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人物論

高畠素之の回想記を中心に挙げるが、もちろん全てではない。資本論関係は便宜上回想記とは別個に記した。敗戦後に発表されたものは原則として省略した。その他、社会主義陣営からの国家社会主義批判は一切省略した。

(A)生前

  1. 伊井敬(近藤栄蔵)「高畠素之」(『解放』第3巻第5号、大正10年5月)
  2. 中山啓「上杉氏と高畠氏が提携するまで」(『改造』第5巻第3号、大正12年3月)
  3. 岡陽之助(岩沢巌)「高畠素之論」(第2次『解放』第5巻第2号、大正15年2月)
  4. 平林初之輔「改訳「資本論」其他」(第2次『改造』第5巻第2号、大正15年2月)
  5. 諸氏「高畠素之氏の印象」(第2次『随筆』第2巻第2号、昭和2年2月)
  6. 大木雄三「高畠素之氏とその一党」(『サンデー毎日』昭和2年12月25号)
  7. 木蘇穀「高畠素之と現代」(上下)(『読売新聞』昭和3年2月3日、4日)
  8. 諸氏「高畠素之論―近業「論・想・談」を読みて―」(『春秋』第2巻第2号、昭和3年2月)
  9. 霞丘郎「高畠素之論」(『春秋』第2巻第4号、昭和3年4月)
  10. XYZ「高畠素之論」(『経済往来』第3巻第10号、昭和3年10月)
  11. 匿名「高畠素之」(『文芸春秋』第6巻第12号、昭和3年12月)

(1)山川均や大杉栄とともに当時著名な社会主義者を論評したもの。他の二氏が好意的に論評されているのに対して、高畠素之のみ叩かれている。(3)(4)主義者や高畠門下以外からの当時の論評。当時のものとしては珍しい。(5)上杉慎吉その他による短評。(6)大木雄三は高畠門下の一人。概して一般的な高畠門下の紹介。(7)木蘇穀は『万朝報』の記者。当時は高畠素之の関係者だった。(8)『論・想・談』発売を記念したもので、概ね短評。(9)日本大学教授の肩書きがあるが、詳細不詳。漢文チックな文体で書かれてある。(10)同誌に連載されていた人物評論の第19号。匿名。売文社時代にやや詳しい。必読というほどではないが、読んで損はない。(11)「昭和人物月旦」の一つ。「反逆」の対象を失って元気がないと高畠素之を批判しているが、この雑誌が出た暫く後に高畠は死んだ。

(B)死後

  1. 北昤吉「高畠君に就いて」(『読売新聞』昭和3年12月30日)
  2. 大木雄三「高畠素之素描」(『祖国』、学苑社、第2巻第1号、昭和4年1月)
  3. 津久井竜雄「涙の追憶」(『祖国』、学苑社、第2巻第1号、昭和4年1月)
  4. 堺利彦「高畠素之」(『社会主義運史話』所収)
  5. 同上「高畠素之君を懐ふ」(『経済往来』第4巻第2号、昭和4年2月)
  6. 宮嶋資夫「高畠素之君を憶ふ」(『やまと新聞』、昭和4年1月3日、4日)
  7. 辻潤「高畠君と僕と」(『やまと新聞』、昭和4年1月12日)
  8. 白柳秀湖「哲学者の槍さび―逝ける高畠氏のことども―」(『改造』第11巻第2号、昭和4年2月)
  9. 矢部周「高畠素之を語る」(『平凡』第2巻第3号、昭和4年3月)
  10. 山口亀之助「会社員としての高畠素之氏」(『騒人』第5巻、昭和5年1月)
  11. 茂木実臣編『高畠素之先生の思想と人物―急進愛国主義の理論的根拠―』(大衆社、昭和5年9月)
  12. 諸氏「高畠素之追悼記念号」(『急進』第2巻第11号、昭和5年12月)
  13. 新居格「逝ける高畠素之君」(『風に流れる』、新時代社、昭和5年)
  14. 小泉信三「わが愛読書(一)」(『師・友・書籍‐私の評論集』、岩波書店, 昭和8年)
  15. 津久井竜雄『世界再建と東洋の理想』(山雅房、昭和14年)
  16. 同『日本国家主義運動史論』(中央公論社、昭和17年)

