ある可らざる事

高畠素之


米國陸軍の宿老レオナード・ウツド將軍は新たに比律濱群島の總督として赴任する途中、我が陸軍の賓客として五日間を東京に送つた。

米國人の間に比島と我が領土的野心とが關聯して考へられてゐることは、日本が假想敵國を有する限り止むを得ぬ事であるが、この場合、ウツド將軍がその總督に任ぜられた事は、而してまた五日間を東京に送られた事は、甚だ意義ある事のやうに、吾々の如き素人にさへ感じられる。

然しながら將軍は日米間に戰爭が起るなどゝ言ふ事は絶對に有る可き筈がない事を斷言され、日米相互の關係は『曰く親愛、曰く友情、曰く好意、曰く平和』だと其太い指を四度折られたさうである。又我が山梨陸相は歡迎の辭として、極東の平和はたゞ日米兩國の双肩に懸つてゐる事を述べ、相互の親善と好意とを維持増進する爲めには、お互に能く相識る事が必要であると述べられた。

吾々はこれに依つて、日米相互の關係が極めて親善なものである事を、そして兩國が協力して極東平和の爲めに努めねばならぬ事を信ぜしめられる。然しながら支那に於いて日米兩國の經濟政策が事毎に相反してゐる事實を見ると、果して之が極東平和の爲めであるか何うかを、疑はざるを得ないのである。

ある可からざる事のみが起り易い世の中だ。この平和な空氣が破られるやうな奇蹟も、何時現はれないとは限らないのである。日米の親愛と平和が破れる日が來たら、この兩將軍は何んな顏をされる事であらうか。その時のさぞ不快な、さぞ不滿な顏を見てやりたいような氣もする。


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