暴利

高畠素之


米屋、酒屋、炭屋、牛乳屋なんどが暴利を貪るとあつて、農商務省と警視廳がトツチメにかゝつてゐる。警告して聽かなかつたら、容赦なく罰するぞと威しつけてから、もうお月見は二度すませたが、一向罰しさうな氣配さへ見せない。

旅役者が雲助に強請られた恰好よろしく、拔く抜くとミエを切つても、相手は海千山千の代物だ。そんなことでビクつく道理はない。多々益々暴利屋の名目を發揮するのみだ。それが證據に當路者が暴利取締を宣言したお蔭で、一錢だつて安い酒が飲めたと思つた例はない。

當時の頑鐵農相仲小路廉が、傳家の寶刀を提げ、殆ど狂人扱ひにされ乍らも奸商狩をやつた腕は認められた。伊勢の岡半、四谷の増貫と、目星しいところが牛耳られてから、買溜賣惜みのギリ屋も、たうとう吐き出すものは吐き出してしまつたらしい。

ところがけふ日、お上の睨みの利かない事は夥しいもので、人切庖丁を見せびらかし、量目桝目の檢査をした後から後から、世の所謂不正商人が横行してゐる。狼の譬も三度とやら、拔くぞ拔くぞと威かされても、つひぞ拔身の怖さに出喰はさなかつた奸商が、お上を嘗めてかゝるに不思議はなからう。

當局が今更ボリ屋を取締る事の、その理論的矛盾は深く問ふ必要もあるまい。二升足らずの米を喰はされ、三圓以上の酒を飲まされる事は、何といつても當面の愛用者たる此方が困るだけだ。安くして貰へるものなら、安くして貰ふに越した事はなく、安くさせるといつたからには、どこまでも安くして貰はなくちや寢覺めが惡い。

尤もさうはいふものゝボリ屋――彼れ小賣商人にいはせれば、ボルにはボルだけの値打ちがあるといふ。毎朝御用聞きに廻った上、高くもない奧樣の鼻を襃めたり、可愛くもない餓鬼をあやしたり、加之、おさんどんを買收するために、水の一杯も汲んでやるといふ。成程、さういはれて見れば、ボラれて膨れ面をする方も、どうやら蟲がよさ過ぎるやうだ。

第一この世智辛い世の中に、貨幣價値に換算されぬお世辭があり得ると思ふ方が遙に身勝手といふものだ。一椀の飯、一杯の茶にも、奧樣と稱する慢性淫賣婦の存在が障碍してゐると思へば、無限の教訓が含まれてゐるではないか。

この間の因果律を、更に春秋の筆法を以て解説すれば、女房の低き鼻、亭主の晩酌を低減するともいヘる。結婚は人生の大事なりとはいへ、女房の鼻が低かつたばかりに、晩酌の量まで減らされやうとは、如何な深慮遠謀の士も氣が付かなかつたらう!

この意味に於て、米騷動も亦幾多の低き鼻の所有者たる、女房等の存在に依つて始めて起されたものである。從つて更に徹底的にいへば、ある女房等の鼻が低かつたばかりに、さしもの寺内内閣も倒壞せざるを得なくなつたのだ!

言や甚だ奇を衒ふが如くであるが、三段論法的に表現すると明白にこの結論に漑繹される。本立ちて道生ずとの孔子の言をして眞ならしめば、小賣商人の暴利を取締る前に、先つボラざるを得ざらしめる『鼻』を取締るべきである。

美人は國を傾けしめ、醜婦は米價を釣り上ぐ。何れにもせよ、女は遂に厄介なシロ物との嘆聲を發せざるを得ぬ。


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