是々非々(社會雜感)

高畠素之

若槻内閣の言明では、二億の補償で臺銀の破綻が救はれる筈であつたが、緊急勅令が樞密院の怒りに觸れて、臺銀よりも一足先きに若槻内閣が破綻した。それで政權が田中大將の手にころげ込んだ。と、同時に、銀行パニツクが襲來した。このパニツクを救ふために、モラトリウムの緊急勅令を出して、こんどは五億の日銀損失補償を臨時議會に提出する。お蔭で、二億が五億に増額されただけだと思つてはいけない。五億の負擔は、これを七千萬國民の頭わけにすると七圓強である。つまり、こんどの銀行パニツクを救濟するために、七千萬同胞は、生れ立ての赤ン坊から棺桶に兩足を入れかけてゐる梅干婆さんに至るまで、平均七圓強の膏血を負擔させられる勘定である。

これが若槻内閣の言明通りに行つたとすれば、三圓弱で埒があいた勘定であるが、今朝の新聞で見ると、臺銀の方は別口に矢張り二億の補償をするのだといふから、國民は何のことはない、樞密院のお蔭で合計五億一人當り七圓強の追加負擔を課せられることになつたわけである。

さういふと、若槻内閣がひどく善いものになつてしまふが、若槻内閣の言明通り果して二億の臺銀補償だけで萬事が解決されたかといふに、これも疑はしい。その證據には、さきの震手案時代には臺銀の救濟も、それに含めてあつた筈である。震手案を通過すれば、財界の混亂が豫防される筈であつた。隨つて、臺銀に疵があつたとしても、それに伴ふ財界一切の混亂は、震手案の通貨で十分に豫防された筈である。しかるに、震手案は通過したが、その直ぐ後からまた別々に臺銀が持出されて、新規に二億萬圓の追加補償案となつた。

この筆法でゆくと、假りに臺銀救濟の緊急勅令が無事に成立したとしても、その後からまた新規に何等かの名義で追加補償を持出さねば納まりがつかぬやうな破目に陷つたのではないかとも考へられる。かう考へて來ると要するに病源は深いのであつて、結局要るだけの金は要る。政友本黨の脱黨者ぢやないが、結局出るところまで出てしまはないと納まりがつかぬ。尤も、政友本黨の場合だと、床次總裁に政權が廻はれば、さういふドン詰まで行かぬ中に納まりがついたであらうし、寧ろあべこべに政友會から抜き取ることにも成功したであらうが、銀行の方はさうは行かぬ。こんど田中内閣の立てた總計七億の新規計畫で萬事納まりがつくことになるとすれば、それは要るだけの金を出したからつくのであつて、別に誰れの手柄といふでもない。

要するに穴は一つで、穴の大さも一つであるから、埋め方に大した巧拙はない。この點、政友會たると憲政會たるとの區別は平等に歸する。結局、源氏も平家も同じことをやつているのではないか。若しさうでないと言ふなら、政友會よ、『一臺銀のために國民の膏血二億萬圓』云々を楯にとつて、若槻内閣を攻撃したのは何時のことであつたか、好々爺高橋是清と雖も、この膏血を救ふために臺銀を見殺にはなし得ない破目にあるといふなら、それが若槻禮次郎の游泳的如才なさとどう區別されるであらう。

破綻した左右田銀行の頭取左右田喜一郎氏が、自銀行の整理に全力を注ぐため貴族院議員その他一切の公職を抛つたといふことは、善い心掛である。二兎を逐ふものは一兎をも得ず、何事にまれ、一人一事で全力を傾倒するやうでないと成功は覺束ない。まして、破綻銀行整理の如き、難中の難事にあつては尚更らである。而もこれは、單なる左右田喜一郎一個のための仕事でない。幾萬預金者の死活に懸る問題だ。

左右田銀行には殊に小口預金が多いと聞く。褌一本でも財産であるから、世の中に無産者はないといふ、蜷川博士流の三百的論法を以つてすれば、小口預金者も立派な有産者だといふことになるが、さういふ屁理窟を抜きにして考へれば、小口預金者の多くは貧乏人であり、無産者である。國家あつての國民か、國民あつての國家か知らぬが、少なくとも現在の社會状態では、國民が一旦の不幸に襲はれても、國家はそれに鼻汁もひつかけては呉れぬ。人間には不慮の災難といふものがある。病氣に罹る。怪我をする。火災に襲はれる。子供や老人が居れば尚更らであるが、さういふ災難の都度、人樣に御迷惑かけまいとすれば金が要る。そのためにもと思つて、食ふ物も食はずに零細の汗水を貯蓄するといふ心事は同情すべきである。

さういふ金が小口預金となつて、左右田銀行のやうな處に集まる。それを銀行の勝手で、フイにされては堪つたものでない。一層のこと、一思ひに殺してやつた方がまだマシの位ゐである。預金者の中に發狂する者もあつたといふが、それをひと事とは思へぬ。

破綻銀行の整理といふことには、かういふ陰慘な背景が浮び上つてゐるのだ。片手間氣分で臨むべきでない。左右田喜一郎氏が公職を抛つての全力的沒頭は善い心掛であるが、それが當然だともいへる。左右田氏は社會政策の主張者であるから、尚更らこの際心を痛められたことであらう。善き整理を擧げて、持論の箔を落さぬ工風が肝要である。

こんどの政變で、いよいよ憲政常道が確立したさうである。憲政常道とは議會の多數黨に政權の歸することを以つて立憲國の常道たらしむべしといふ意味ださうで、これを裏からいふと政黨政治の確立である。この主張はもと、政權から永い間締出を食つてゐた今の憲政會あたりが、閥族との苟合に依つて政權のたらひ廻しを行つてゐた政府黨に當るため發明した萬年野黨の悲鳴的お臺目であつて、もともと大いした意味のあつたものでなく、例の官憲横暴症的慢性呶號の一種に過ぎなかつたものであるが、それが戲談から駒が出て、どうやら本物になりかけて來たところに、時勢の推移と出鱈目の現實性とを見る。

