第八講 社會主義犯罪學 ―ロンブロソーとフエルリ―

高畠素之

一、眞理に國境あり

眞理に國境なく、科學に階級なし、とは必らずしも虚言ではないが、さりとて又、悉く眞理であるとも云ひ得ない。

科學上の新説が發見されたとき、それが一般に受け容れられるか否かと云ふことは、多くの場合、その學説が徹底してゐるか否かには懸らない。寧ろその學説が、當時の經濟上隨つて又知識上の生活を支配する優勝階級の利害に一致するか否かと云ふことが、根本の決定原因となるのである。されば科學上の新説が、今日の如き階級社會に於いて、直ちに弘く受け容れられた場合、その學説は必らず支配階級の必要に應じ、何等かの意味、方法に於いて、その階級の立場を辯護したものと斷言することが出來る。

最近四十年間に、幾多の新科學が宛ら雨後の筍の如く簇生した。而してこれらの中、最も注目すべきものの一つは犯罪學である。

犯罪學の發達に最も多大の貢獻をなしたものは、伊太利の學者であつた。犯罪者は伊太利の科學と云ふも過言ではない位ゐである。

伊太利の學者中でも殊にロンブロソーの名は、犯罪學と嚴密に結びつけられてゐる。ロンブロソーと言へば、何人も先づ犯罪學を聯想する。犯罪學がロンブロソーか、ロンブロソーが犯罪學かとさへ考へられてゐる。彼れの犯罪學は果してそれほど立派なものであらうか。

二、ロ氏犯罪學の社會的意義

ロンブロソーは犯罪學者であるが、實を云へば彼れの犯罪學は、犯罪學中の或る特殊の部門の研究に止まつてゐる。この部門は幸ひにして、今日の文明を煩はす犯罪の根本に觸れない。今日の支配階級の根底を脅かす恐れがない。犯罪學の領域に於いて、ロンブロソーの名が、斯樣に賑はしく持囃される所以は蓋し斯くの如き階級的利害の衝動に基いてゐるのである。

然るに伊太利にはいま一人、ロンブロソーよりも遙かに優れた犯罪學者がゐる。この人の學説は、不幸にして問題の根底に觸れる。そこで偶々彼れの卓見を知るものがあつても、進んでそれを世上に紹介せんとするものがない。學界は默殺する。而して僅かに熱心な青年研究者の間に、その存在を認められてゐるに過ぎない。彼れとは何人か? エンリコ・フエルリその人である。

ロンブロソーの犯罪學が、犯罪學上の一部門に限られてゐることは前にも述べた。その一部門とは即ち犯罪人類學である。クオータアフエージスは人類學を定義して『人類の自然史』だと言つた。フエルリは犯罪人類學を定義して『犯罪者の自然史』と呼んだ。

このロンブロソーの犯罪學に就いて思出されるものは、ゴール博士の頭蓋骨相學である。頭蓋骨相學は今日なほ獨立の科學として認められて居らないが、ロンブロソーの犯罪人類學に於いてはこの骨相學が非常に重きをなしてゐる。

有名な哲學史家ヂオーヂ・リユースはゴール博士を評して『博士の新方法は哲學史上一新時代を劃したもの』と言つた。心理學に於けるゴールの貢獻は、社會學に於けるバツクルの功績に似てゐる。

バツクルは社會の働因を一國の風土、氣候地勢に求めた。彼れはこれに依つて、社會學に物理的基礎を與へんとした。ゴールは人間の心理が頭蓋の形状大小に支配せらるべきことを闡明した。彼れはこれに依つて、心理學に物理的基礎を與へんとしたのである。

これだけの所では、兩者の功績に甲乙は認められない。而も事實に於いてバツクルの方が、學界では遙かに重要の地位を占めてゐるのは、一にはその祖述者が賢明であつた爲でもある。バツクルの門人は師の教の長短を混淆して、是が非でもこれを最上のものとして祭り上げ奉る愚を敢てしなかつた。ゴールの頭蓋骨相學は、門人のために存分俗化されて、遂ひには卑近な骨相學にまで墮落したのである。

