第十一講 資本主義と無政府主義 ―スペンサーの社會有機體説と個人主義―

高畠素之

一、資本主義の兩面

資本主義の本質は、國家主義か無政府主義かと云つた人がある。資本家が國家を利用し、國家の名に依つて自己の利益を伸張し、自己に反對する一切の思想行動を國家の名に依つて壓迫するところを見ると、それは如何にも國家主義のやうである。

然るに又、資本主義は個人の自由を強調し個人生活に對する國家の干渉を排斥するのである。この意味に於いて、資本主義はまた一種の無政府主義とも言ひ得る。

これを西洋の歴史に就いて言へば、かの宗教改革以來フランス大革命に至る數百年の間は、實に資本主義發達の少年期とも言ふべき時で、この時期に於ける資本主義の特徴は國家主義であつた。然るにこの少年期を經て、漸く次の爛熟期に入るに及び、資本主義の特徴は國家主義より次第に、自由主義、放任主義に傾いて來た。即ちフランス大革命以後十九世紀に至る間がそれであつた。爾後今日に至る間を我々は資本主義の老年期と呼ぶ。その特徴は即ち自由主義の否定、國家主義の肯定である。

然しながら、これは極めて概略の話である。いづれの時代に在つても、資本主義はその時代に特殊の傾向を發揮すると共に、また他の時代の特徴をも多かれ少なかれ兼ねて備へてゐる。これを現在に就いていふならば、今日の資本主義は大體に於いて國家主義、帝國主義に傾いてゐるが、さればといつて、從來の自由主義放任主義を全部脱却した譯ではない。國家主義を主張する一方に於いて、なほ依然自由主義を重んじてゐる傾向が見える。殊に資本主義の科學別して經濟學の如きは、悉くその壯年期に造りあげられたものであり、老年期と呼ばれる今日に於いても其の思想根柢は、なほ著しく此の壯年期の傾向に支配されてゐる。これ今日の資本主義が國家主義の如く、個人主義の如く思惟せられる所以であり、資本主義とは國家主義か無政府主義かとの疑問には、實際深大の意義が含まれてゐると云はねばならぬ。

無政府主義は國家主義を罵倒して資本主義の骨肉だと稱するも、さういふ無政府主義自身がまた資本主義の兄弟であるのは皮肉である。少なくとも無政府主義と資本主義とは、その思想の實質に於いて同根一族である。一言にしてこれをいふならば、無政府主義は資本主義の壯年期に生れ、而も資本家階級中の比較的劣勢分子の利害を代表する資本主義である。アダム・スミス[Adam Smith]は資本主義の積極的純正方面を代表する第一人者であつた。またウヰリアム・ゴトヰン[William Godwin]は資本主義の無政府主義的方面を最も赤裸々に代表する學者であつた。而していま私が茲に論ぜんとするハーバート・スペンサー[Herbert Spencer]もまた、資本主義の此無政府的方面を代表する意味に於いて、ゴトヰンの衣鉢を繼いだものといふことが出來る。

二、警むべき二つの錯誤

我々は總ての問題の研究に際して、一方に綜合すると同時に、他方にまた分析しなければならぬ。換言すれば、存在せざる分析をなす事と、存在する分析をなさざることとの二大錯誤を警めなければならぬ。

この二つ錯誤の中、前者は神學者の慣例となつてゐる。彼等は、自然科學に依つてその宇宙人類の起原に關する天啓物語の荒唐無稽を暴露された。それと同時に彼等は科學的眞理と精神的眞理とは全く別物であつてその間何等本質的の交渉がないと云ふ詭辯に隱れ場を求めた。

然るに右の第一の錯誤に陷る人々は、必らずしも神學者のみではない。存在する分析を無視する人々の中、我々の特に注目を要するものは生物學的社會學者である。

三、コントとヘツケル

オーギユスト・コント[August Comte]は『社會學を一種の超絶的生物學たらしめん』として失敗した。然し彼れが『實證哲學』を執筆せる當時に在つては、未だダーヰン[Charles Darwin]の種の起原があらはれず、隨つて生物學は尚ほ搖籃の中に在り、而して社會學は未だ出現しなかつた。

