はしがき

高畠素之


相州茅ケ崎の空氣は肺病患者に宜しいさうであるが、健康體の人が東京のマン中から突然茅ケ崎の海岸に放り出されても左程に空氣の宜しさを感じない。然るに之れが肺の惡い人になると、急によみがへつたやうに胸のスガスガしさを感じるさうである。病理學の研究資料としては、健康體の人よりも病人の方が有用である。社會病人の心理は世態の眞相をより鋭敏により如實に感受する。

私は本書において暫らく社會上の病人に自己を扮裝して見た。私は病人である。健全なる反動主義者や急進論者の目には、尋常ならぬ病人として映ずべきシロ物である。隨つて彼等から見れば、私の言ふことは正氣の沙汰でないかも知れぬ。病的とも言へやう。ツムヂ曲りとも言へやう。ヘンにこぢれた頭とも言へやう。然し私の言辭を單にさう言つて葬むり去らうとするのは、私の一言一句に依つて自己内心の現實が曝露されることを恐れるのではないか。お世辭とオベンチヤラの竝べ合ひを常習とする健康體の社會主義者や反動論者の言ふ事は、社會病理の研究に貢獻するところ至つて微々たるものであるとすれば、私のやうな病人の言ふ事は此方面に少なからず裨益する所ないとは斷言できぬ。いづれにしても、板のやうな眞人間ばかりのさばつてゐる廣い日本に、一人ぐらゐ私のやうな奴がゐても惡くはなからう。(著者)


次へ

inserted by FC2 system