ロンブロソーの犯罪人類學は、斯く墮落せざる本來の骨相學を、大分巧みに應用してゐる。彼れは骨相術師のする如く、頭蓋を網の目の如く細かく部わけして、尤もらしい定まり文句を竝べるやうなことはしなかつた。彼れはたゞ頭蓋の大體の形状や大小を穿鑿した。それもたゞ此穿鑿だけで滿足したのでなく〔、〕一面に於いて、正確なる生理學的及び病理的取扱ひをも怠らなかつた。

三、ロンブロソーの功罪

ロンブロソーの犯罪人類學は、犯罪學全般の發達に對しても多大の貢獻があつた。その貢獻の最大なるものは、犯罪責任論の打破である。從來の通説に依れば、犯罪者は自己の行爲に對して責任があり、隨つてその報復として當然に刑罰を受くべきものである。且つ又、犯罪を救治する上にも、刑罰より有効なる方法はないと云ふのであつた。

この犯罪責任論に對してロンブロソーの犯罪人類學は破壞の爆彈であつた。犯罪者は自由意思を以つて犯罪をなすのではない。彼等は出來損じの不具的な頭蓋を有つて、此世に生れて來たのである。それが犯罪の原因である。如何に峻嚴な刑事裁判官と雖も、犯罪者が生れながらにして畸形の頭蓋を有してゐることを『報復』することは出來ないであらう。それが出來ないなら、犯罪者がその頭蓋のために犯罪したからとて、彼れに刑罰を加へる權利はない筈である。ロンブロソーは實に斯く主張したのである。

ダリー氏は、一八八一年、パリー醫學心理學協會に於いて試みた講演の中に言つた。『從來死刑執行後解剖に付せられた犯罪人の總べては、其の腦髓に損傷を來たしてゐた』と。そして氏の語る所に依れば、この損傷中にはいふまでもなく、後天的に病氣その他から生じたものもあつた。

四、トゲ一本の力

この種の後天的腦髓損傷に基く犯罪の一例として、フエルリは次の如き興味ある事實を紹介した。

『十數年以前、伊太利モンテルポーの養育院へ、或る不思議な犯罪性の狂人が収容された。彼れはその初めトスカナ地方で煉瓦積みをしてゐたが、當時は格別常人と違つた樣子もなく、至つて勤勉律儀一方の好職人であつた。』

『然るに或る日、彼れが平日の如く工場の傍で仕事をしてゐた時、突然屋上から煉瓦が落ちて彼れの頭蓋を碎いた。彼れは其場で氣絶し、直ちに病院に擔がれた。彼れの傷は幸にして數ケ月で全癒したが、身心は此不慮の災禍のために、全くその健康を亂されて終つた。』

『彼れはそれ以來癲疳に冒された。それと同時に、從來勤勉な律儀者であつた彼れは、手に了へぬ懶惰放埒な暴漢と一變した。つひに彼れは酒場で大喧嘩を始め、そのために毆打傷害罪に問はれて、數ケ年の懲役に處せられた。』

『獄中で彼れは獨房に置れた。極端な獨房生活は、彼れの身心を彌が上にも攪亂した。彼れの癲疳は、從來よりも一層頻繁に發作した。彼れの性格は益々墮落した。茲に於いて、典獄は已むを得ず彼れを、前記モンテルポー養育院に送つたのである。』

『當時、モンテルポー養育院では、アルジリーといふ博士が、院長を勤めてゐた。博士は彼れの身心を檢診して次の結論に到達した。』

『彼れの腦髓には確かに骨のトゲが刺つてゐる。これは先きに彼れが工場で頭蓋を碎かれた際、その頭蓋の破片が腦髓に刺つたのであるが、それを醫者が氣づかずにその儘手術したものと見える。彼れは癲疳も徳性の墮落も、要するに皆なこの一事に起因するものである。斯く考へた博士は、直ちに意を決して彼れの頭蓋の一部を切開することにした。其結果は彼れの豫想通りで、案の如く骨が刺つてゐた。』

『博士は此トゲを除いて、充分に手術後の手當を加へた。切開部は間もなく常態に復し、彼れの癲疳はその後絶えて發作しなかつた。彼の徳性は軈て健全を恢復した。そして彼れは數ケ月後、從前通りの勤勉な律儀者として養育院を解放された。[』]