されば彼れが社會學と生物學との區別を認め得なかつ〔た〕ことには、なお幾分同情すべき點があらう。然しながら兎に角この重要の區別を無視したがため、彼れは僅かに社會學の稱呼を發明し、其の可能を先見したのみで、進んで社會學の組織的建設に着手することが出來なかつたのである。

その後生物學者ヘツケル[Haeckel]も亦、これと同じ錯誤に陷つた。コントの時代は未だ生物學も社會學も倶に發達しなかつたのであるが、ヘツケルに至つては確かに一流の生物學者であり、加ふるに當時既に、社會學、經濟學の進歩は驚くべきものがあつたに拘はらず、彼れは人類社會の分業と動物社會の分業とを全然混同したのである。蜜蜂の社會に、働き蜂と懶け蜂のある如く、人類社會にもまた勞働者と貴族富豪とがあり、而して働き蜂が、生涯ただ他の爲め己れの爲め勞働すると同じく、人類社會でも勞働者は終日終夜恐らくは終生、ただ營々として働いてゐる。而して又人類社會に於いて懶け蜂に相當するものは、即ち貴族富豪の階級である。これ等は總て生物界を通じての分業の現はれであると彼れは云ふ。

然しながらこれは實に笑ふべき愚論である。早い例が、働き蜂は懶け蜂の有する特殊の生理器官を缺いてゐるが、人類社會の勞働者と貴族富豪との間には先天的に何等生理上の區別が存してをらない。

四、社會と個體

コントやヘツケルと同じく、スペンサーも亦存在する區別を無視した著名の學者である。彼れは其論文『社會有機論』に於いて、人間社會を生物個體の身體組織に例へた。彼れは先づプラトンの共和社會説を論じ、その思想が全く『社會の諸要素をして人心に於ける諸機能の相互關係と同じからしむるにある』ことを明かにした。

次いで彼れはホツブス[Thomas Hobbes]の『レヴイアサン』を分析した。レヴイアサンとは一種架空の大鰐で、その四肢五體は總て無數の人間から成立してゐる。ホツブスは人間社會を此レヴイアサンに例へた。即ちプラトン[Plato]が社會を人心に例へた如く、社會組織と人間の身體組織との間に一つの共通性を求めたのである。

スペンサーは兩者の比喩を批評して、その主なる誤謬が『社會組織を單に大體としての生物の身體組織のみならず、又細目にわたつてまで人間の身體組織に比較し得るもの』と假定した點に存すること〔を〕明かにして『斯くの如き假定を支持すべき何等の實證なき』事を力説した。然し『斯くの如き細目的比喩の守り難きことは、必ずしも其の本質的眞理を總て否定する所以にあらざること』を主張し、其の理由として『初期の學者の思想は、常に朧げながら眞理を物語るからである』と云ひ、斯くして彼れは一歩を進め、近代科學が許す社會比喩の可能範圍を研究したのであつた。

五、社會と個體の異同

彼れはこの研究に於いて、有機體と社會組織との間に各四個の異同點あることを發見した。その一致點は先づ左の如きものである。

(一)兩者はいづれも、微小の聚合體に始まり、次第に増大して遂には最初のものの十數萬倍に達することさへある。

(二)雙方とも最初は單純の組織を有してゐるが、その發達中徐々に斷えず複雜の度を加へて來る。

(三)その組成分子の間には、最初殆ど何等の相互的從屬關係なきも、其後次第に此關係を進めて、各分子の生存及び活動は遂に全く他分子のそれに依つてのみ可能となる。

(四)社會の生命は其の組成分子たる各個人の生命とは獨立であつて、各個人よりも遙かに長命である。個人が絶えず死んでは生れ、生れては死んだりしてゐる間に、社會は益々發達して、其の分量を増し、組織を複雜ならしめ、機能的活動を増大して來る。これは個體とその組成分子たる細胞との關係に比すべきものである。