出鱈目も久しく聲を高くすれば本物になる。政黨屋の普選談議もそれであつた。かうなると、主義者連の擬國會もどきな組閣ごつこなども、まんざら馬鹿にはならぬ。かうして戲談から駒が、浮世の常になるのだとすると、筆者のやうに駒から戲談の方を本職にしてゐる渡世は、全く以つて上つたりの運命である。

尤も、戲談から出た駒は、どこまで行つても本性をたがへぬ趣も見える。こんどの政變にしてからが、樞密院に依る毒殺で憲政常道の門戸が開かれて政黨政治が確立されたといふのだから、これは放火をして蒸氣ポンプの完成を喜ぶやうな話である。第一、政黨政治の確立とか勝利とかいふけれども、果して政黨政治が勝つたのか、負けたのかは解りはしない。藩閥に拮抗して作られたと稱する自由黨が、藩閥の俊秀伊藤博文を迎へて黨首に仰いだところから、今の政友會なるものが始まつてゐる。伊藤が政黨に降參したのではなく、政黨を藩閥の走狗又は親類筋たらしめんがためであつた。

今の憲政會も同樣に、改進黨の臺目に軍閥の巨頭桂太郎を迎へてでつち上げたものである。桂は古い軍閥の巣から政黨に天降つて來た。これも、表面は閥族が政黨に降參した形になつてゐるが、事實は政黨が閥族に隷從したのである。

ただ、政友會にしろ、憲政會にしろ、これだけの政黨を己れの手足にしやうと考へる程の人物は、閥族社會でも餘ほど圖抜けた逸材であつたに違ひない。そこでかういふ逸材が政黨に天降つたといふことになると、自然、これが閥族社會の脅威にもなつて、閥族の精英は虱つぶしに政黨へ吸収される運命となつた。その結果、閥族には屑ばかり殘つて、政界の人材はみな政黨に集つてしまふ。閥族は凋落した。しかし、それは政黨が閥族を征服したのでなく、閥族の實質が政黨へ鞍替したのである。場所と名前は變つたが、實體は依然たる閥族の素質である。

その證據には、政友會にしろ、憲政會にしろ、未だ曾て純粹の黨人を黨首に戴いたことがない。政友會の伊藤、西園寺、原、高橋、田中といひ、憲政會の桂、加藤、若槻といひ、一として純粹の黨人と目すべきものはなく、閥族出身か、少なくとも官僚上りでなくては、事實上黨首になれぬことになつてゐる。黨首などは、どうでも善いといふわけには行かぬ。政黨の黨首は、名譽職や装飾品ではない。黨員の糞小便の始末から、盆暮れの面倒まで見てやらねばならぬ。それだけに黨首は事實上の獨裁君主であつて、その一顰一笑(1)が黨の全人格に反映する。さういふ重大な黨首のガン首が、嘗て純粹の黨人に依つて占められたことのないといふ普遍妥當的事實の間から、いつのまにか普選は制定され、憲政の常道が確立されて、黨人と新聞紙は政黨政治の完成に祝勝的歡呼を濫費する有樣となつた。

我々は、かういふ事實に憤慨する程の茶氣と素樸(2)さを持ち合せない。これが人生の面白味であるとも思ふ。だから、さきには戲談から駒が出たといつたが、かう考へて來ると、やつぱり駒も戲談にしてしまひたいやうな氣持になる。要するに、人間萬事、駒が現か、現が夢かで所詮は駒と戲談のかね合ひを浮世の眞の姿と見るほかはないであらう。

これと同工異曲は、無産政黨といふものにも見られる。無産政黨はプロレタリアの階級的政黨ださうで、プロレタリアは勞働者であるといふ。そんなら、無産政黨は勞働者の政黨だといふことになるが、その勞働者の政黨が揃も揃つて謂はゆる小ブルヂヨアの知識人を黨首に戴いてゐる。

それは便宜上から出たことであらうが、實をいふとその便宜上が問題なので、政黨政治が確立されても純粹の黨人を黨首に戴き得ぬ必然と同じ意味の便宜上であらう。勞働者の解放は勞働者自身の仕事でなければならぬと、ドイツの非勞働者カール・マルクスが絶叫して以來世界の階級的に目醒めたと稱する勞働者は擧つてこれに響應した。そして政治部局には勞働黨とか社會黨とかいふものさへ出來上つたが、その黨首も幹部も、大抵は教授とか、辯護士とか、文筆業者とか、約していへば小ブルヂヨア知識人に依つて占められてゐる。

それは便宜上からだといふ。便宜上、勞働者が知識人を利用し、便宜上、知識人が勞働者に奉仕するのだといふ。さう聞いて、成る程と得心して引下がれる人間もあるやうだが、引下がれないで今更ら人生の寂寥が身に沁むやうな人間にとつては、この便宜上がどこまでも眉唾的興味の中心であつて、萬事はこの一點に懸るとも考へられる。


底本:『大調和』昭和二年六月號
『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂,昭和5年)に再録。

注記:

※『英雄崇拝と看板心理』は『大調和』七月號の「是々非々」と逆順で収録している。
※単行本を参照の上適宜行末の句読点を補った。

(1)一顰一笑:底本は「[戚/卑]」に作る。
(2)素樸:底本は「素撲」に作る。以下、同じ。

改訂履歴:

公開:2008/03/04
最終更新日:2010/09/12

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