一九〇九年、米國シカゴの新聞紙は、或る不思議な少年犯罪者の記事を掲げた。この記事に依れば、問題の少年は從前は格別盗癖がましい所もなく、他の普通少年と何等異つた點を認められなかつたが、或時腦病に罹り醫師の手術を受けたのが素で、それ以來頻りに盗癖を發揮し、僅々數週の間に百四十四件の竊盗を働いたと云ふのである。

要するにロンブロソー犯罪學の特徴は、犯罪の原因を犯罪者の肉體的及び心理學状態に求めた事である。この状態が遺傳に依るものであらうとも、犯罪者の生涯の中に生じたものであらうとも、その點は敢えて問ふところではない。

斯くしてロンブロソーは、自由意志論の根底に巨彈を投じた。否、自由意思論のみではない、刑罰報復論も亦これが爲に最後の據り所を奪はれたのである[。]これはロンブロソー説の長所である。然るにロンブロソーは斯く犯罪者の責任を否定すると同時に、また犯罪に對する社會の責任をも閑却した。我々の觀る所に依れば、これはロンブロソー説の最大缺點であるが、一面この缺點あるが故に、彼れは科學者として實價以上に、もて囃された所以でもある。

社會の特權階級にとつて、犯罪は遺傳であり、腦細胞の病的状態が犯罪の根源であるといふ説ほど有難いものはない。若しこの説が眞理と確定さるれば、社會は犯罪に對して免責されることになる。隨つて社會の特權階級も亦、犯罪に對して潔白の立場にゐられることとなるのである。

犯罪の原因を、單に人類學的條件に求めたロンブロソー説は、此點に於いて社會の特權階級から厚遇さるべき充分の理由を有してゐる。而して此理由は同時に又、犯罪の社會的成因を強調したフエルリ説の冷遇せらるべき所以でもあることは論を俟たない。

五、自然と犯罪

フエルリは犯罪の原因を三つに分けた。即ち(一)人類學的原因(二)風土的原因(三)社會的原因がそれである。これ等の原因はたゞ研究の便宜上別々のものとして考へるのであつて、實際は互ひに錯綜混合して現はれてゐる。ある時は二つが結合して働き、ある時はまた三つ同時に作用する場合もある。

右の中、第一の人類學的原因は以上述ぶる如くであるが、第二の風土的原因と云ふのは、氣候風土の如き、自然の條件に犯罪の原因を求めるのである。

ガリバルヂーは、嘗て南米の曠原に於いて強風が吹き出すと、その部下がつねに遽かに疳癪を起し、亂暴を始め、強風の鎭壓とともに擧動も平時に復することを發見した。

ジユール・ヴエルンの指摘するところに依れば、高地の人間は概して快活であり、低地の人間は一般に遲鈍であると云ひ、和蘭は低いから鈍いといふ諺に裏書を與へてゐる。

財産に關する輕微の犯罪は、概して冬季に多く、色情に關する殺傷その他の重大犯は春夏に於いて最も多い。これには風土的原因の外に社會的條件も働いてゐることは勿論である。殊に財産に關する犯罪が冬季に多い例は風土的と云ふよりも寧ろ多くは社會的條件の結果である。即ち冬季は薪炭被服等の經費が多く、貧困者の生活に困難を加へるのであつて、隨つて財産に關する犯罪が多くなる。

春季より夏季に亘つて色情犯の多いといふことも、幾分社會的に説明の出來ぬことはない。例へば春夏に於いては人々の屋外生活が激しく、男女相接する機會が多いため、斯る理由よりして勢ひ多くの色情犯を出すのである、ともいひ得る。

然しながら、斯くの如き社會的原因を問題外に置いても、單に氣候の温熱といふことが既に色情犯の原因として、充分の條件となつてゐる。

犯罪學者ムローは、嘗て在監囚徒の色情に基く獄則違反を調査して、それが冬季に少く、夏季に最も多いことを發見した。元來、囚徒の社會的生活は四季を超絶してゐる。夏も冬も格段なる變動が無い筈であるに拘はらず、獄則違反の件數は矢張り春夏に最も多いのである。

以上の如く、殺傷犯は概して冬季よりも、春夏に於いて多いのであるが、この意味で、暖國は一般に寒國に比し殺傷犯が多いとも云ひ得るのである。例へば、歐洲諸國中殺傷犯の最も多いのは伊太利で、年々三千内外の殺人犯を出すが、人口に於いて稍々長たる英本國の殺傷犯は僅かに三百内外を出でない。尤もこれには伊太利が英國よりも暖いと云ふ風土的原因以外、尚ほ兩國人種の差が或る程度まで作用してゐることは言ふまでもない。

