戰術の二側面

高畠素之


紐育ヘラルド紙の報ずる所によると、數ケ月前から密かにチエサビーク灣で實驗されてゐる空中魚雷は陸海の戰術に一大革命を齎らすものであるさうだ。此魚雷を有する航空隊が長驅する限り、沿岸防備といふが如き事は全く無用となり、襲はれた市街は忽ちにして焦士と化して終ふと言ふ。それは空中魚雷の實戰に對しては總て放射線を取扱ふ事になつて居るので、二百哩の遠距離の目標にも、適確に百發百中するからださうである。

此偉大なる新武器の發明に敬服する者は、又同時に此非人道的發明と、人類の平和を高唱し軍備制限を主張する彼等の心事との間に、一體如何なる關係あるかを知るに苦しむであらう。然し乍ら人生は複雜である。表面相反することも、時には同一の理由から發生し得るのである。

吾々は今日の状態の下に、人類協和、軍備撤廢といふが如き理想論を主張する事は、結局無邪氣な空想か、狡滑な政策かに過ぎない事を信ずる者である。米國の軍備制限論に對しても、怜悧なる彼等が、まさかトルストイアンもどきの空想から此主張をするのではなからうと思つてゐた。然し乍ら、彼等が狡猾なる政策から平和論を唱へるのだと言ふ事も、別に明かな證據がない以上、輕々しく斷定する譯には行かなかつた。

然るに今、羨む可き新武器の發明が成就された。そして彼等は甚だ矛盾した行爲を爲して居るやうに見えて來た。然し乍ら吾々はこれによつて、始めて彼等に對する疑惑が一掃された。果して彼等は、無邪氣なる人道主義者ではなかつたのである。彼等にとつて、平和論、非軍備論は、空中魚雷の發明と同一の信念の下に、同一の目的の爲めに編み出されたものであった。非軍備論と空中魚雷とは、米國の軍隊の爲めに同一の任務を果して呉れるものであつたのだ。

吾々は彼等が空中魚雷を發明した能力に感服すると同時に、平和論を案出した發明力には更らに多くの敬意を表さねばならぬ事になつた。即ち此表面甚だしい矛盾であるかに見える新武器と非軍備論とは、同一戰術の二側面であつたのである。吾々は彼等の戰術の巧妙さに驚くと共に、複雜なる社會人生の因果關係にも驚異の眼をみはらずには居れないのである。


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