方が樂に違ひないから、つい正業がいやにもなる。少年の奧に潛んでゐた遊惰な欲望がつい誘發されるのだ。

金庫泥棒などやられては、模範少年に祭り上げてゐた世間は意外であらう。けれども、永續性のない欲望(若しくは性格)の一部面だけを捕へて勝手に偶像化し、相手が偶像になつてゐないことを憤慨するのは蟲がよ過る。孝心などといふものを、永劫不變なものだと思つてゐるのが、そもそもの間違ひである。だから、この少年のやうに世間を裏切るやうになるのだ。

それにも拘らず、世間では模範青年だの模範兵士だのと、次ぎ次ぎに偶像をつくつて行く。ちよつとした行爲に感激して、すぐ偶像化してしまふ。それといふのも、この種の行爲を行ひたいと思ひながらも、實際には行ひ得ない人間が多いからだ。誰だつて時には親孝行をしたいとも思ふだらう。けれども、實際には反對の慾望に征服されてゐて、なかなか親孝行が現實化しないのである。そこで、他人の親孝行に感激するといふ次第である。そして、その孝行者を讚美することによつて、實際には行ひ得ないところの、自分の孝心を滿足させようといふのだ。

世の中が世智辛くなつて、自分では美事善行を現實化することの出來ぬ人間が殖える程、模範何々といふレツテルを張られる偶像が頻出する。つまり、自分には出來ない美事善行を代りにやつてくれ、といふ譯だ。偶像だつて人間だから、時には世間から貼られたレツテルが窮屈で耐らなくなることがあらう。今度の泥棒少年のやうに、レツテルを破つて他の慾望を充さうといふ事にもなる。それを意外だなどといふのは、勝手過ぎる話だ。

『美觀』と經濟的優越感

駕籠町の大和文化村に貸家を建てた未亡人がある。その貸家が村の美觀を損するといふので、俵孫一だの佐野利器だのといふ村のお歴々が騷ぎだし、未亡人を村から除名するといきり立つてゐた。その後、事件はどうなつたかは知らないが、にがにがしい話である。

駕籠町の文化村といふのは、新らしがり屋の實業家や政治家などが住んでゐるところらしい。つまりブルヂオア村なのだ。そこへ、貸家など建てられては、村の權式にも拘はるし、ブルヂオア住宅からの眺望を害するといふのだらう。金にまかせて、思ひ思ひの家を建てゝゐるブルヂオア諸君にとつては、成る程不愉快なことに違ひない。

しかし、美觀美觀といふが、同じ建物だつて見る人によつて美とも醜とも感られるのだ。電車の中から瞥見すると、大和文化村には毒々しい色彩の、下劣な建物がざらに轉つてゐる。美觀などと、個人の勝手な趣味で文句が言へるなら、文化村ブルヂオア諸君の下品な住宅を、東京市の美觀のために何とかして貰ひたい、と言ひたい位のものだ。貸家の外觀が諸君の半可な文化趣味と一致しないからつて、村の美觀呼ばはりはして貰ひたくないものだ。

佐野博士だつたかが、未亡人の建てた貸家に窓があつて、その窓から吾々の邸宅が見えるので困る、といふ意味のことを言つてゐられたやうだが、曠野の一軒家でない限り、他家の窓から自分の家が見える位のことは我慢しなければならない。それとも、貸家に住むやうな貧乏人に見下ろされては、ブルヂオア住宅の神聖が冒涜されるといふのか。

詳しい詮議立をするまでもなく、この紛擾は文化村住民諸君が文化村住民たることの經濟的優勝感を維持しようとする處に生じたものである。貸家などが出來て、自分の邸宅を持つことも出來ぬプロレタリアが侵入しては、大和文化村の持つ優越さが失はれる。從つて住民たるブルヂオア諸君の經濟的優越感も損はれやうといふものだ。

彼等自身は、はつきり意識してゐるかどうか判らないが、彼等が損はれるといつて憤慨する美觀は、この經濟的優越感なのである。敷地一ぱいに家を建てたから惡いの窓があるからいけないのと、譯の判らない事を言ひ出すから面倒になるが、要するところ、ブルヂオアの住宅地へ貧乏人を入れやうとすることがいけないといふ憤慨なのだ。

元來文化村の敷地といふのは、邸宅用として岩崎家が開放したので、貸家など建つべきところでないと村の有志は主張してゐるし、自宅用に買つたのだけれど、主人が亡くなつて生活に困るから貸家を建てた迄だと未亡人側は辯解してゐる。本當ならば、未亡人側の言い分に、村の有志も服すべきではなからうか。東京の眞中で敷地を賣るのに、自宅用に限る、などといふのが土臺岩崎家のブルヂオアらしい不心得なのであるから。

