是々非々(社會雜感)

高畠素之

この外題を見て、あいつもひどく納まつたぢやないかといつた人があるとか、それを聽いて私はちよつと皮肉に感じた。私は實をいふと、大調和なればこそ、わざと納まらないやうに斯んな外題を持ち出したつもりであつたが、廣い世間にはこの外題の味を逆にとつた向もあると見える。

さういへば、なるほど、是々非々といふお題目をはやらせたのは、殺された原敬や研究會あたりであつた。これらの方面で是々非々といふのは、謂はば即かず離れず、敵でもなく味方でもない、是は是、非は非なりといひながら何かうまい汁にありつかうといふ手で、要するに洞ヶ嶽をジヤスチフアイせんがための口實に過ぎないやうである。近頃では、これが政策本位といふのに衣裳を換へて、政友本黨の床次竹二郎氏あたりが一手專賣を引受けてゐる。そこで自然、是々非々といへば研究會や床次竹二郎と響いて、先づ洞ヶ嶽や白紙主義を聯想させる始末となつた。

が、私の是々非々は色のついた是々非々である。敵も味方もない、といふと、こいつも洞ヶ嶽のやうな話になつてしまふが、要するに是が非だらうと、自分の氣に食はぬものは片ッ端からやッつけるといふのだ。だから是々非々といふよりも、寧ろ是非々々とでもいつた方があたるかも知れないが、要するに勝手氣儘の極めて主觀的な是々非々である。下らないもの、自分が見て以つて下らないとしたものは、世間がそれを下るものとしてゐればゐるほど、それだけますますうんとやッつけるし、自分が下ると思つたものは、世間で下らないとしてゐるのに逆比例して、大いに推奬することがあるかも知れない。推奬が少なくて、コキおろしが多くなるのは、世が澆季であつて見れば致し方がない。この場合には、非非々々であらうか。ヒ、ヒ、ヒ!

が、私も相當苦勞人のつもりだから、人を見るに單純ではない。私の哲學(!)からいへば、どんな人間だつて長所もあり、短所も有つてゐる。長所は賞めるが、短所はコキおろす。短所をコキおろしたからといつて、長所までコキおろすわけでない。隨つて、一度コキおろした人間を二度目には持ち上げることがあるかも知れぬ。長所が見當らなければ、コキおろし放しにもする。この評價に於いて、知己だらうが、朋友だらうが、乃至はまた取引先だらうが、さういふことは一向手加減しないつもりだ。それを手加減しては私の商賣が成り立たぬ――とはいつても、多少の手加減は避けられまいが、さういふ場合には、少なくとも茲は手加減だといふことを彷彿させるやうに、まづく細工して置くつもりだ。

ところで、前號卷頭の武者君の『思つたまま』であるが、あの中で『秋田雨雀と國辱』といふのが、吹き出したくなる位ゐ面白かつた。秋田君は私も知つてゐるが、全く見るからに『可愛いい』といふ以外の感じを起させない男である。秋田君の次に、青野君をつかまへて『あいつ』といつてゐるのも、これがまた理屈なしに武者式のユーモーアであつた。

しかし、この武者君が選擧と暴力の關係に言及して、暴力の上に立つた政府は選擧に勝つが、暴力の上に立たない政府は選擧に負ける――なんどと言ひ出したところは、これはまた迚も助からない呂律だと思つた。武者君に伺ひを立てるが、暴力の上に立たない政府といふものが何處にあるか。暴力の上に組織的といふ形容詞をつけたものは暴力でないと、若し武者君が言ふならば、何等かの程度に於いて組織的暴力の上に立たない政府の例を、武者君は世界史の中から拾ひ上げる義務がある。

それはさうと、近頃の全集ばやりに刺戟されて『出版資本主義』を喋々する聲が聽こえ出した。中央公論四月號に出てゐる新居格君の文章などはその優なるもので、私は新居君の議論に反對すべき筋を少しも見出さなかつたが、この現象について私は他の形でも多少の感想を有つてゐる。