(1)案外、高畠とその周辺について鋭い指摘がある。戦前の新聞でもあり、あまり目にし得ないのが残念である。(2)後の『高畠素之先生の思想と人物』所収のものと同じ。(3)後の『高畠素之先生の思想と人物』所収のものとほぼ同じだが、こちらの方が情緒に溢れている。(4)改題「あの濃い太いまゆ―高畠素之君の追憶 ―」(『やまと新聞』昭和4年1月3日)単行本所収のものには増補がある。(5)以上2つの堺の回想記は、高畠素之を知る上で必ず読んでおく必要のあるものである。国家社会主義提唱以前の高畠については、ほぼこれによって明らかになる。(6)友人宮嶋氏の回想記で、高畠に身近な人物によるものだけに、さすがに鋭い指摘が見られる。宮嶋には他にも高畠が国家社会主義運動を起こしたときの回想が、『第四階級の文学』(著作集所収)にある。(8)これも高畠に近い人物による回想記。(9)高畠門下の回想記として貴重。簡単に読めないのが残念である。(10)高畠が売文社員時代、外で働いていたときの回想記。堺の回想に出て来る、ストライキの話しはここに書かれてある。(11)高崎での講演の外、高畠幼年から最後まで、関係者の回想を収める。(12)津久井竜雄を中心とする大衆社で編纂したもの。山川均の短評などもあるが、概して既出の評論をまとめたもの。(13)初出不詳。(14)わずかであるが高畠素之のエッセイについて言及されている。(15)(16)津久井による回想記。

(C)資本論

  1. 生田長江「蟷螂の斧―マルクス訳者としての私の名誉を賠賞して頂く為めに―(一~三)」(『読売新聞』大正9年1月22~24日)
  2. 小泉信三「福田徳三校註・高畠素之翻訳資本論第一巻(一)」(『小泉信三全集』第3巻、昭和43年)
  3. 小泉信三「改稿『資本論』」(『小泉信三全集』第4巻、昭和43年)
  4. 堺利彦「新訳資本論の一節を読む」(『マルクス主義』第4巻第3号、大正15年3月)
  5. 青野季吉「二つの『資本論』―高畠氏訳本と河上・宮川氏訳本について―」(『東京朝日新聞』(朝刊)昭和2年10月27日)
  6. 三木清「『資本論』に於ける邦訳二著の対立」(『東京日日新聞』昭和2年11月7日)
  7. 同「翻訳批判の基準―高畠本『資本論』は如何に弁護されたか―」(『東京日日新聞』同年同月21日)
  8. 石川準十郎「高畠本の忠実性─両『資本論』の批判─」(『東京日日新聞』昭和2年11月12日)
  9. 福田徳三「アリストテーレスの「流通の正義」=マルクスの其解釈に関する疑」(『改造』第10巻第1号、昭和3年1月)
  10. 同上「河上博士の『真摯なる態度』と『事実の虚構』」(『改造』第10巻第2号、昭和3年2月)
  11. 河上肇「反動学派の陣営における窮余の一戦術としての虚構―拙訳資本論に対する福田博士の非難について―」(『社会問題研究』第84冊、昭和2 年12月)

(2)大鐙閣 ‐而立社版の論評。(3)新潮社版の論評。改造社版の冒頭にある高畠の指摘は、これを指す。(4)新潮社版の論評。当時の堺と高畠との関係も分る。(5) 改造社版と河上訳本(岩波)との比較。高畠本に軍配を挙げ、岩波の関係者であった三木の怒りを買った。(6)岩波の相談役だった三木が、岩波本の販売不振を挽回するために執筆したもの。高畠本を慇懃無礼にこき下ろしている。(7)下の石川論評に対して、高畠の翻訳を再批判したもの。上の論評と矛盾が多い。(8)石川は高畠門下の一人で、高畠の『資本論』翻訳を手伝っていた。上の三木の第1書評に対し、石川が反論したもの。(9)三木の高畠訳本批判に批判を加えたもの。三木をソフィストとして罵倒している。(10)下の河上の批判を受けて展開したもので、河上の矛盾を指摘した長大論文。(11)福田の最初の批判に対して、河上自らが批判したもの。形式的にも実質的にも、上の福田論文よりも先に出版された。

