『唯物史観の改造』附記

凡例

  • 底本には『唯物史観の改造』(新潮社,大正13年)を用いた。
  • 底本の漢字は、jis第二水準以内の漢字は一律に旧字に改めた。
  • 底本に新字体(当時の略字)が用いられている場合も、jis第二水準以内の漢字は一律に旧字に改めた。
  • 仮名遣いは底本に依った。
  • 二字の踊り字は、一々注記せず、一律に文字に置きかえた。但し「ゝ」「ゞ」「々」はそのままとした。
  • 原文に見られる明かな誤植・誤字は、注記せずに直した。但し意味として通じる場合、或いは高畠氏自身の用字と思われるものはそのままとした。
  • 原文に存在する割注(書名と頁数などを記してある)は、いずれも本文と同様の字の大きさで現した。

底本

  • 著 者:高畠素之
  • 發行者:佐藤義亮
  • 發行所:新潮社
  • 印刷所:富士印刷株式会社
  • 定 價:壹圓貳拾錢
  • 大正十三年十二月十一日印刷
  • 大正十三年十二月十五日發行

訳註範囲その他

本書は、トゥガン・バラノヴスキー(Michael Tugan-Baranowsky)の著書『マルクス主義の理論的基礎』(Theoretische Grundlagen des Marxismus。以下、『理論的基礎』)の部分訳である。Michael Tugan-Baranowskyは、日本ではツガン・バラノーフスキー、ツガン・バラノウスキー、ツガン・バラノウスキイ、トゥガン・バラノフスキー、ツガン・バラノヴスキイ、ツガン・バラノヴスキーなどと記されている。トゥガンはウクライナの学者で、現在では恐慌理論の研究者として知られている。『理論的基礎』は、トゥガンの資本主義の販路缺乏・利潤率低減を説明した著書として知られているが、高畠の当時にあっては、資本主義崩壊論をめぐる学説提起として著明であった。

原書は全3篇で構成されており、第1篇は唯物史観の歴史的意味、第2篇は剰余価値、第3篇は資本主義の崩壊を扱っている。本書に於けるトゥガンの主張は、資本主義は理想主義的な意味に於いて革命されるというものである。言葉を換えれば、流血沙汰による革命なくして、資本主義は崩壊し、人類の理想的社会が訪れるというものである。

原書に対する高畠訳本の翻訳範囲は、全書の中、唯物史観に関係ある第1篇と第3篇を抜粋翻訳している。翻訳の形態は自由訳であり、逐次訳ではない。以下、本書の若干の周辺事情を記しておく。

本書が最初に邦訳されたのは、松浦要訳『社会的分配論』(底本は"Soziale Theorie der Verteilung")の附録である。(1)松浦訳は、大正9年に暸文堂(発売所は大野書店)から出版されたのだが、その際、松浦は同書の理解に不可欠であるとの理由から、『マルクス主義の理論的基礎』第2篇(「マルクス価値説及び分配説の研究」と改題)を訳出し、附録として収めたのである。

しかし、トゥガンの学説が注目を浴びるようになったのは、松浦訳の出現によるものではない。トゥガンの学説は、松浦訳の出版される頃には、日本の学界に知られていた。しかしそれが論争にまで至った直接の契機は、大正10年前後に戦わされた福田徳三と河上肇の論争によるものであるとされている。本書に関係する両者の論文を挙げるならば、福田の「資本増殖の理法と資本主義の崩壊」(『改造』第3巻11号、12号,大正10年)に対する、河上の「福田博士の「資本増殖の理法と資本主義の崩壊」に就て」「福田博士の「資本増殖の理法」を評す」(『我等』『社会問題研究』)の反論がそれである。(2)

河上は、福田の根拠をトゥガンの学説であると断定し、あわせてトゥガンの理想主義的な社会主義観を否定したのである。この論争は幾多の学者を巻き込み、また河上の名を挙げる一つの契機となったものでもあるが、この時に問題となったのが資本主義崩壊の理論であり、福田に対しては『理論的基礎』の問題であった。