勞働宿泊所の排斥

大和文化村に似た話が、本郷隱岐堺界にも起つてゐる。弓町の上宮教會が勞働者や苦學生のために簡易宿泊所を建設したのが宜しくないとあつて、大橋新太郎、古市公威などのブルヂオア諸君が放逐運動をしてゐるのだ。

このブルヂオア諸君の言ひ分は、本郷は教育地であり重要住宅地であるから勞働者の必要がないし、勞働者などに住んでゐられては、衞生、防火上好ましくないのみならず、近所には明華、錦秋などといふ女學校があるから、風紀上面白くない、といふにある。

しかし、必要がないから住はせることが出來ぬなどといふ我儘な理屈は、どこにも適用するものでない。いろは長屋が出來たのではあるまいし、簡易宿泊所が出來た位のことで、衞生防火上の恐怖を感じるなど、あまりに神經過敏すぎるではないか。風紀上面白くないなどといふのも餘計な心配である。勿論、勞働者のなかにも不心得ものがあらうが、不心得ものは何も勞働者のなか丈けにゐる譯ではない。風紀でも紊さうといふ不良少年は、諸君の子弟から成る有閑學生の間にもより多くゐるではないか。

簡易宿所には百二十名の宿泊者があつて、内四十人は苦學生ださうだ。して見れば、純粹な勞働者は僅か七十人程である。七十人位の勞働者が住んでゐたつて(それを可成りに設備の完全してゐるらしい宿泊所に)別に邪魔でもなからう。見學と稱して土地の青年を示威運動にやつたり、『町民大會を開いて斷然たる處置』をとつたりしてまで、ブルヂオア住宅地たる尊嚴を維持しなくともよからうではないか。

便利な標準

帝大經濟學部長の矢作榮藏博士が、『博士號の二つ位なくては、帝國農會副會長として地方へ出た場合押しがきかぬから』といふので、目下農學博士の論文を起草してゐられると某新聞にあつた。(新聞記事のことだから、全然ヨタかも知ぬ。ヨタだとすれば、こんなところへ引合ひに出されて御迷惑であらう。)

博士だとか、大學教授だとか云ふ肩書で押しを利かせるのは時代おくれだ、とよく言はれる。それも尤もだ。けれども、時と場合によつては、この肩書も滿更役に立たないものでない。

同じ種類の學問に携つてゐる者同志の間では、別に肩書などの必要がなからう。それぞれの人が、ちやんと一箇の見識を持つてゐて、それで相手の價値を計ることが出來るから。けれども全然學問に縁のない地方人になつて見ると、單なる『矢作榮藏』では、どの位偉いのだか見當がつかぬ。即ち矢作博士の偉さを計る見識を持ち合はしてゐないのだ。そこで、何等か他人の作つてくれた標準(つまり博士とか教授とか)に依つて、相手を計るより仕方がないのである。

これは、吾々だつて日常經驗してゐることだ。始終忙しい生活に追はれてゐるのだから、自分の仕事と直接關係のないことには全然無見識になつてゐる。だから、假りに醫者を招ぶとしても、自分に見識がないから、つい醫專學士よりも醫學士を、醫學士よりも博士をと、肩書で選ぶことになる。醫者の手腕を計る見識を持ち合してゐない以上、これは仕方のないことだ。

そこで、專門外の人を相手にしなければならぬものは、勢ひ肩書を持たねばならなくなる。醫者だの辯護士だのゝ場合には、世評といふものがあるにはせよ、矢張り肩書きもあつた方がいゝ。矢作博士の場合だつて、田舎の地主諸君に尊敬されるには、農學博士の肩書もいるだらうし、帝大經濟學部長、法學博士の肩書もあつたがいゝに違ひない。

肩書などで押しを利かせるのは時代遲れだなどと一概に言ふことは出來ぬ。何事も立場立場である。肩書などで押しを利かせる必要のない立場と、ある立場とがある。必要のない立場の者が、必要ある立場の人の肩書慾を嘲笑するのは意味をなさない。矢作博士の農學博士も大いにいゝだらうぢやないか。人によつては肩書のある方が、世間にとつても便利なのだ。


底本:『新小説』第二十九年第十一號(大正十三年十一月)

改訂履歴:

公開:2007/06/17
最終更新日:2010/09/12

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