高畠素之


社會黨、共産黨などの謂はゆる赤化勢力に對し、ムツソリーニが國民主義的民衆勢力をでツち上げて對立させたといふのは當らない。でツち上げて對立させたのではなく、敵の地盤をその儘そツくり掻ツさらつたのである。だから、フアスシオ勞働組合も、赤化勞働組合も、組合員のガン首においては本質的に大した相違がない。イタリヤの組合勞働者たちは、數年前インターナショナルを絶叫したその同じ口から、今やフアスシオ萬歳を絶叫してゐる。

そこがムツソリーニの偉いところでもあり、面白いところでもある。斯ういふ遣り口は、サイダーに醉ツぱらつて風車につき當るやうな醉いどれ的英雄には迚も望まれない。流石は多年社會主義で叩き上げて失敬した功むなしからず、敵の手くだも、戰術も、陣容も、すツかり呑み込んでの大仕事だからたまらない。

我が上杉博士はムツソリーニを市井一介の無頼漢と罵つて、日本の國家主義者たちが彼れにかぶれんとする傾向を戒められたが、心配御無用、日本には水鳥の羽音で敵の陣容を夢幻的に過大視したがる愛國者はごろごろしてゐても、敵の戰術と理論に深入りしてそれを味方の武器に運用し得るやうな、そんな氣のきいたムツソリーニかぶれは、鐵の草蛙で探し廻つても當分は見當る氣づかひがない。

本書第二篇「フアスシオの生誕から組閣まで」は、友人津久井龍雄君の執筆を私が手入れしたものである。


昭和三年六月十日

著者

inserted by FC2 system