当時の日本にあって、唯物史観の捉え方は、トゥガンの恐慌論よりも重視され、大正10年以後には、松浦訳とは別に、高木智三郎が「マルクス主義の理論的基礎批判」(『経済研究』第1巻1~5,大正10年)と題して翻訳を開始し、さらにこれとほぼ同時に安倍浩と水谷長三郎も翻訳を始めていた。このような翻訳の乱立は、結果的に、高木が翻訳を断念し、安倍と水谷が各々単行書として出版することになり、各々に遺恨を遺す結果となった。(3)ただし、福田・河上論争で直接問題となったトゥガンの学説、第3篇の資本主義の崩壊については、安倍と水谷ともに訳述することはなかった。安倍は第1篇と第2篇を、水谷は第1篇のみを訳出し、結果的にトゥガンの唯物史観に対する直接的批判(及び剰余価値学説)のみが訳出されたに過ぎなかった。

これら松浦、高木、安倍、水谷の後に出版したのが、高畠訳『理論的基礎』即ち『唯物史観の改造』である。高畠訳と前者との相違を求めるならば、先行の四者いずれもが省略した第3篇「資本主義崩壊説」を訳出したところにある。

高畠がいつ頃にトゥガンの学説を知り、またそれを用いるようになったかは不明である。大正8年に執筆された、本書と同名の論題「唯物史観説の改造」(『解放』第1巻第5号,大正8年10月)には、まだカウツキーとベルンシュタイン、あるいはルイス・ボーディン(Louis Boudin。当時、正統派社会主義者とされていた)の名が見えるに過ぎない。(4)しかし、大正10年の「カール・マルクスの階級観批判」(『改造』第3巻第6号,大正10年6月)には、論文結末の註釈に「マルクスの見解を叙述せる部分はすべてツガンバラノウスキー著『マルクス主義の理論的基礎』に依る」と指摘があり、トゥガンの影響を見て取ることができる。高畠その人は、トゥガンの資本主義に対する理想主義的理解に疑問を抱いていたようであるが、その学説的提起は最晩年まで重視していたようである。(5)高畠の死後、白柳秀湖は回想して次のように指摘している。

彼の頭腦は先天的に哲學的であつた。高畠君がヘーゲリアンであらうともカント流の理想主義者であらうとも、又、新カント學派であらうとも、それは高畠君の勝手であつて、それに異議があれば各自の立場々々から爭へばよいまでのことである。高畠君もマルクスの『資本論』を完譯して置きながら、マルクス主義の信者になれなかつたのであるから、ツガン・バラノヴスキイ位は擔出して來なければ納まらなかつたであらう。併し、高畠君がマルクスを解説する時には、マルキシズムの基礎工事となつて居るヘーゲルの哲學を實によく理解して居た。又、ツガン・バラノヴスキイを解説する時には、その新マルキシズムの根柢をなして居るカント哲學を實によく理解して居た。高畠君が何ほどの哲學史家であつたかは知らぬが、彼の頭腦が先天的に哲學的であつたことだけは確かである。彼は哲學に腰をかけて槍さびをうなつて居た。(6)

なお、高畠の周辺にあってトゥガンを翻訳したものは、先の安倍浩ともう一人、高畠門下として知られる矢部周である。安倍には『唯物史観と余剰価値』(天佑社,大正11年)と『近世社会主義』(而立社,大正12年8月)があり、矢部には『社会主義の新解釈』という『近世社会主義』の要約版がある。また安倍の『近世社会主義』には、附録として『理論的基礎』第2篇が添えられており、奇形的ではあるが高畠と安倍の両書を通読すると、『理論的基礎』と『近世社会主義』――最近は『近代社会主義の歴史的展開』と呼ばれる――という、トゥガンの主著二つが読めるようになっている。

トゥガンその人の価値とは別に、本書は高畠が最晩年まで重視した学説であるだけに、高畠理解には不可欠な一冊となっている。(以上、文中敬称略)

(1)トゥガンについては、小島修一「トゥガン=バラノフスキー研究覚え書」(『経済学雑誌』第72巻第5号,1975年)の「トゥガン=バラノフスキー文献目録」を参照した。

(2)河上の論文は、『河上肇全集』第11巻、第12巻(岩波書店)に収録されている。また第12巻に収められた平井俊彦氏の「改題」を参照のこと。なお福田の論文は、『社会政策と階級闘争』(改造社ほか,大正11年)に収録されている。

