社會時評(師走の雜感)

高畠素之

平民にも名譽

華族の後盾に多寡をくゝつてゐた十五銀行當事者も、單獨整理が無謀でもさりとて昭和銀行へは合併したくないといふので、今更のやうに狼狽し出したやうである。その副産物として、松方公が全財産を提供すると同時に、榮爵拜辭を申し出たとも傳へられる。十五の破綻に就いては、松方一族が寄つてたかつてこれを助勢した事實が明瞭である限り、私財の全部を提供するのが當然の責任と考へられる一方、素寒貧では華族の體面を維持し得ないから辭爵するといふのは、當然すぎるほど當然な話しであるにも拘らず、何故か宮内省は二の足を踏んでゐるとのこと。

理由とするところは、若し『そんなこと』で辭爵を認めるとすれば、十五問題の影響が三十名乃至百名の『體面維持不能者』を輩出する勘定ゆゑ、それらの處分に困るからなさうである。聞いて見れば、成るほど尤もらしくもある。だが、休業銀行の迷惑を蒙つたのは、何も十五關係の華族ばかりと限つた運命ではない。華族も體面の維持を困難とした者が多い。ところが平民の體面には全く風馬牛で、華族の體面だけ問題にしようといふのだから、それ自體が人に依つて法の適用を二ならしめんとする要求であり、危險この上なき思想を萌芽してゐる。

假りに十五以外の迷惑は、平民の落度と我慢してもよろしい。然し十五の場合はそれが華族銀行だからといふので、實際以上の信用を平民に押し賣りしたのである。株券を買つたものも、預金をしたものも恐らくは『華族』の名譽を信用した結果と思ふが、それが今日の憂目を見せられたに就ては、まるで詐欺にかゝつたも同然の仕打〔。〕華族の責任や、けだし重大といはなければなるまい。しかも尚、押し賣りした華族の名譽ばかり救濟され、押し買ひした肝腎の平民が閑却されるとあつては、宮内省は善男善女に對し、好んで天道樣への逆恨みを挑發するに齊しい。心なき業かな。

今日は我身

幹部派といへば、東西古今を問はず、大抵は穩着主義に固着したがるものである。さしものロシヤだつて、スターリンを取り卷く幹部派は、日東帝國の大資本家久原房之助を國賓扱ひにしたり、同じく官僚巨頭後藤新平に熱狂的歡迎の準備をしたりどうしてなかなか隅に置けない如才なさである。唯一つ、その出店たる我が勞農黨の幹部派だけは例外で、フクモトイズムとやらの洗禮を受けた大山=河上といつた一派が七ツ下りの雨よろしくウルトラの名譽を保持してゐる。

教師上がりの斯かる一派に對し生え抜きの主義者一派はヤマカワイズムとやらを捧持し、これも名譽ある非幹部派の位置を確保してゐるさうだが、それはまた恐ろしく前非を悔いた穩着振り、本店のヂノヴイエフ=トロツキー派には似ても似つかぬ鼻息である。些か氣の毒な情(こころ)もあり、昔の馴染み甲斐に遙か聲援の言葉を送りたい氣持は山々だが、どうやら浮世の義理でそれもなり兼ねてゐる。

ヤマカワイズムといふからにはもちろん山川均氏が支持する主張を指すのであらう。山川氏最近の立場は、無産諸黨の無條件合同を提唱して極左幹部派からフアスシズム化を難詰されたことに發端し〔、〕彼等の分裂主義と宗派主義との攻撃に大童である〔らしい〕至極尤もな話しで、局外の我々も及ばずながら、大いに同感してゐる。だがさういふ御本人は一體分裂主義でも宗派主義でもなかつたかどうか。蒸し返しの古いところは遠慮するが、つい最近までボリシヱイーキに非ずんば人に非ず、苟も同席するさへ身の穢れであるかに毛嫌ひしたのは當の山川氏と彼れの主義を支持する一派であつた。さんざ人を毒ついた手前を忘れ〔、〕天氣模樣が變つたからといつて、今更他人の分裂主義や宗派主義を攻撃された義理でもあるまい。

贔負の引倒し

國家社會主義といふ看板を掲げた私は、逸早くフアスシイスト扱ひを受けなければならなかつた。ところが最近は、デモクラシーの總帥吉野作造氏や、日本農民組合の會長高橋龜吉氏や、さては共産黨の耆宿山川均氏などまで、一律同列にフアスシイスト呼ばはりをされてゐると聞き、どうやら肩身が廣くなつたやうな思ひである。それで氣をよくした譯でもなかつたが、惡友の誘ひを渡りに舟で淺草は帝國館へ『ムツソリーニ』を見物に出かけた。

觀兵式と記念祭との實寫的連續で、期待した興味は萬分の一も酬はれなかつたが、お蔭でムツソリーニの風貌だけは篤と拜見する光榮に浴した。その以前これも『永遠の都』と題する映畫の中で、ムツソリーニの片鱗はチラと瞥見する機會を得たのであつたが、當時の怪物的印象に比較すれば些か凡物的印象を免れず、ただもう大層もない獨裁大王の稚氣と衒氣に壓倒されるばかりであつた。否むしろ、それよりも壓倒されたのは、邦文で書いたタイトルに搗てて加へし辯士の説明である。先づ最初に、フアスシイズムの萬國的適用を警戒するいとも親切な文句に始まり、下位春吉がダンヌンチオの兄弟分になつたり、ムツソリーニが熱烈な皇室中心主義者になつたり、呂律の程は甚だ頼母しからぬものであつた。下位春吉がブローカーでなからうと同時に、ムツソリーニは決して皇室中心主義者でなかつた。若し『熱烈』の言葉で評し得べくんば、彼れは寧ろ却つて共和主義者であり、唯だ便宜的手段として皇室の存在を肯定すべきことを聲明した男であつた。贔負の引き倒しもよりけりである。

それと同時に、上は山川均氏に於いても然るであらう如く、下は斯くいふ高畠素之に於いても、世間の御贔負筋がせつかくムツソリーニ亞流を以て許して下さる御親切は感銘して忘れないが、時に全く引き倒しに類せざるに非ざることも附記して置きたい。

(十二月六日)


底本:『讀賣新聞』昭和二年十二月十二日

注記:

※「贔負の引倒し」は『ムッソリーニとその思想』に「ムッソリーニは非『皇室中心主義』」(一部)として一部に文字の変更を加えた上再録されている。
※底本は総ルビだが、難読の箇所を除き省略した。
※文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。

改訂履歴:

公開:2008/05/07
最終更新日:2010/09/12

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