六、社會が産む犯罪

人類學的條件も風土的條件も、共に犯罪の原因として重要であるが、社會的原因に比すれば殆ど問題にならないのである。而してフエルリとロンブロソーの意見の分岐は、正にこの社會的條件に對する評價の差異である。フエルリはロンブロソーの犯罪人類學を賞揚し、その實質を悉く自身の學説に應用した。これに反してロンブロソーは、フエルリの犯罪社會學に對して飽くまで沈默を守つた。勿論ロンブロソーと雖も、全然社會的犯罪を無視したのではなく、稀には貧ゆえの盗みを認めてゐる。然しながら、それは厭々ながらの讓歩であつた。學説としては、何處までも人類學の一節を固持したのである。

この點に於いて、ロンブロソーの歩みはヘツケルに酷似してゐる。彼等はともに現存組織の辯護を目的とした。彼等自身にはその意志が無かつたとしても事實上辯護するの結果を生じた。

ヘツケルは、蜜蜂や蟻の社會に存する生理的階級を例にひいて、人類社會の階級も亦絶對不可避のものであるとの斷案を下した。ロンブロソーは明かに社會的缺陷に基く犯罪までも、頭蓋の大小や毛髪の色彩に歸した。ロンブロソーにはフエルリの徹底と大膽とが缺けてゐたのである。『人間の身心にとつて飢餓に優る害物はない。飢餓はあらゆる非人情的、反社會的感情の源泉である。飢餓の存するところ、愛も人情も、一切は不可能である』とフエルリは言つた。

斯くて今日文明國に行はれる犯罪の大部分は、經濟的原因(主として貧窮)に起因してゐる。手近かに日本の例に觀ても年々五萬内外の刑法犯受刑者を出してゐるが、その大部分は何づれも財産に關する犯罪である。一例として、最近における刑法犯受刑者の數を掲ぐれば

財産犯直接財産に關係せざる犯罪
竊盗二六、五七〇毀棄隱匿四七
強盗二、四八九猥褻姦淫三七五
賭博富籤二、九九四傷害一、六七〇
詐欺恐喝五、九二〇逮捕監禁一四
横領二、四八九墮胎八八
贓物七四四公務妨害六三
通貨僞造二〇四犯人藏匿三六
文書僞造一、一六五證據湮滅
印書僞造二四騷擾二六
僞證誣告一一六放火一、三九九
略取誘拐八一住居侵入二一一
其他五四二殺人二、三四五
四三、三三八六、二四七

以上の中、上段は純粹の財産犯で、犯罪總數四萬九千六百十二件の中、實に四萬三千三百三十八即ち九割以上を占めてゐる事實を見る。而も下段の財産に關係ないと見做した犯罪種類の中でも、殺人、傷害、放火等の如き比較的多數を占むるものの中には、純粹に經濟上の原因に基いてゐるものが、少なくとも半數以上に及んでゐることを許さねばならぬ。そこで日本の刑法受刑者の約九割半までは悉くこれを財産上の犯罪と見ることが出來る。尤もこれは敢えて日本ばかりではなく、今日文明國を以つて任ずる如何なる國家も、大體同一の傾向を示してゐるのである。

犯罪の九割半までが財産上の犯罪であるとて、直ちに犯罪原因の九割半が總て社會的條件に屬するものとは云へぬ。何故ならば、同じ財産上の窮地に置かれても、犯罪者となる人と然らざる人とがある。貧の盗みとはいふが、廣い世間には渇しても盗泉の水を飲まぬ殊勝な心がけの人も無いではない。

兎もあれ各人に依つて差異の生じ來たるは、社會的條件以外になほ人類學的條件若しくは風土的條件が犯罪の成因として働いてゐるためである。

然しながら又一面からいへば、今日に於ける犯罪の大部分は、貧民勞働者の間から出てゐる事も爭へぬ事實である。現に英國の犯罪の三分の一は倫敦から出で、倫敦の犯罪の大部分は其の東部貧民窟から出てゐる。若し社會的條件が果して犯罪の原因として有力でないとすれば、何故に貧民勞働階級に限り犯罪者が斯く多いかゞ解らなくなるであらう。犯罪の自餘の原因たる、人類學的若しくは風土的條件が貧民勞働階級にのみ限つて殊更ら強く作用すると云ふ理窟が肯定されない限りに於いて――。