以上はスペンサーの認めた社會と個體組織との一致點であるが、更らにその不一致點を擧ぐれば次の如くである。

(一)社會には特殊の外形がない。

(二)個體を構成する有機組織は連續した一體を成してゐるが、社會の有機的要素は各所に散在してゐる。

(三)個體の組成分子は、多くは其の各々の位置に定着してゐるが、社會組織の分子はこれと反對に、絶えず一方から他方へ移動することが出來る。

(四)個體組織に於いては、或る特殊の分子のみが感情を有してゐるに反し、社會に於いてはそれぞれの分子が各々感情を具備してゐる。而して此點は恐らく、兩者の最も重要なる差異であらう。

スペンサーは斯くの如く、社會と個體組織との異同點を公平に研究したが、此等の兩者を仔細に研究すればする程、その異點が重要の度を減じて、反對に類似點が益々顯著となるを發見するであらうといつてゐる。

六、商人と利潤

彼れは更らに細論に入つて、原生動物より甲殻類に至る生物發達の跡を調べ〔、〕その發達の特徴が各成分の相互從屬關係及び分業の増進にあることを明かにした。社會についていへば、これは恰も原始種族のブシユマンから初期のアングロサキソンに至る發達に相當してゐる。

彼れはヘツケルの如く、生理上の分業と人類社會の分業とを混同せず、前者を『生理的分業』、後者を『經濟的分業』と呼んで、明かに兩者の差異を認識した。然るに彼れは一方に於いて、商工資本階級の偏見を脱することが出來ず、これがためにヘツケルが分業論に於いて陷つたと同樣な迂愚を繰返してゐる。

彼れはいふ、胎兒の發達に於ける第一歩は、それが二個の細胞層たる粘液層と漿液層に分裂することである。粘液層は謂はゞ身體の内部表皮で、專ら營養物の吸収作用を掌る。これに反して漿液層は神經及筋肉を構成し、粘液層に吸収された營養物は茲に移送されねばならぬ。この移送の必要上、軈て第三の脈管層が生ずる。この層は將來生ずべき血管の要素を成すものである。血管の役目は要するに、内部の粘液層によつて蒐集された營養分を外部の漿液層に移送し以つて全身體組織の發達を促すことである。

社會の發達もまた斯くの如くである。治者と被治者との間には、最初何等の中間階級も介在するなく、既に可なりの程度に發達した社會に於いても、一方に貴族及びその同類があり、他方に農奴があるのみで、農奴の造つた生産物は直接貴族の手に移される。然るに社會の發達が進むに連れ、此等二つの原始的階級の間に、商人階級即ち謂ゆる中等階級なるものが出現する。これ即ち農奴の造つた生産物を貴族の手に移送する役目を演ずるもので身體組織の血管に相當するものである。

然しながら、實際我々の社會生活に於いて、富の分配移送を掌るものは、スペンサーの所謂中等階級ではなく、寧ろ中等階級に雇はれてゐる商業及運輸勞働者である。此の勞働者と、富を造る『農奴』との間には、境遇上何等の差異もない。また、貴族階級は身體の漿液層に相當すると言ふが、漿液層は神經及筋肉組織を造りあげると云ふ重要任務を盡して居るに反し、貴族は多くの場合寄生蟲の如き生活をしてゐる。若し強いて漿液層に相當する階級を求めるならば、それは貴族ではなくて知識階級でなければならぬ。

スペンサーの淺學と階級的偏見とは、更らに利潤を論ずるに至つて益々それを露骨にして來る。彼れは曰く、生物の身體を形成する四肢五體や腺等の器官は運動に依つて發達する。然しこれ等の器官が、運動に依つて發達し得るには、血液の適當なる供給を必要とする。總ての活動は消費を伴ふ。血液は實にこの消費を恢復するものである。而してこの血液の供給分量が、消費を回収する以上に多大なる時茲に始めて發達が行はれるのである。『社會に於いても亦斯くの如くである。社會に對して特殊の商品(例へばヨークシーアの羊毛の如き)を供給する一地方に向けられた需要が増大して、此の需要を充たすために費用の増大と、製造組織の消耗とを來し、而も斯くして生産したる商品の増大量に對して、たゞ其の費用と機械及人命の消費とを償ふに足る商品きり與へられぬならば、この地方獨特の生産業は決して發達せぬであらう。その發達を可能ならしむるには供給商品の代價として得られたる商品が、費用と機械及人命の消費とを償ふ以上に多量でなければならぬ。此の餘剩商品の多きに從つて、産業の發達も亦益々大きいのである。故に利潤は我々の身體組織に於ける營養の餘剩に相當するものである。』