その他、安部磯雄、上杉慎吉、吉野作造諸氏の書評がある。以下は準備中。

(D)敗戦後

  1. 石川準十郎「日本国家主義の時代的思想的変遷」(『早稲田政治経済学雑誌』125号、1954年)
  2. 津久井竜雄『私の昭和史』(創元社、昭和33年)
  3. 諸氏「高畠素之の思想と人間」(『新勢力』第12巻第4号、昭和42年5月)
  4. 田中真人『高畠素之‐日本の国家社会主義』(現代評論社、昭和53年)

(1)わずかだが高畠素之について触れている。(2)第1章が高畠素之の回想。(3)津久井竜雄や石川準十郎、北原竜雄、茂木久平などの高畠を知る人物の回想・論評と、学者による研究をまとめたもの。(4)現代の学者による評伝。

著書・翻訳・雑誌

  1. 生前に出版された著書・翻訳書については、「著書一覧」を参照。
  2. それらの序文目次は、「著書序文及び目次」「編纂物・翻訳書序文及び目次」を参照。
  3. 関係雑誌や新聞は、「関係雑誌・新聞一覧」に目録を挙げた。(筆者確認の部分のみ)
  4. 筆者確認の論文は、「著作目録(仮)」にある。これはwordの圧縮ファイル。もちろん完全なものではない。
  5. 著書収録論文の初出は、「単行書初出一覧」にある。ただし全ての著書ではなく、また筆者未確認のものも多い。

高畠素之の論文・エッセイを読もうとした場合、国家社会主義を提唱して以来、大正15(昭和元)年までのものは、多く単行書に収録されている。そしてこの単行本所収の文章が、最も高畠素之らしい文章とされているため、まずは既刊の単行本を読む必要がある。その単行本も諸種あるが、主要なものは少なく、マルクス経済学方面のものは『マルクス学解説』(翻訳であるが『資本論解説』)、エッセイや社会評論は『自己を語る』と『論・想・談』がその代表である。随って、高畠について論評する場合は、まずこの三書を読んでおく必要がある。

高畠初年のもの、つまり雑誌『新社会』に投稿していたころの論文は、まとめて存在せず、わずかにその最晩年のものが『マルクス学研究』に収められているに過ぎない。随って、国家社会主義提唱以前の高畠の文章を読む場合は、一々その所収雑誌を探す必要がある。特に高畠が山川らと分裂する表面上の原因となった「政治運動と経済運動」も、一々『新社会』にあたる必要がある。この時期の著述は、社会主義関係のものがほとんどだが、多くは田中真人氏の『高畠素之』に言及されている。ちなみに高畠による国家社会主義の宣言文、「労働者に国家あらしめよ=国家社会主義の理論的根拠=」は単行本未収録である。

昭和2年以後の、高畠最晩年の著述の中、著名なものは『英雄崇拝と看板心理』に収められている。これは門下の小栗慶太郎氏らがまとめたものである。本書には高畠最晩年の重要な論文が収められているとはいえ、本書に洩れたものはもとより多く、それらは掲載雑誌から直接読む必要がある。本サイトに収めた論文の多くは、この時期のものである。高畠最晩年の文章は、従来の主張を具体的に論述する所に特徴があり、基本的には単行本所収のものと変わりはない。ただし人間や社会観察に深みがましたとの指摘もあるので、無視できないものもある。なお死亡の年に郷里高崎で行った講演「急進愛国運動の理論的根拠」(「急進愛国主義の理論的根拠」ともいう)は、年来の国家社会主義理論を平明に説いたものとして、高畠国家社会主義の理解には必ず目を通す必要がある。

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