尚、犯罪の社會的原因には、右の如く直接財産上の關係のみでなく、政治、風俗、流行、戰爭等の如き、一般の社會的現象も含まれてゐる。一國の政治が頽廢し、収賄誅求が公然たる時代にあつては、世上一般の良心も亦、不知不識の間に其の惡習に感染して犯罪を頻發せしめるや論を俟たぬところである。軍國主義が流行し、戰爭が勃發して銃器軍艦の噂に喧しき時代には、人心も亦自然その影響に依り、殺伐殘忍を歡迎するやうになることも同樣である。

七、戰爭と兒童の刃傷沙汰

一時、頻りに兒童の刃傷沙汰が傳へられた。これも矢張り世間の戰爭熱が、無垢なる少年の神經を過度に刺激した結果と見るの外はあるまい。これに就き當時の東京高等師範附屬小學校主事佐々木吉三郎氏は『今から十年前、附屬小學校が未だ一つ橋にあつた頃も、附近の小學生と往き還りによく喧嘩や撲り合をした。兎かく市内の小學生間には、學校が違ふと互に一種の敵愾心を以つて鬪爭の絶え間がないやうである。十年前、その鬪爭で私が苦んだ頃、附近の小學校長等と毎月一回づゝ懇親會を催し、先づ教師間の親睦を圖つて生徒に範を垂れ、且つ風紀その他に就いて互に研究したが、其結果は至極良好であつた』といはれてゐる。その結果が果して良好であつたか何うかは、我々の知るところではないが、十年前といひ、當時といひ、等しく戰時に於いて斯かる流行の現象を見るのも不思議である。國を異にする人間が、互ひに流血の慘をつくして鬪爭しつゝあるとき、學校を異にする小學生が『互ひに一種の敵愾心を以つて鬪爭』したからとて、しかく『苦しむ』にも當らぬことではあるまいか。

要するに兒童の敵愾心は、國と國との敵愾心が、そのまゝ彼等の頭腦に反映し感染した結果にすぎない。それを反映し感染せしめた直接の責任者は、即ち彼等の父兄[で]あり、教師であり、新聞雜誌である。一言にして云へば、それは彼等を圍繞する社會である。學童の殺人沙汰を驚くに先だつて、我々は先づ社會自らの殺人沙汰に驚くべきであらう。

斯くの如く今日の犯罪の大部分は、社會的原因に基いてゐるのである。ロンブロソーはかかる重要の原因を殆ど閑却して、たゞ犯罪者の頭蓋や人相にのみ犯罪の終極的原因を求めようとした。彼れは形而上學者の自由意志説に對しては、これを打破するに頗る急進的であつたが、一度び現存社會の眞想曝露に亘る方面に入つては、愴皇として保守的反動の翼下に隱れ家を需めた。

この意味に於いて、彼れも亦ヘンリー・ヂヨーヂと同じく、過去に強く將來に弱き反動的急進思想家の典型であつた。

八、犯罪衞生

以上を以つて犯罪の原因は概略説き終つた。然らば次に起る問題は、如何にすれば最も安全有効に犯罪を除去し得るかといふことである。

犯罪を除去するには二つの方法がある。一は犯罪の原因を未發に防ぐ方法、他は既生の犯罪を救治する方法である。即ち前者は病氣に於ける衞生の如きものであり、後者は同じく醫術の如きものである。將來に病氣を絶つと云ふ目的からすれば、先づ衞生の完備に全力を注がなければならぬ。

これは犯罪に於いても同樣であつて將來永く世に犯罪の跡を絶たんが爲には既に出來た犯罪を救治することよりも、先づ犯罪を生ぜしむる原因を未發に防ぐことが肝要である。例へば貧困が犯罪の原因であるとすれば、社會から貧困を絶つの工夫をしなければならぬ。政治の頽廢若しくは戰爭熱の流行が犯罪の原因ならば、それ等の頽廢狂熱を社會から除去するのである。それには先づ社會の構造を改善することが肝要である。即ち國家社會主義の實現に俟つの外はない。