謂はゆる高級文藝物にしろ、思想物にしろ、從來その購買部面は可なり狹い範圍に局限されてゐるものと思はれてゐた。何十萬といふ廣い購讀範圍を有つものは、低級な赤本、講談本の類に限られるものとされてゐた。しかるに、この傾向は、謂はゆる民衆文化の普及に伴つて漸く趣を一變して來た。この頃では、靴屋の小僧でも、ジアン・ベルジアンや菊池寛ぐらゐは口走らないと肩身が狹い。假令概念だけにもせよ、マルクスとか、左翼とか逸出(1)とか、搾取とか、果てはスローガンとかテーゼとか、等とか、等とかを口にし得ないと、勞働者や使用人の間でも置いてけぼりを食ひさうな有樣になつて來た。

この傾向は、少なくとも文藝物や思想物に對する興味範圍隨つてまた需要範圍の著しく擴大されたことを示してゐる。ただ問題は、その需要が果して有效需要たり得るかどうかの一點であつた。從來の價格水準では迚も駄目だが、假りに思ひ切つて價格を引下げたとしたら、どうか。如何に價格を引下げても、思想物や高級文藝物の需要範圍は高が知れてゐるといふのが、從來一般出版業者の見解であつた。

この見解を突破して、廉價多賣の大いなる骸子を冒險したのが、改造社の山本實彦君である。そして山本君の冒險は、見事に功を奏した。それッ! といふので、猫も杓子も山本君の尻尾に隨從した。そして猫も杓子も、相當の成績を擧げることが出來た。この意味に於いて、山本君は大正昭和過渡期に於ける我が出版界革命の音頭とりであつたといひ得るであらう。前に菊池寛があつて、講座竝び雜文雜誌流行の俑を開いたのと相竝んで特筆に價する。

山本君の超凡なところは、日本に於ける最高級評論雜誌といはれてゐる改造をも、この革命の渦中に投げ込んだことである。從來、改造流の謂はゆる高級雜誌は如何に定價を引下げたところで、六七萬を突破し得るものでないとされてゐたが、山本君は僅々三ヶ月足らずでこれを二十萬に漕ぎ上げた。機は熟してゐたのであるが、盲者は見ることが出來ず、怯者は乘ずることが出來ず無能者は如何ともすることが出來なかつた。それを敢てし得た山本君は、或は營業行き詰まりの結果苦しまぎれにやつた仕事かも知れないが、兎に角この方面だけでは一代の快男兒といふ尊稱を奉られるに價した人物であらう。

しかし改造にしても、この先き五十萬百萬とのして行くには、どのみち内容上に、もつと丸味と通俗味を加へる工風をせねばならぬ。それを、どの程度に、どういふ形に工風して行くかが見ものである。

と、同時に、從來通俗低級一點張りで押し通してきたキングや現代の類も、この儘では行々改造に押される虞れがないでもないから、こちらは寧ろ幾分か改造張りに硬化――といふ程でないにしても、少なくとも改造級の筆者をポツポツ加へて行くといふ程度の傾向になりはしないか。軟化する改造と、硬化するキングと、その間の何處にか民衆を最も多く吸引し得る重心點があるに違ひない。但し、この重心點そのものも、文化の流行につれて絶えず動搖するであらうし、且つ如何なる場合にも、廉價盛り澤山といふことが、この重心點を決定すべき第一原因たることは言ふ迄もない。

大量出版の流行につれて、原稿成金といふものが簇出したさうだ。それと同時に、新潮社あたりではホンの包金でお茶を混してゐるといふ噂も、頻々と聽こえて來る。眞僞の程は保證し兼ねるが、新潮社に限らず、買ひ切りの原稿に改めて謝禮をする義務もなし、飜譯者にことを缺かぬ當節であるから、包金で厭ならよして呉れても差支ないといふ腹は一應尤もである。さういふことは、少なくとも法律上には全く無難の理屈である。出版屋が損した場合、筆者側から印税なり原稿料なりを返料することのない限り、これはもう出られても仕方のないことだ。しかし、ウンと儲けたときには、理外の理で他人を潤すといふことも、格式の高い出版社であればある程、それが結局店の大を裏づける所以ともなるであらう。

若しまた、どこまでも『法律上』一天張りで行くといふなら、假りに私が或る出版屋から出してゐる印税本を突然何等かの口實で絶版にするとか、無契約を楯にとつて他店へ持つて行くとしても、これは法律上一向差支ないことだが、さういふ場合には必らず、被害者たる出版屋の方では『徳義上』の攻撃を持ち出すであらう。だが、苟くも『徳義上』を口にするからには、紙屑代のやうな料金で買ひとつた原稿を本にして、數萬數十萬の巨利を占めた場合、著者には鼻も引つかけないといふやうなことがあつたとすれば、さういふ行き方は決して『徳義上』賞めたことだとは言はれぬであらう。

