子寳勳章

高畠素之


帝國小學校長西山哲治氏は、贊成者五百五十五名の連署を得て、愈々本會議に子福者保護に關する請願書を提出する事とした。

この請願書の要旨は、三人以上の子福者に對し、勤勞による所得税を免じ、必要の場合には女中費及び教養費を補助し、且つ子寳勳章を授けて其功勞を表章することとした上、若し斯かる子福者が死亡して遺産の少い樣な場合には、一定の年金を附與して子供の教養費を扶ける樣にして貰ひ度いと言ふのである。

貧乏人の子澤山と言ふ諺の通り、子福者の多くはプロレタリアであるから、斯かる請願が容れられるとすれば、女中費、教養費の補助などに、莫大もない經費を要する事だらう。請願人中には吉田熊次、留岡幸助、宮田修など云ふ名士も多いと言ふ事だが、一寸通りさうもない請願である。

若し萬一斯かる請願が容れられ、實際に行はれるならば、果して如何なる意義を持つものであらうか。プロレタリアにとつて所謂子寳が殖える事は、單にその養育に惱まされると云ふ直接の負擔がある計りではなく、やがては勞働人口の過剩を來し、賃銀の一般的低下を促す事となつて、プロレタリアは更に一層の貧窮と悲慘の淵に導かれると言ふ間接の苦痛をも齎らす事となるのである。

子寳保護の請願が容れられるとしても、幾分緩和され得るのは、この直接の苦痛丈けであつて、より大なる間接の苦痛は緩和されるどころでなく、却つて産兒が獎勵される爲め、一層甚しくなる計りなのである。賃銀が低下し貧困が増加すると言ふ苦痛は、プロレタリアにとり、子寶勳章によつてゴマ化され得る程單純なものではない。

子寳勳章の制定は産兒の奬勵を意味するものであるが、一體これに依つて保護されるのは何人であらう。それは寧ろ、プロレタリアの子福者ではなくて、勞働人口の増加によつて搾取を容易にされるブルヂオアそのものではなからうか。


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