然しながら如何に國家社會主義が實現せられ、社會の構造が革められても、人類學的條件に基く犯罪の豫防は如何ともすることは出來ぬ。社會主義が如何に萬能力であつても、前に擧げた煉瓦積の犯罪の如きを豫防し得るとはいへないであらう。

九、犯罪醫術

前述の如く一方に犯罪衞生が必要であると同時に、他方に如何にしても犯罪醫術の完備が必要とせられる。これは單に、前いふが如き犯罪衞生の力を超越した犯罪に對してのみでなく、犯罪衞生で充分豫防し得る犯罪と雖も、既に生じた犯罪は矢張り此犯罪醫術に依つて救治するの外はない。

犯罪醫術は今日では刑罰の形をとつてゐるが、刑罰は本來自由意思[ママ]説に立脚する報復主義の産物であり、犯罪者をして苦しめ懲らすを目的とし、犯罪救治には素より全く沒交渉のものである。それが後來、刑罰に依つて犯罪を救治せんとする考へ、即ち謂はゆる懲治なる思想の生じた理由は、自由意志説が次第に軟化して科學的必然説を受け容れた結果である。日本にあつては、舊刑法の報復主義に對して新刑法の酌量主義が強調せられて居るが、其酌量主義たる徹底せるそれにあらずして、從來の自由意志説が稍々軟化し、幾分我々の必然説に近づいたものに過ぎぬ。眞に犯罪者の情状を酌量すれば、結局刑罰なる思想は成立せぬが當然であらう。即ち酌量せらるべき情状を外にして、犯罪の原因は無いからである。

兎もあれ、犯罪は救治すべきものであつて斷じて懲罰すべきものではない。一世紀半前までは、癲狂でさへも自由意志に基く行爲として、其の個人的責任を問はれ、刑罰を科せられたのである。十九世紀以降に於いても、現に醫師ヘルンロースの如きは、癲狂に道徳的責任あることを力説し、其の理由として、『蓋し何人と雖も、敬神を捨てず、人倫に悖らざれば、癲狂なる事なければなり』と論じた。

今日から觀れば斯く言ふ彼れこそ却つて正銘の癲狂にあらざるかと疑はれる實に笑止に堪えない次第であるが、當時の人々は概ね皆な左樣に信じてゐた。

今日犯罪に個人的責任を認め、刑罰の必要を力説する輩も、我々から觀れば矢張りそれ等と五十歩百歩の差であることを感ずる。

十、無定期隔離

犯罪救治の方法に就いては、フエルリは其一部として無定期隔離といふことを主張してゐる。即ち何ケ年若しくは何ケ月と、豫め期を劃せずに、犯罪病が全癒したと診た時、何時にても自由に隔離所から解放し、全癒せざる時は全癒するまで収容して置く。要するに今日の病院制度を、其儘に採用した方法である。

然るに今日の刑法では、犯罪者が一度び三年の懲役を言渡された時は、假令その三年内に犯罪病が快癒しても、矢張り既定の三ケ年は獄中に呻吟せねばならぬ(尤も假出獄といふ多少の救濟法も講ぜられてはゐるが)。然し課せられた三ケ年を經過すれば、犯罪の病態如何に拘らず退院(出獄)を強制される。

これは今日の刑法が、犯罪の救治を目的とせず、犯罪者の膺懲を目的とせる結果であり、全く投獄を犯罪の應報と觀た舊思想の産物である。犯罪は救治すべきものであり、懲治すべきものでなく、また犯罪を救治する事が社會公衆の安寧福祉のために必要である以上、犯罪者の隔離は飽くまでも無定期でなければならぬ。啻に隔離を無定期たらしむるのみならず、其隔離の設備や方法も亦今日の病院や癲狂院と同じく、飽くまで科學的、實驗的でなければならぬ。隔離所の監督者に、專門の學者、實驗家を任用するは勿論、犯罪の取扱に關與する自餘の責任者も亦、そのために必要なる各種の科學に於いて、豫め充分の教育を與へられた者でなければならぬ。從來の獄吏の如く、軍人上りの底能者や、官僚萬能の木石漢では、犯罪者を苦しめ懲らすには知らず、犯罪救治の大見地から言へば、眞に無益以上に有害の甚しきものであらう。

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