これ彼れの生理學的經濟學の顯著なものであつて、商工資本階級代辯者たる彼れの立場を赤裸々に物語るものといはねばならぬ。

スペンサーは經濟學に對して殆んど無智であつた。彼れの經濟學は要するにマンチエスター派の資本主義を、生理學的に而も極めて拙劣に書き換へたものに外ならぬ。彼れは貨幣を血球に例へて『多くの下級動物の血液に血球の存在せざる如く、文化の低い社會には貨幣がない』と言つてゐる。

斯くして彼れは、更らに論歩を進めて下級動物の血管の發達を原始社會に於ける道路の發達に比し、その血管たる道路は、次第に發達して遂に鐵道となり(、)これが爲め貨物の運輸は促進されると説いた。『我々は鐵道に於いて始めて人間社會の複線組織を見る。これ實に高級動物の身體に於ける靜動脈に比すべきものである』と彼れは言ふのである。

七、政策學問を裏切る

スペンサーは次いで神經組織の論究に入つた。進化學者としてのスペンサーと、マンチエスター派の資本主義的政策家としてのスペンサーとが、愈々露骨にカチ合ひ初めたのは此の點である。彼は先づ下級動物の神經組織を調べて、その最大弱點が中心點支配力の缺如にあることを見出した。下級環節蟲の身體は一縺の環節より成り、各環節は各々別個の神經節を有してゐる。これ等の神經節は、連結神經に依つて互に接續してゐるが、然し各神經節を調節する共通の中心力がなく、若しあつても極めて不完全である。此種の生物の身體を切斷すると、切斷されたる各部分は、各々自由の行動を執る。また、身體を其儘にして連結神經のみを切り取つた場合には、身體の前半と後半は各反對の方面に進行しようと努める。

斯くの如き低級動物より進んで、更らに高級動物に近づくに從ひ、その神經組織は益々集中的の腦膸組織を示して來る。これ恰も、社會組織が複雜となるに從つて、政府なるものが現はれて來る如くである。

即ちスペンサーの觀る所に依れば、動物の身體組織の最も高級なるものは、腦膸支配力の最も完備せるものでなくてはならぬ。而して此の腦膸支配力なるものは、これを人間社會に見れば即ち政府そのものである。要するに、政府の支配力の完全なる程、人間社會の組織は益々完全に發達したものとなる。

スペンサーは斯くの如く、生物學者として政府の貴重なる所以を高調したが(、)他の一方に於いてまた極力政府の干渉を攻撃し、無政府主義、個人主義の本性を暴露した。我々は茲に進化學者としてのスペンサーと、資本主義的政策家としてのスペンサーとの大矛盾を見るのである。彼れは其著『人類對國家』に於いて、當時英國に於ける政府の權限の著しく擴大せるを憤り、今日文明國に於いて、社會政策的法令として熱心に歡迎されつゝある幾多の法律、例へば單坑組織の鑛山を非合法と見做す法令の如き、總べての白鉛工場に於いて防毒用服引、入浴設備、保健飲料等の備付等を強制する法令の如き、更らに倫敦の強制防火規則、強制教育、公設圖書館、工場法、鐵道國有等を悉く個人權の侵害として攻撃した。斯くて彼れの目に神とも映じた『自由競爭』『自由契約』『合意的協力』『個人權の神聖』等の標語は、畢竟當時の新興優勢階級たる資本家の自由、資本家の人權を辯護したもので、それがマンチエスター派の經濟學者程には表面上數字的に現はれなかつたのは、要するに彼れの立場が資本家階級中の比較的劣勢分子を代表するが爲であつた。

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