春秋經

  1. 隠公篇/【経伝】01/02/03/04/05/06/07/08/09/10/11
  2. 桓公篇
  3. 荘公篇
  4. 閔公篇
  5. 僖公篇
  6. 文公篇
  7. 宣公篇
  8. 成公篇
  9. 襄公篇
  10. 昭公篇
  11. 定公篇
  12. 哀公篇


凡例

  • 経文は穀梁伝所収の経文を正経とし、公羊伝および左氏伝所収の経文を注記した。
  • 三伝所収の経文に異同がある場合、経文末に【】を加え、公羊伝および左氏伝所収の経文を記した。
  • 経文及び異同には『春秋経伝引得』を利用したが、全ての異同を記したわけではない。また他の本を利用した部分もある。
  • 校勘に『十三経注疏』校点本(北京)、呂氏『春秋集解』(通志堂本)を利用した。呂氏本を用いたのは、宋代の注記の手法を重んじたからである。
  • 経文の章句は必ずしも底本及び校勘用の諸本に依らなかった。
  • 略号は以下の通り。左→左氏伝、公→公羊伝、穀→穀梁伝、權衡→劉敞春秋權衡、微旨→陸淳春秋微旨、發微→孫復春秋尊皇發微、劉氏傳→劉敞春秋劉氏傳、意林→劉敞春秋意林、程氏傳→程頤春秋傳、許氏→許翰春秋集傳、後傳→陳傅良春秋後傳。

注意事項

上の経文は私自身の検索用に作ったものなので、文字の校勘はそれほど厳密ではなく、また章句の立て方も不正確なところが多い。例えば上のデータでは、僖公四年の経文を「四年,春,王正月,公會齊侯、宋公、陳侯、衞侯、鄭伯、許男、曹伯侵蔡,蔡潰」と「遂伐楚,次于陘」の二つに区切っているが、本来は一続きの経文である(だから「遂」の字が措かれるのである)。他所にもこの種のものが多くあると思われる。

この種の混乱があるのは、第一にもともと本テキストを検索用に作ったため、章句の有無を度外視したこと、第二に宋代の注釈書の経文が概ねこのような区切りであることによる。つまり宋代の注釈書のテキストを作るのに、この区切りの方が便利なのである。上の例で言うと、「四年,春,王正月,公會齊侯、宋公、陳侯、衞侯、鄭伯、許男、曹伯侵蔡,蔡潰」と「遂伐楚,次于陘」は本来一条の経文だが、注釈をする場合、前者と後者で区切り、各々に解釈を加えることが多い。だからもしこの経文を一条にしてしまうと、注釈書のテキストを作るとき手間がかかるのである。

とはいえ本来ならば全て手直しして公開すべきなのだが、手間もかかることとて、しばらくこのままとした。もし利用される場合は注意していただきたい。

なお春秋経文を作る場合、ふつうは左氏伝所収の経文を軸に、公羊伝と穀梁伝の経文を加えることを通例とする。現に宋代においてもそうであった。しかし私は曲がった人間なので、あえて穀梁伝の経文を正経にもってきた。理由は簡単で、左氏伝の経文を軸にしたものは多く、公羊伝の経文も伝来あるものとして珍重されている。しかし穀梁伝だけ軽視されており、しかもこれを正経に用いると不便である。では穀梁伝の経文を使おう、と思ったのである。普通の人には理解できない思考回路かも知れないが、私はそういう人間なのだ。ちなみに作った私ですら使用に不便を感じるときがある。

例えば人名の検索にも不便なところがある。上のデータは文字の異同を原則一字ごとに行っている。そのため隠公篇早々に登場する無駭(人名)の場合、本テキストの正経は無侅(穀梁伝の経文)であるが、注記は【○左公侅作駭】(左氏と公羊は侅を駭に作る)としかない。したがって「無駭」で検索しても照応しない。「無侅」もしくは「駭」で検索しなければならないのである。これは衛の州吁にしても然り。穀梁伝は祝吁である。穀梁伝の経文に慣れない人には使いにくいかも知れないが、もともとこれを狙って作ったので文句を言われても困る。その他、できるだけ旧漢字を利用したので、衛などは衞でないと検索にかからない。これは私が曲がっているからではなく、もともと経文は日本の新字体ではないのだから仕方がない。

隱公篇には経文の他主要な伝を配した。今後増加の予定だが、今のところは三伝の他、陸淳『微旨』、孫復『発微』、劉敞『伝』『権衡』『意林』、許翰『集伝』、陳傅良『後伝』の全文を収めた。また便宜上テキストに句読を加えたが、句読を加えた時期は一定でなく、また私の学力にもかなり差があり、さらに私自身が錯誤を承知の上で補正していないところがある。これは元来自分用に作っていたものなので、錯誤があっても私自身が読めれば問題なかったため、一々補正していなかったことによる。利用する場合は充分注意されたい。ただこの種のものを利用する人間は限られるので、その種の人々が句読の錯誤を踏襲することは絶対にないと確信している。

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