曩に床次竹二郎の名が出たから、また出すが、政本提携から憲本聯盟に乘りかへた彼れの態度を、政友會がひどく恨みにしてゐるのは、尤もな心理である。女郎にも劣る心根だと、政友會では言つてゐる。議會で床次氏が目の前を通ると『お竹女郎』を浴びせかける。床次氏だつて、苟くも一黨の首領であつて見れば、何は兎もあれ自分の手に早く政權を掌握したいと考へることに無理があるとは思へないが、餘りガツガツした態度は見る人に快感を與へない。

しかし、彼れがどうしても、政友會と一緒になつて田中大將の下につくことを肯じない心理には、同情すべきものがあると思ふ。彼れはもともと生粹の政友會育ちで、それが一旦の内訌から、政友會を飛び出して本黨を造りその總裁に祭り上げられた。政友會を飛び出すについては、中橋、鳩山、元田、川原等が發頭人であつて、彼れは寧ろこれらの人々に引き摺られた形であつた。しかるに、發頭人なる中橋、鳩山等は、その後本黨の景氣が面白くないとあつて政友會に出戻つた。今日、床次氏の『女郎的』態度を喋々する人々のうちでは、政友會内部でも中橋、鳩山等出戻り組が一番あくどいやうであるが、若し『女郎的』を云々する段になれば、これらの連中の方が遙かに下司張つたスベタ女郎だといひ得るではないか。

自分の主動で、政友會をおん出て本黨を拵へたが、それが面白く行かないとあつて、こんどはおめおめと政友會に降參する。さういふ態度の何處を叩けば、多少でも女郎らしくない男の意氣地があるといふのだ。一旦喧嘩したからには、大義名分もへちまもない。相手を叩きのめすか、己れが叩きのめされるか、その清算がつかぬ限りは斷じて撚りを戻さぬといふところに、幾分か人間らしい面目があるといふものだ。彼等に比べると、瘠せても枯れても、憲政會と野合しても、田中大將の政友會には降參しないといふ床次氏の態度の方が、九州人には珍らしい意地を示してゐるではないか。

かう言つたからとて、何も私は床次氏から一文だつて惠まれた覺えはないのみか、元來ああいふタイプの人間は嫌ひである。小心翼々の芋蟲、世帶くづしの西郷隆盛といつた風格だ。功利主義だけが神經的で、全身水ぶくれにフヤケテゐる。かういふタチの人間が、私の小人的惡趣味に叶ふわけはない。しかし、かういふ厭な人間でも、場合に依つては娼婦らしくない一面を示すことがあり得る。さういふところが、なかなか人生は複雜だと思つたから、ちよつと彼れのために義軍を起して見た。ただ、それだけの話である。

有馬頼寧君が政界を引退する。それについて『新人有馬頼寧君引退せんと、今の政海は純眞な君をいれるに餘りに混濁してゐる』と書いた新聞がある。有馬君が引退するのは純眞すぎたためでなく、父君が死なれたからだ。それは解つてゐるが、新人と純眞と、舊人と混濁との間に、一體何の因果關係があるといふのだ。

有馬君は新人だといふが、我々の印象に殘る頼寧君の足跡は、日比谷で草とりをしたことと、無産屋ブローカーに幾らかの錢をせしめられたといふ噂と、大枚何萬圓を投じて藝者を見受けしたとかいふ新聞記事と、これだけの條目以上に出でない。この程度の純眞さなら、混濁した舊人中にだつて、なかなかひけをとらぬシロ物もあるだらうぢやないか。新人もいいが、新人だから純眞だといふやうなヘンな理屈は聽きたくない。


底本:『大調和』昭和二年五月號
『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂,昭和5年)に再録。

注記:

※明らかな誤植は単行本を参考の上訂正した。
(1)逸出:ママ。『英雄崇拝と看板心理』は「進出」に作る。

改訂履歴:

公開:2008/03/04
最終更新日:2010/09/12

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