(3)三者の関係については、水谷長三郎『唯物史観批判』(同人社,大正12年4月)、安倍浩『近世社会主義』(而立社,大正12年8月。『社会科学大系』第4巻)の訳者序、及び水谷「安倍法学士訳『唯物史観と余剰価値』」(京都帝国大学経済学会『経済論叢』第14巻第4号,1922年)を参照。職業学者と民間学者の暗闘が理解できる。

(4)高畠は『国家社会主義』でボーディンの著書『マルクス説神髄』("The Theoretical System of Karl Marx"。高畠は『カール・マルクスの学説組織』と訳している)を翻訳している。ただし雑誌廃刊にともない、途中で終わっている。

(5)高畠最晩年の著書『マルクス学解説』の第5章「マルクスの資本主義崩壊説」に、「崩壊説に対する批判」としてトゥガンの学説が特に紹介されている。もともと『マルクス学解説』は、大正15年に出版された『マルクス十二講』の改訂版であるため、大正15年現在の高畠の考えであると言えないではない。しかし、大正15年版に於いても、また改訂版に於いても、同書序文に「著者自身の既刊書中では『改訳資本論解説』『改訳資本論』『唯物史観の改造』及び『社会主義と進化論』を最も多く利用した」とあり、書名が削除されていない所に意義を見ておきたい。

(6)白柳のこの文章は、『高畠素之先生の思想と人物』にも再録されている。しかしそこでは「併し、高畠君がマルクスを解説する時には」の前に、「高畠君のしたことの中で僕がテンデ気に入らなかつたのは、初めに提唱した国家社会主義を飛超えて、反動団体と握手したことである。又、思想上にはツガン・バラノヴスキイなどを御大層に担出したことである。」の一文が挿入されている。

トゥガンの邦訳

トゥガンの著作で、単行本として出版されたものは、8種類存在する。この中、矢部周の『社会主義の新解釈』までと、鍵本博の『英国恐慌史論』とは翻訳動機を異にする。敗戦後に出版されたものは、救仁郷繁の新訳版『英国恐慌史論』のみである。

  1. 松浦要『社会的分配論』(暸文堂,大正9年11月
  2. 安倍浩『唯物史観と余剰価値』(天佑社,大正11年)……未見
  3. 水谷長三郎『唯物史観批判』(同人社,大正12年4月)
  4. 安倍浩『近世社会主義』(而立社,大正12年8月。『社会科学大系』第4巻)
  5. 高畠素之『唯物史観の改造』(新潮社,大正13年12月)
  6. 矢部周『社会主義の新解釈』(新潮社,大正15年10月)
  7. 鍵本博『英国恐慌史論』(日本評論社,昭和6年12月)
  8. 救仁郷繁『新訳英国恐慌史論』(ぺりかん社,昭和47年)

(1)松浦の『社会的分配論』は"Soziale Theorie der Verteilung"の翻訳であるが、附録として『マルクス主義の理論的基礎』の第2篇「価値及び剰余価値」を「マルクス価値説及び分配説の研究」として載せている。(2)安倍の『唯物史観と余剰価値』は、『マルクス主義の理論的基礎』の第1篇と第2篇を翻訳したものである。(3)水谷の『唯物史観批判』は、『マルクス主義の理論的基礎』の第1篇のみを翻訳したものである。(4)安倍の『近世社会主義』は"Der Moderne Sozialismus in seiner geschich"の全訳であるが、第2部として『マルクス主義の理論的基礎』の第2篇を収録している。(5)高畠の『唯物史観の改造』は、上述の通り、第1篇と第3篇を翻訳したものである。(6)矢部の『社会主義の新解釈』は、安倍の『近世社会主義』と同じ"Der Moderne Sozialismus in seiner geschich"を抜粋翻訳したものである。安倍の翻訳を参考にした旨を断っている。書名を『社会主義の新解釈』としたのは、本書の内容に合わせたためと、高畠『唯物史観の改造』に似せたためである。(7)は仏訳からの重訳である。仏訳は、露語原本および独語原本に比べて、一部に省略があるとされている。鍵本は、トゥガンの立場を弁えつつ、恐慌理論の実証性を高く評価している。(8)は独語原本からの翻訳である。独語原本は、露語原本の著者トゥガンによる翻訳であるため、単なる独訳ではなく、独自に存在価値があるというのが救仁郷の立場である。

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